婚約者の浮気現場に踏み込んでみたら、大変なことになった。

和泉鷹央

文字の大きさ
66 / 104
第六章

扉の向こうへ

しおりを挟む
 灯火が点滅するそのドアは豪奢で厚みのある作りのように見えた。
 押すのかしら、引くのかしら?
 金箔で加工されたコの字型の取ってに手をかけると、それは存外軽く、女性のアイリスでもスッと押し開くことができた。
 片側をそっと半分ほど押し中の様子をこわごわと彼女は覗き込む。
 扉の向こうには天井が見える長方形の通路で、床が進むにつれて傾斜があるように見える。
 数メートル先で折れ曲がっているようだが、その向こうからはうっすらと光が漏れていることから何かがあるのは間違いないだろうと思えた。
 足元には同じような絨毯が敷かれ、左右の壁の低い部分には等間隔に白い光がそこにはめ込まれたクリスタルのようなものから床を照らし出している。
 全体的に闇の比率が九割を占めるその空間へと、アイリスはそっと足を踏み入れる。

「……硬い?」
 
 意外だった。
 廊下に敷かれていたものとは全く別物の床がそこにはある。
 その割に見た目はそっくりでいて、どういう技術を施してあるのだろうと首を傾げてしまった。
 精霊でも召喚できれば先行させて安全を確認できるのに……。
 仮にもあの緑の星が自分がいた場所なら。
 あそこで可能だったことがここでもできたならと思うと悔しいが、体内に魔力を感じても、これまで使うことの出来た魔法の類はまったく効果を表さない。

「仕方ない、か」

 こんなことなら、炎だけでなく闇や光といった系統の魔法にも習熟しておくんだったと独りぼやくと、アイリスは歩き出す。
 時折、足元を照らし出している白いクリスタル部分を触ると、少しの温かみを感じた。
 熱を発しているらしい。空気はひんやりとしていて、それでいて埃っぽいさっきまでの空間とのそれとは違っていて清涼といった雰囲気だ。
 アイリスはどこか落ち着いたかのように、心を休めながら短い曲がり角までの距離をおっかなびっくり進んでいく。
 彼女をよく知るケイトが見たら、まるではりねずみのような臆病さだったと評したかもしれない。
 それくらい、慎重になっていた。
 角まできてその向こうにはこれまでよりも短い傾斜の通路があり、見えたのははるかに巨大な空間。天井はアイリスが四人ほど立っても届かないだろう。入り口の左右にはまっすぐな通路で上段と下段に別れていて、上段には更に二階あった。
 下段には四段ほどの段差部分に簡素な手すり付きの椅子が一定の感覚で設置されている。
 右手の奥にはステージのうような広く凹んだ壁があり、そこには真っ白で巨大な一枚布が張られていた。
 
「……わあ。何よこれ……」

 そう呟いた時、左後方でカチン、と音がする。
 
「っ!?」

 右手側に意識が向いていてまるで無関心だったそこに振り向くと、一体の獣人が片手に何かをもってそれをカチカチと鳴らしていた。

「は? ……ワニ? の獣人……???」

 激しい疑問符の嵐がアイリスの脳裏を飛び交っていく。
 これまでの現実に対してあまりにも似合わないそのワニは、静かにそこで立っていた。
 上から下までじっと見渡してみる。
 深緑色の体皮はザラザラとして見えるし、短い手足、寸胴で長ぼそい胴体、口は細長く伸びていて、ほわっと開かれている咥内には鋭い牙が幾重にも並んでいる。
 しかし、その身を包んでいるのは執事かとでもいうかのような、仕立てのいい制服で胸には赤い朱色のリボンがちょこん、とぶっとい首回りを飾っていた。

「チケットを」
「は? え? 喋っ……た……」
「ワニがしゃべるとなにか問題でも?」
「え、いいえそんなことは……」

 聞き取りやすくお腹の底に響くような優しさを持った彼というべきか、そのワニのバリトンのような声は実に丁寧な物言いだった。

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

捨てられ侯爵令嬢ですが、逃亡先で息子と幸せに過ごしていますので、邪魔しないでください。

蒼月柚希
恋愛
公爵様の呪いは解かれました。 これで、貴方も私も自由です。 ……だから、もういいですよね? 私も、自由にして……。 5年後。 私は、ある事情から生まれ育った祖国を離れ、 親切な冒険者パーティーと、その地を治める辺境伯様のご家族に守られながら、 今日も幸せに子育てをしています。 だから貴方も勝手に、お幸せになってくださいね。 私のことは忘れて……。 これは、お互いの思いがこじれ、離れ離れになってしまった一組の夫婦の物語。 はたして、夫婦は無事に、離婚を回避することができるのか?

幼馴染の王女様の方が大切な婚約者は要らない。愛してる? もう興味ありません。

藍川みいな
恋愛
婚約者のカイン様は、婚約者の私よりも幼馴染みのクリスティ王女殿下ばかりを優先する。 何度も約束を破られ、彼と過ごせる時間は全くなかった。約束を破る理由はいつだって、「クリスティが……」だ。 同じ学園に通っているのに、私はまるで他人のよう。毎日毎日、二人の仲のいい姿を見せられ、苦しんでいることさえ彼は気付かない。 もうやめる。 カイン様との婚約は解消する。 でもなぜか、別れを告げたのに彼が付きまとってくる。 愛してる? 私はもう、あなたに興味はありません! 一度完結したのですが、続編を書くことにしました。読んでいただけると嬉しいです。 いつもありがとうございます。 設定ゆるゆるの、架空の世界のお話です。 沢山の感想ありがとうございます。返信出来ず、申し訳ありません。

『有能すぎる王太子秘書官、馬鹿がいいと言われ婚約破棄されましたが、国を賢者にして去ります』

しおしお
恋愛
王太子の秘書官として、陰で国政を支えてきたアヴェンタドール。 どれほど杜撰な政策案でも整え、形にし、成果へ導いてきたのは彼女だった。 しかし王太子エリシオンは、その功績に気づくことなく、 「女は馬鹿なくらいがいい」 という傲慢な理由で婚約破棄を言い渡す。 出しゃばりすぎる女は、妃に相応しくない―― そう断じられ、王宮から追い出された彼女を待っていたのは、 さらに危険な第二王子の婚約話と、国家を揺るがす陰謀だった。 王太子は無能さを露呈し、 第二王子は野心のために手段を選ばない。 そして隣国と帝国の影が、静かに国を包囲していく。 ならば―― 関わらないために、関わるしかない。 アヴェンタドールは王国を救うため、 政治の最前線に立つことを選ぶ。 だがそれは、権力を欲したからではない。 国を“賢く”して、 自分がいなくても回るようにするため。 有能すぎたがゆえに切り捨てられた一人の女性が、 ざまぁの先で選んだのは、復讐でも栄光でもない、 静かな勝利だった。 ---

【完結】これをもちまして、終了とさせていただきます

楽歩
恋愛
異世界から王宮に現れたという“女神の使徒”サラ。公爵令嬢のルシアーナの婚約者である王太子は、簡単に心奪われた。 伝承に語られる“女神の使徒”は時代ごとに現れ、国に奇跡をもたらす存在と言われている。婚約解消を告げる王、口々にルシアーナの処遇を言い合う重臣。 そんな混乱の中、ルシアーナは冷静に状況を見据えていた。 「王妃教育には、国の内部機密が含まれている。君がそれを知ったまま他家に嫁ぐことは……困難だ。女神アウレリア様を祀る神殿にて、王家の監視のもと、一生を女神に仕えて過ごすことになる」 神殿に閉じ込められて一生を過ごす? 冗談じゃないわ。 「お話はもうよろしいかしら?」 王族や重臣たち、誰もが自分の思惑通りに動くと考えている中で、ルシアーナは静かに、己の存在感を突きつける。 ※39話、約9万字で完結予定です。最後までお付き合いいただけると嬉しいですm(__)m

虚弱体質?の脇役令嬢に転生したので、食事療法を始めました

たくわん
恋愛
「跡継ぎを産めない貴女とは結婚できない」婚約者である公爵嫡男アレクシスから、冷酷に告げられた婚約破棄。その場で新しい婚約者まで紹介される屈辱。病弱な侯爵令嬢セラフィーナは、社交界の哀れみと嘲笑の的となった。

何もしない公爵夫人ですが、なぜか屋敷がうまく回っています

鷹 綾
恋愛
辺境公爵カーネル・クリスの妻となったフィレ・バーナード。 けれど彼女は、屋敷を仕切ることも、改革を行うことも、声高に意見を述べることもしなかった。 指示を出さない。 判断を奪わない。 必要以上に関わらない。 「何もしない夫人」として、ただ静かにそこにいるだけ。 それなのに―― いつの間にか屋敷は落ち着き、 使用人たちは迷わなくなり、 人は出入りし、戻り、また進んでいくようになる。 誰かに依存しない。 誰かを支配しない。 それでも確かに“安心できる場所”は、彼女の周りに残っていた。 必要とされなくてもいい。 役に立たなくてもいい。 それでも、ここにいていい。 これは、 「何もしない」ことで壊れなかった関係と、 「奪わない」ことで続いていった日常を描く、 静かでやさしい結婚生活の物語。

婚約破棄されたその後は、何も起きない日々でした

ふわふわ
恋愛
婚約破棄―― それは、多くの令嬢にとって人生を揺るがす一大事件。 けれど彼女は、泣き叫ぶことも、復讐に走ることもなかった。 「……では、私は日常に戻ります」 派手なざまぁも、劇的な逆転劇もない。 彼女が選んだのは、線を引き、基準を守り、同じ判断を繰り返すこと。 王宮では改革が進み、領地では生活が整えられていく。 誰かが声高に称えられることもなく、 誰かが悪役として裁かれることもない。 それでも―― 混乱は起きず、争いは減り、 人々は「明日も今日と同じである」ことを疑わなくなっていく。 選ばない勇気。 変えない決断。 名を残さず、英雄にならない覚悟。 これは、 婚約破棄をきっかけに 静かに日常を守り続けた一人の令嬢と、 その周囲が“当たり前”を取り戻していく物語。 派手ではない。 けれど、確かに強い。 ――それでも、日常は続く。

断罪中、味方が多すぎて王子が孤立している件について

夏乃みのり
恋愛
バーンスタイン伯爵家の令嬢ラミリアは、魔力も剣の才能もない「ごく普通」の地味な女性。 ある日のパーティーで、婚約者であるジェラルド第二王子から「地味で無能で嫉妬深い」と罵られ、身に覚えのない罪で婚約破棄を突きつけられてしまう。 しかし、断罪劇は予想外の展開へ。

処理中です...