殿下、婚約者の私より幼馴染の侯爵令嬢が大事だと言うなら、それはもはや浮気です。

和泉鷹央

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第四章 二人の皇女編

沈黙の扉

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「エイル――!」

 身を翻した先に眠っていた姉にはたった一言で十分だった。
 名前を呼ばれたエイルはまどろみの世界からさっさと帰還すると、アイラが持ち込んでベッドの脇に立てかけていた長剣のベルトを引き上げると、そのままの勢いで妹へと投げてよこす。

「はいっ」
「ありがとっ――、サラがヤバいっ」
「はあ?」

 アイラは歩を緩めることなくそれでも端から端までは広島では数メートルある彼女たちの自室を横切っていく。
 時間が惜しい――。
 こんな時、あのアルナルドの船の中に与えられた部屋だったなら、さっさと主人の元に行きつけたのにっ。
 妹ははっし、と剣を鞘事受け取ると、それのベルトを左手に巻き付けて柄に手をかけたまま、主人の部屋との間にある一枚の扉を合図することなく、開こうとした。
 
「くっ、何よこれ……」
「この船のドアってどれも勝手に開いたり閉まったり。どうなってるのかしら」
「さっさと開きなさいよ! こんな時に――」
「それ、一拍置かないと開かないわよ」

 のんびりと歩いてやってきた姉が、妹にそう声をかけた
 落ち着きなさい。そんなエイルらしい一言だった。

「だって、エイル!」
「慌てても向こうでなにかあれば間に合わないかもしれないでしょう。開かないんだから――どうすればいいのでしょうか?」

 エイルが振り返り、自室にやってきた客人を見やった。
 長身の獣人。 
 朝陽が差し込む室内で、彼女の灰色のような銀色のような髪の中に青い獣耳が空のように輝いて見えた。
 耳は青で瞳も青。
 なのに尾は真っ黒、か。
 まさしくまだら模様。
 そんなことをつぶやいて、エイルはレベッカに扉を指さした。

「……その扉はサラ様の側でロックーーつまり、施錠されておられる可能性がありますので。強制的に解除するには鍵が必要かと思われます。何かその、カードのようのな物を預かっておられませんか」
「カード?」

 エイルは知らない。
 そんなものを受け取った覚えもない。
 自分は寝るまでサラの世話をしていた――多くは会見の愚痴に付き合っていたのだが。レベッカたちの相手や文官からの引き継ぎなどは、すべて妹に任せていた。
 あんたどうなの、とアイラを見ると、

「……レベッカ。それって――銀色の硬い金属の板? 薄っぺらい?」
「ああ、はい。そうですね。数字と刻印が押されたものなのですが」

 なるほど、この長身の彼女はレベッカというのか。
 アイラは一つ頷く。ついでに、気まずそうな顔をする妹をいつも通りね、と白い眼で見てやった。

「……あー」
「サラに渡したってとこ?」
「……うん、ごめん……」
「そんなことだろうと思ったわ。あなた、その抜けたところそろそろどうにかなさいな、で……レベッカさん? 私はエイルと言いますが。どうすればいいかしら?」
「……エイル―」
「勇ましさだけは一人前だったわね、アイラ。もう黙ってらっしゃい」
「だって」
「それ、開かないし反応しないじゃない。無駄だってことでしょう? どうなの、レベッカさん」

 あう、と威勢の良さが反転し、間抜けな道化と化したアイラは、がっくりとうなだれて扉に背を預けた。
 開かないものを無理矢理、開こうとするよりもレベッカに尋ねたほうが早い。
 それは正論で、正鵠を得ていた、アイラには反論する機会すら与えられない。
 もういいから、とレベッカに視線を向けた姉は、妹を構うのをやめた。

「どう、と言われても……。開くには内側からか、それとも書記官殿――ラングリサム伯爵に連絡を取るのが早いかと。それに――」
「それに?」
「私が言ったのは単なる可能性であって、それが正解だとは限らない」
「ふむ……どんな可能性を教えて下さったの?」
「そちらのアイラ殿が……」

 と、レベッカは夜着のままで眉根を潜める。
 なんの問題もなかった場合この騒動は迷惑だ、と獣人が暗に語っているようにエイラには見えた。
 先程、アイルとの会話で明らかになった現在の正しい時間のことをレベッカは脳裏に置いていた。彼女たちにしてみればいまは深夜。まだまだ休みたい時間なのだから。

「アイラがどうかしましたか?」
「ええ、大勢が騒いでいる音がしたから、と。こちらにいらっしゃたのです。しかし、現在時間は、太陽こその昇っているものの、我々が出立した大陸西部からすればまだまだ深夜……。そんな可能性は低いと申し上げたのですが」
「ああ――そうなの、ね。私達にはどう見ても早朝なんだけど。私にも何も聞こえてこなかったわ」
「でしょう? こちらにしてもそのような音はしなかったのです」
「でも――」

 と、エイルはぶすっと唇を尖らせている妹に目をやった。
 まるで嘘つき呼ばわりされたようで、腕を組み、足を組んで不機嫌を体現していた。

「何か?」
「あれも、馬鹿だけど。でも、根拠のないことはしないものなのよ。姉の身びいきもあるかもだけど」
「それならば、この船に設置された魔法回廊のことが原因か、と。王族や皇族しか移動できない、特別な魔術を組み込んで移動する、そんな設備があちこちにはしっております」
「魔法回廊……? まるでおとぎ話の世界ね――それとざわめきと何の関係が?」
「異動する先にいる誰かに、来客があることを知らせる通知音、雑踏の中にいるような音を再現するそれが鳴ります」
「こんな、早朝というか。あなたが言う深夜に不意の来客が?」
「……それは可能性が薄いと申し上げたのですが……」

 と、レベッカは困ったようにアイラを見た。
 確かに。
 そんな情報だけで駆け戻ってきた妹の忠誠心は見上げたものだが――賢くはない。
 エイルはそう判断する。

「ねえ、アイラ」
「……何だよ」
「その扉、硬い? 薄い?」
「はあ?」

 問われてアイラは手の甲でコンコン、と扉をノックしてみる。
 返って来た音は軽く乾いたもので、薄い木製のようなでも、質感がないもののような感じだった。

「どう?」
「その扉は強化魔導がかかっておりますから。剣程度では破壊できませんよ……」
「なるほど。でも叩けば音は伝わる?」
「まあ、それはそう――」
「ではレベッカさんはオットー様にご連絡を。アイラはサラ様が応じるまで剣でもなんでもいいから、それを叩き続けなさい」
「わ、わかりました」
「へへっ。了解――」

 レベッカはしぶしぶ頷き、アイラは嬉々として鞘ごと剣を振りかぶった。
 これまでの不満を解消するかのようにアイラのそれが勢いよく扉に向かい叩きつけられた。
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