殿下、婚約者の私より幼馴染の侯爵令嬢が大事だと言うなら、それはもはや浮気です。

和泉鷹央

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第四章 二人の皇女編

サラと真紅の尾

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 夢まどろみの中で奇妙な柔らかさのそれを握ったのは気のせいではなかった。
 頬を伝い、夜着の胸元をくすぐって、それは上下左右に自在に動き回る。
 ふんわりとしていて、なぜか生暖かい。
 サラの上半身の上にもっさりと居座るその感触は、実家で飼っていた長毛種の猫を思わせた。
 ……そういえばあの子もこうやって、私の胸の上で寝そべっていたっけ。
 ある朝は顔の上に尾があり、目を覚ますと可愛いお尻が見えた。
 ある朝は何かに鼻と口を塞がれた。
 息苦しさを覚え、慌てて顔を上半身を起こすと何故、自分をはねのけるのか。
 なんて怒られたものだ。
 
「んー……レーア。だめよ、ここはあなたがいる場所じゃないって――」
 
 いつも言っているでしょう?
 そう声をかけようとして、まどろみから意識が解放された。
 うっすらと覚醒した意識の中で、瞼を開けるとそこには薄暗い室内灯に映し出された真っ赤な何かが存在した。
 血?

「――なにッ!?」

 サラは普段から寝相が良い方ではない。
 与えられたベッドは広くて少々動き回ってもどこかに体をぶつけるようなことは、ないはず――と思いながら上半身を起こすと、そこにはにんまりと笑う猫がいた。

「……?」

 いや、金色の猫の獣耳をアリズンのように、頭の上に戴く獣……人?
 真っ赤な何かはその人物の、長くて太い尾だった。
 寝そべっていた自分の隣に座り、彼女はいたずらに引っかかったというような、満足そうな笑みを浮かべている。
 瞳は髪に対して深い緑色で――昼間に見た雲間に姿を現した海のような緑だった。
 まだ若い。
 獣人の年齢はわからないが、自分より上には見えない。
 尾と同じほど長い髪は腰ほどまであり、上半身を起こしたサラと視線はほぼ同じ位置にあった。
 
「誰……? 真紅の髪に真紅の尾? アリズン様の御同輩かしら?」

 寝ていたら見知らぬ女がベッドの上に座っていて、彼女は猫耳を持つ獣人で、その尾と髪は血のように真っ赤で……不敵な笑みを浮かべてそこにいる。
 なまじ普通の女性なら、恐怖にあげるだけでは済まないだろう。
 飛び起きて、ベッドの上から部屋の隅まで移動し、隣の部屋にいるはずの侍女たちに叫び声をあげるはずだ。
 助けて、と。
 その意味では、サラの度胸はこの旅でかなり鍛えられたらしい。

「へえ? 悲鳴を上げるどころか、質問する余裕があるなんて、さすがねー」

 その少女は自分の行為を恥じるどころか、驚いてサラを誉めてのだから、恐怖よりも呆れのほうが心を大きく占めていく。
 間違いない、この子はあの皇女様の関係者だ。
 金色の猫耳がさも楽しそうに外側に向かってピンっと立てられている。
 猫が喜んでいる時と同じ仕草――いいえ、違う?
 獲物を狩ろうとしているときにも、なんとなく似ている。
 そう感じると、なんとなく危険を感じサラは彼女の指先に目をやった。
 獣人だからといって、その指先はあの――魔石板を寄越した狼の獣人と同じで、人間の指先となんら変わらない。
 
「どちら様かとお伺いしているのですが。エルムド帝国では、帝室の方は深夜に客人の寝間に忍び込むのが慣習なのでしょうか?」
「帝国は関係ないよ」
「……」

 小さな拒絶。
 まるで少年のような彼女の喋り方に、サラはどことなく違和感を感じた。
 ネコ科に特有のアーモンド型の瞳。
 知性と暴力性が共存するその目は、室内灯の灯りを受け、鈍い銀色の光を反射する。
 すらりと筋の通った鼻梁は高く、名匠が彫ったようなその造形は……この世のものとは思えないほどの、美しさを描き出していた。
 そして、薄く紅のひかれた唇は――意地悪そうに、それでいて危険な香りを漂わせている。
 この女性がもし、男性なら――世の女性は一目見ただけで惚れそうなくらい……危険で綺麗な少女。

「あれ、どうしたのかな? こんなのもいいかなと思って訪れてみたんだけど、気に入らなかったかい?」
「深夜に不意打ち同然にやってこられて喜ぶ婦女子は、さすがにそう多くないと思いますけれど」
「なるほど。つまり君はその数少ない婦女子ではないってことかー」
「そうですね、そう――思います……」
「ふうん……つまらないなー」

 つまらない。
 その一言がサラの苛立ちを加速する。
 しかし、暴言を吐いて彼女怒らせることは選択肢にはなかった。
 ふと、後ろを見やればそこには数人の男女がいる。
 いや、控えている。
 同じ金色の獣耳を持ち、金色の髪が美しい獣人たち。
 そういえば、アイラを襲った男たちがいたあの空港でも、彼らに似た獣人を見かけた。
 オットーは、文官はなんと呼んでいただろうか。
 サラは種族の名を思い出し、その名を呼んでいた。

「……猫耳族……」
「おや? 僕たちを知っているのかい?」
「僕?」
「そう、僕らは猫耳族。南の大陸の山岳地帯にその端を発し、女王リーゼに率いられし空の住人。天空航路を作りし一族……そして、エルムド帝国の三皇帝家の一つでもある――僕はティナ。ティナ・イズバイア・エルムド」
「そう、ですか」

 自慢気に、自らを『僕』と称した彼女は、名乗りを上げた。
 豊かなその胸を反らし、誇らしげに。だが、どこかに忌まわしげに己の出自を語る少女――ティナ。
 どんな思惑があってここに来たのか知らないが、彼女にまともな貴族の礼儀を返そうとはサラは思えない。
 皇女ティナとその従僕たちをさっさとこの部屋から追い出して、また、まどろみの夢の中へと戻りたかったからだ。
 招かれざる客をもてなしてやるほど、人が良いサラではなかった。

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