現聖女ですが、王太子妃様が聖女になりたいというので、故郷に戻って結婚しようと思います。

和泉鷹央

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聖女と奴隷

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 ――九月。
 大陸の沿岸部から吹いてくる東風が、季節の終わりを告げていく。 
 レブナスは比較的季節が安定した国だ。
 夏と冬が同じほどあり、その分だけ冬のたくわえが貴重なものとなる。
 それは分かっているんだけど――ライラは事務机の上でふうっと一息、後ろで警護している部下に聞こえないように息を吐いた。
 ここが他の部下のデスクから離れた、独立した部屋で良かったと思いながら。

「溜息になりそうだけど……」
「どうかなさいましたか、聖女様?」
「いいえ、何でもないのよ、何でもない。うん――」
「はあ、さようで」

 警護の男性が不思議そうな顔でこっちを見ていて、ライラは何となくやりづらい。同性の侍女たちや女神官たちはいるが別の仕事を任せているし、管理者としての自分から個人の顔をさらけだすのは何か違う気もする。もうすぐ、自分はいなくなる存在だし――年末か、早くても年始あたりには王太子アスランとの結婚式が待っているだろう。
 正妃ではなく、妾として王族に入ることになる。

「ええ、そうなのよ」
「もうすぐで王室に入られることへの不安など?」
「いつか話すわ……それより、彼は遅いわね」
「時間には正確な騎士ですから、もう間もなくくるでしょう」
「そう……」

 誰かの一番ではなく、二番目の女として、かあ。
 ……それを聞いてから十年経つけど、面白くないなあ。
 これはこれで贅沢な我がままかもしれない。
 それは理解してるけど―――やっぱり心はあの日から晴れることはなかった。

 そんなことを思っていると、ドアがノックされた。神殿騎士の一人がやって来る。手に書類の束などを持っているところを見ると、どうやら報告というよりは相談らしい。
 物資補給を担っている騎士の一人、グラント上級騎士だった。
 まだ若い神殿大学出身の彼は、卒業席次が二番目だったとか。そんな優秀な人材がここにいていいのかしら? 神殿が王国から拝領している経営地の管理室なんかに? 配置を間違っていない? ライラは大神官の人材育成能力にいくばくかの疑問を抱きながら、グラント上級騎士を迎えていた。

「よろしいですか?」
「どうぞ。グラント、いつも言ってるでしょこの部署ではかしこまる必要はないって。もっと気楽にやって頂戴」
「そうは言われても聖女様ですから、それに、上司ですし」
「年齢はあなたよりも下ですよ。もうすぐ、私の聖女の任期が終わります。その次にここに座るのはグラント。多分、あなたよ」
「ここが他の誰もいない部屋で良かった。ああいえ、リー騎士長はそちらにいらっしゃいますが」
「彼の口はまるで金庫の扉みたいに固いから気にすることはないわ。私も本当はこんなことを言いたくないの。あなたに心理的な負担をかけても申し訳ない」
「お気になさらないでください。これも神に仕えることを決めた者の責務ですから」
「立派な返事をありがとう。それで、何かしらその書類の束は?」
「ああ、これですか。実はその――雪竜が出まして。今年は数が多い。それで相談に来ました」
「雪竜が……。また問題になりそうね。何頭かしら、例年だと三頭がいいところでしょう?」

 まだ青年というには若い、自分より二歳ほど年上の彼は顔を困ったように曇らせていく。これは本当に問題だわ、本日二度目のため息を――今度は心の内で――つくと椅子に座りなおして報告に耳を傾けた。

 雪竜は王国の北部。
 ファイガ山脈の一角に棲むといわれる竜族の一種。
 白い身体に黒い斑点を持ち、それが雪山の中では天空から訪れる彼らを教えてくれる。
 真冬の深夜に白い燐光が天空を泳いでいると、それが彼らだとわかることもある。雪竜は冬の到来を告げると同時に、その年の雪の深さ。冬の過酷さを教える存在としても、この地方では知られたモンスター。

「昨年は四頭。これで神殿の領地の半分が雪の被害を受けました。王国のほぼ北西に我が神殿の土地はあります。今年は――十頭が観測されたと報告がありました」
「十頭……。また深い冬になるわね、凍死者や餓死者が出ないようにしなければ」
「しかし、その備蓄が足りません」
「足りない? 毎年のたくわえがあるはずでは?」
「それはその――王令により先の結婚式の食材提供として三割ほどを出してしまっています」
「そんなに提供を求められた? あれは私の知る限り、一割未満だったはず。この夏終わりの収穫で補填できる予定だったでしょう?」
「聖女様の御結婚の為にと、先立って多くを王国側が求めたようです」
「……」

 盲点だった。
 自分の結納金として王家が要求したことは想像に難くない。見栄だけは張りたい国王はさぞ頭を絞って考えたのだろう。諸外国を招くことだけでも二世紀ぶりだったのに、いまになって豪華絢爛な結婚式を披露した彼の考えが今一つ理解できないけど――これでは神殿が面倒を見ている国民が飢える現実が待っている。
 なんでそうなるのよ……ライラの心労は溜まるばかりだった。
 
「御存知だったかと」
「いいえ、知らなかった。いま初めて知ったわ……そう、あの各国を歓待した費用はどこから出たかと思ったら、ほとんどは神殿が蓄えていた財産から切り出されたものだったの……」
「国王様はなるべく、国益を優先したいのか、と」
「そんなことはどうでもいいわ」
「良くはありません、来年からはあなたもその一員になられる。聖女様……どうしますか?」
「……その生意気な口を閉じなさい、グラント。優秀で切れる頭でも、言葉使いを間違えたら失脚するわよ。いい?」
「肝に銘じておきます」
「では報告を。どれだけの民が飢えそうなの?」
「ほぼ、西北の村々、十二村になりそうですね。あの辺りは農奴が多く、収穫もなかなか改善が見込めない土地です。ほぼ、猟によって食いつないでいる貧村ばかり」
「また農奴、ね。その土地の管理している担当神官は?」
「……聖女様の御名義で、翌年からは王家の管理地になるかと」

 そう……自分の名義なんだ。
 神殿の財産を勝手に個人名義にすることは出来ない。それが可能なのは王族と対等の扱いを受ける自分か、神官長以上の存在だけだ。
 誰がどうしてそうしたかは分かるけど。不良債権をさっさと手放したい、か。
 賢いけど、嬉しくないですわ、大神官様。
 ライラは最上位の長の考えが手に取るように分かってしまった。

 貧村群を王家の土地にすることで、住んでいる農奴たちは王家の保護を受けれるようになる。王家はとにかく財産を欲しがっている。奴隷は良い財産だから、拒否はしないだろう……住んでいる農奴が死ねば王族の恥になるから、状況も少しは改善されるだろうと大神官は考えたに違いない。
 それにしても、自分を政治の道具にするなら相談くらいしてくれればいいのに。
 近いうちにいまいる西の教会から、王都の神殿に行かなければだめかな。
 会話が足りない気がする。

「グラント。他に私の名義の神殿の管理地は? ありますか?」
「この西の分社のある、クレドの城塞都市が一応は聖女様の管理であり、御名義ですが……」
「では、こうしましょう」
「は?」

 ライラがとった手段は――即日の農奴の身分から一つ上の自由農民への彼らの解放と、比較的豊かで人を数百二ンなら受け入れることのできる城塞都市クレドへの移住を命じること。

「陛下は文句を言うかしら?」
「どうでしょうな……既に結納金を納めているならば、拒否はされないかと。しかし、財産が減りますぞ、奴隷を解放してもよろしいので? 他の土地の者たちも声を上げそうですな。ついでに、神官長たちの怒りの非難の声も上がりそうだ」
「あなたはいつも私の心配を第一にしてくれるのね、リー騎士長?」
「もう五年目になりますからな。こうして後ろであなたのやり方を拝見してきた。尊敬はしますが不満はありませんよ」
「ありがとう。……あと、数か月。助けて下さいな――この寿命が尽きるまで」
「かしこまりました、我が主」

 グラントの報告と農奴の解放の手続きを終えたあと、ライラは執務室でそう彼――リー騎士長に語り掛ける。感謝に満ちたその言葉は、倍は年齢の離れた誇り高い騎士にとって素晴らしい宝物だった。
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