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第一章
アイリスの涙
しおりを挟む「殿下を本当に焼くなんて、あなたもなかなかやるわね?」
凛としたよく通る声が、二人しかいないはずの小部屋に静かに響いた。
いや、小部屋というよりそこは暗く狭く、貴族令嬢がいるべきではない場所。
地下にあり、夜の闇にまぎれて月明かりがどこからか注ぎ込んでくる。
窓ではなく……格子戸から。
そこは殿下の離宮――アイリスと殿下がこれから住むはずだった場所からそう遠くない。
だが、王宮の中ではなかった。
深い堀と巨大な内壁を数枚隔てた、王宮の東側に位置する丘の上に建てられた神殿。
女神サティナを崇める場所の……地下牢だった。
そして、そこに閉じ込められた二人。
殿下を焼いた罪で投獄されたアイリスと、なぜか、巻きぞえをくらったケイトは何も言えず、声の主を見てただただ唖然としていた。
「何よ? いつも会話していたでしょう、ねえアイリス?」
「……まさか、サティナ……様? 冗談でしょう?」
間抜けのように口を半開きのアイリスがようやく押し出した返事がそれだった。
それも無理のないことだった。
だって、女神様は――石壁からぬうっといきなり姿を現したのだから。
ケイトもその声に姿を目にすることができていたが、彼女はもう少し現実逃避をするつもりらしかった。
「嘘よ、あり得ないわ。だって、あの時、戻って行かれたじゃない……これは何かの間違いよ。生霊とかに違いないわッ!?」
「失礼ねー。誰が生霊ですか、ケイト。この通り、足もありますよ? 触ってみますか、この手に? 生暖かいと思いますけど?」
サティナは心外だといわんばかりに腰まである真紅の髪を頭のうしろでまとめるようにして持ち上げた。
そして、ケイトからアイリスに視線を移してあなたはどう思うの、と聞いてくる。
また、髪を持ち上げた。
どうやら不機嫌なときにする仕草らしい。
アイリスは覚えておこうと心のどこかで思った。
「いえ、ですから……。先ほどの大神官様と聖女様とのお話が終わった時点でその――天上界に戻られたのでは……?」
「誰がそんなことを言ったのよ?」
「それはその、大神官様と聖女様が……」
「あんなもうろくジジイと恋愛脳のバカ聖女。役に立つわけがないじゃない」
「女神様……お言葉がとても汚いと思われます……」
ふんっ、と鼻息荒く女神は手を一振りした。
すると夜気に浸されて寒いだけだった地下牢の中の空気が一変した。
暖かい。
死人のように明日への希望をうしないかけていたアイリスたちにとって、それは太陽にも等しい暖かさをくれる女神の恩恵だった。
「こんな寂しい場所に、わたしの可愛い子たちを閉じ込めるなんて。王にせよ、大神官と聖女にせよ。まったく、どうしてくれようかしら。面白くない。不問にしなさいと命じたはずなのに!!」
さらに目配せすると、そこにはフカフカの長いソファーが三脚。
床にはこんなに弾力のあるカーペットなんて知らないと二人が思うほどに良い生地のそれが、いつの間にか敷き詰められていた。
いや、違う。
場所が変わったんだ。
アイリスはそう直観する。
地下牢と通路を遮っていた無骨な鉄柵は消えてしまっていた。
壁はカビとコケに覆われた石のそれではなく、真っ白な顔すら映し出すほどに磨きこまれた大理石。
立ち上がって手を伸ばせば届くかと思っていた天井ははるかに遠く、優美なステンドグラスがはめ込まれたガラス窓に変わっていた。
「え? えっ? ええっッ!?」
「なによ、アイリス。変な声を出さないで頂戴」
「だって、サティナ様……? ここは? 地下牢にいたのではないのですか? どこに移動したの……??」
アイリスの質問に、女神はへえ? と面白そうに微笑んでいた。
移動した。
その事実をアイリスが理解できていることが面白いと言って、また微笑む。
ケイトは相変わらず、悪い夢を見ているんだわ、と現実逃避を継続していた。
「どこ、か。そうねえ、現世のどこか、かな。わたしが古い時代に作らせた部屋。時間が止まった場所。かつての国王たちと語らった、そんな場所。理解できる?」
「いいえ……理解はできませんが、でも、そこに来たのだということだけは、まあ。わかります」
「そう。ならそこでしゃがみ込んでいる親友をソファーに寝かせてあげなさい。あなたは前からわたしと話していて慣れができているだろうけど、ケイトには刺激がきつかったようね。この程度で驚かれたらこれから先の旅路で困るわ」
「旅、ですか? あれは御冗談だったのでは……?」
「まさか。あなたたち、あのまま地下牢でずっと生涯暮らすつもりだったの? その前にあの王のことだから、さっさと処刑して、隣国の帝国から姫を妻にもらうでしょうけどね」
「処刑って、それはまあ……仕方ないといいますか。それだけのことはしましたし」
「馬鹿ねえ、アイリスが処刑される必要なんかありはしないのよ?」
「でも、女神様。殿下に歯向かったことはそのまま、国賊となりますから……サティナ様が許されても人の法では裁かれなければなりません……」
それが王国に生きる者のしきたりですから。
自分はその責めを受けるつもりでアズライル王子に一矢報いたのだ。
ケイトまで巻き添えにしたくなかったから、女神に助けを乞うたけど。
結果的には、親友まで処刑させる羽目になってしまったと。
アイリスは悲しそうにつぶやくのだった。
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