殿下、婚約者の私より幼馴染の侯爵令嬢が大事だと言うなら、それはもはや浮気です。

和泉鷹央

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第四章 二人の皇女編

魔法の回廊

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 その異常事態に最初に気付いたのは侍女たちの妹、アイラだった。
 朝早く――といっても、ここは雲海のはるか上にある天空の船の中。 
 朝日が昇り始めるのは地上よりも早く、月とともに夜の帳を降ろすのも、地上より早い、そんな世界。
 太陽の光をまともに室内に入れてしまっては困ることもあるのです、とこの部屋を案内してくれた文官は言っていた。
 彼らが去った後、数時間してアリズンから獣耳をした女性たち数名がこの部屋の隣に派遣されてきたのが、昨夜あったことだ。
 なんでも、ここではサラは特別な客だからどのようなことでも言いつけてくれ、そういう話だった。
 
「そう言われて隣の部屋を預けてみたらこうなるのよねえ……」
「何の話?」
「んー? エイルはまだ寝てていいよ。あたしが見て来るからー」
「はーい」

 それぞれ隣り合わせになったベッドに寝ながらまだ早い朝を迎えていたエイルは、妹のぼやくような一声に何事かと目を開く。
 起き上がろうとして、止められたからもう少し寝ることにした。

 アイラは目にまとわりつく赤毛の前髪を払いのけると、ベッドから起き上がり周囲を確認する。
 黒い瞳が見る先にある、壁にかけられた掛け時計が示すのは、早朝六時と少し回ったところ。
 サラが起きるのは、今日の予定では九時だったから、あと二時間程度は寝れるはずだったのに……。

「あの狼の獣人達は、まるで犬みたいに早起きってこと? サラが起きちゃうじゃない」

 隣の部屋で寝起きしている蒼狼族の侍女たちは、別に朝早く目覚めてワンワンと鳴いてわけでもなければ、西の空に沈みゆく月の影を追いかけて遠吠えをしているわけでもない。
 野生の狼のようにじゃれあい、群れを作って何か一つの儀式を行っているわけでもなかった。

「……ねえ、昨日の今日でこんなこと言いたくないんだけど」

 と、自室から内側の扉一つでつながっているドアをノックして、アイラは相手が扉を開く前に声を口に出す。
 すると不意の来客を知っていたかのように、音もなくするりと扉が開いた。

「あら」
「あ……おはよう、ございます……悪いんだけどもう少し静かにしていただけないかしら」
「そんなに音が漏れておりましたか?」
「うん」

 きょとんとした顔をする背の高い白と灰色のまだら模様の髪をした獣人の女性は、おかしいわねと言いながら首を傾げてアイラを室内に招き入れる。
 そこは広いリビングで、奥に幾つかの扉がある。
 
「確かに私たちは朝早く起きてご主人様のために朝食などの用意をいたしますが――。見ての通り各個人の部屋のは遠く、この場所にも誰もおりません」
「そうねそう言われてみたら確かにそうだけど。でもあなたは――すぐに出てきたじゃない?」

 その耳、とアイラは相手の獣耳――こちらは真っ青なそれを見つめて、問いかける。
 人間の自分たちよりも、獣人であるあなた達の方が五感はいいのではないのですか、とそんな問いかけだった。
 泊まれて彼女は両目を上にやり、片方の獣耳を伏せて反応してみせる。
 意外にも茶目っ気があるんだねーとアイラは、獣人たちに対する印象をすこし変えた。

「私が一番、そちら様の部屋に近い場所に部屋を与えられておりますので」
「あーなるほど……。こっちがうるさかった? それなら気を付けるけど」
「いえいえそんなことはございません。本来ならばサラ様達がお泊りになられている部屋は、ほぼ完全と言っていいほどの防音性を備えております」
「防音? それにしては大勢の誰かがそこにいるような、そんな声がしたと思うんだけど」
「大勢? 夜はまだ始まったばかりですが……」
「……」

 始まったばかり? 
 早朝の間違いではなくて?
 アイラの疑問に満ちた顔を目にして、獣人の女性は何か理解したかのように、ああ、と手を打った。

「壁の時計でございますね。あれは西の大陸の東部時間に合わせてございますので、サラ様達のお住まいになられていた大陸の西部時間と考えれば今は深夜になったかどうかというところでございます。だいたい六時間程度の時差がございまして」
「時差? そんなの考えたこともなかったわ……。じゃあ誰か来客が来る可能性もあるって事? それでも零時になろうかどうかという時に?」

 獣人の彼女は少し困った顔をして答えた。

「さすがにこの時間の来客はあり得ないか、と。作法にも反するものでございますし」
「そうよね。そういえばあなたには聞こえなかったってことよね?」
「左様でございます。私、オットー様に申し付けられてこちらの侍女長を命じられました、レベッカと申します」
「レベッカさん、ね。あたしはアイラ。寝ているのが、エイル。サラ様はもう御存知ね。でもそっかあ……聞こえなかった――この船って幽霊とか出たりする?」
「まさか――。そんなものが出た噂なんて聞いたことがございません」
「そう……わかった。夜中にごめんなさい」
「いえいえ。お気遣いなく」

 じゃあと言ってその場を去ろうとしたアイラは、ふといくつかのことが気になってレベッカを振り返って質問する。
 完璧に近い防音が施されているのに、自分やエイルの音が聞こえた?
 いまは深夜で、では昨夜眠りについてからどれほどの時間が経過したというの?
 何より……。

「ちょっといいかな、あと幾つか」
「? 何でしょう?」
「大陸の端と端で時差があるって言うことは仕方がないかもしれないけど、あの文官がそんな大事なことを伝えないなんて、あたしには信じられない。それにあたしの体内時計は、充分なほど眠ったっていってるし、どうして完璧な防音が、施されているはずなのに……レベッカ。あなたには、私たちの部屋の音が聞こえたの? 獣人だからってちょっと都合よすぎやしない?」

 まるで監視されているみたい。
 その一言は言わず、妹は自分より頭一つ高いレベッカを見つめ返してやる。
 そうしたら、彼女の真っ青な耳は困ったように、一瞬、伏せてしまった。

「……ご主人様に何かあったらこちらとしても困りますので――大変申し訳ございません。防音というものは人としての聞こえる範囲での防音でございます」
「だからあなた達には、聞こえているわけ?」

 申し訳なさそうに彼女ははいと頷いて視線を下げた。
 それにしても睡眠時間とあの騒がしい音の説明がつかず、アイラはちょっとだけいらっとしてしまう。
 その不機嫌さを目の当たりにして、レベッカは――いや、彼女の耳は正直で不安を現わしていた。

「あの、お伝えできることは……」
「何がまだ隠してるってこと? あたしはレベッカあんたのこと、初対面でいいやつだなと思ったけど。やっぱり人と獣人は理解し合えないってこと?」
「そういうわけではございません。お伝えできることがあるとすれば……」
「あるとすれば?」

 この船の中には特別な空間があって、そこを移動できることは限られた人間だけで……。移動するためには魔法のようなの利用するから――その際は大きな音がするかもしれない。
 レベッカは外部の人には本当は教えてはいけないのですけれども、と前置きをしてそんなことをアイラに伝えたのだった。
 それを聞いた侍女が思ったのはたったひとつだ。
 
「――ッ……サラっ!?」
「アイラ様っ」

 一瞬のうちに侍女から騎士へと表情と態度を変えたアイラは、レベッカの制止も聞かずサラの眠る部屋のドアへと走り出していた。 

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