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第二章 黒狼と撃癒師

第20話 撃癒師と妻の告白

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 医者という職業柄、女性というものに対してある程度のことは知っている。
 人体という言い方で言うならほとんど知っている。
 結婚した男女が、恋愛した男女が、もしくは望まない形で。
 そういった行為を行った男女がどうやって子供を授かるのかもちゃんと知っている。

 カールだって年頃の少年だ。
 女性に対して疚しい気持ちが起こらないはずがない。

 理不尽な形ながら、自分の妻となった女性がいて、彼女はとても魅力的で女性としても妻としてもその全てを受け入れたいぐらい大好きになれそうで。
 たぶん自分の人生でこれ以上の女性に出会うことは二度とない。

 穴の中で彼女と目が合った時、その鈴が鳴るような凛とした声を聞いた時。
 天啓のような、神託のようなものを感じた。
 この女性と添い遂げたい。

 いわゆる運命の相手というやつだろうか。
 その願いがかなえられたと言ってしまったら、イゼアの行いに怒れなくなるが……。

 とりあえずは魅力を間近で感じて理性を保てる自信がない。
 もう少し時間が欲しい。
 彼女を知る――深く知ることのできる時間を与えてほしい。

 自分の発言に恥じて目の前で顔を真っ赤にして狼狽えているサティナは……本当に可愛い女性だった。

「みんなの前で言いそびれたけど」
「はいっ! な、なんでしょうか……カール」

 そう言うと、彼女は飛び上がる。
 靴のまま、ベッドの上に正座してしまった。

 それを指で指摘すると、再び、顔を赤く染めていそいそと靴を脱ぎ、床上に並べる。
 ちょっとした間を置いて、カールは告白するように告げた。

「家族なの」
「そう、ですね」
「君は怒るかもしれないんだけど」
「……はい?」

 サティナの笑顔がちょっと翳った。
 機嫌を損ねないように、気を付けて気を付けて……。

「あのさ、サティナのことをちゃんと、ちゃんと受け入れようと思うんだけど。貴族には貴族のしきたりっていうものがあって……わかる、かな」
「つまり。いえ、そんな!」

 あきらかに狼狽した素振りを見せながら、サティナは大きく両手を開いてこちらに向ける。
 なんだか申し訳ないっていう感じに見えてこちらが申し訳ない。

「ちゃんとした手続きを取らないと結婚できないんだ。それには上司の許可とか貴族院に対する申請とかいろんな手続きがあって。あと、身分っていうものちょっと問題があって」
「はい……」

 どうしよう。言葉を重ねるごとに彼女の表情が暗く陰鬱なものに変わっていく。
 いやいや待ってほしい。
 そんな素振りをとって欲しくて言ってるわけじゃないんだ。

 カールは必死に考える。
 頭の中で色んな事柄が音を立てて過ぎ去っていく。
 まるで嵐の中にいるような感覚に陥った。

「まず、どこかの貴族の養女になるか。爵位を買い取って」
「え? 爵位?」
「貴族は貴族としか結婚できないから。僕の上司に当たる伯爵様か近しい知り合いに頼み込んでサティナを養女にしてもらうと、貴族席に入れるから」
「ああ……」
 なるほど、と肯く彼女は冷静になりつつあった。
「それと、もう一つの方法は爵位を買う」
「つまり、どちらにしても私は貴族になる?」
「まあそういうことになるね。僕と結婚するならそうなる。イゼアに約束したし、中途半端な関係にはしたくないんだ。だけど問題があって」

 そこでカールは大きく俯いてしまった。
 自分には……。
 宮廷での自分の評価は低い。

 撃癒師として王族の医療を担当することもある。
 けれど、この内向的な性格が災いして、親しい友人にも事欠く始末だ。
 ついでに撃破スキルを極めたことで撃癒を手に入れたが、その過程でも問題が生じた。

 カールはそれを隠さずにいたかった。
 でも今は知り合って、たった一日。
 隠し事をするには十分すぎる時間。

 裏切りをするにも、悪さを企てるにも、十分すぎる時間だ。
 だけど、本当のことを伝えるには心の距離感がまだまだ遠い。
 信頼を得るって大変だな。
 今ばかりはそのことを嫌という程、思い知らされた。

「それは私が聞いてもいいことですか?」
「え? いや、うん。だけど、多分、その。幻滅するか、と」

 そう言ったら彼女はむっとした顔になり、頬を膨らませて反論する。

「それは私が決めることです」
「それはそうなんだけど……嫌われたくない事ってあるじゃない? でも隠すには一緒に生活していたらいつか分かることだし」

 歯切れの悪い夫のセリフに、サティナは苛立ちを覚えた。
 もうここまで来てしまったのだ。
 男性としてちゃんとしてもらわないと困る。
 はっきりとした物言いをしないカールは好きになれない。

 その辺り、直情的な自分と隔たりがあると感じた。
 この心の溝をあっさりと飛び越えて行きたいのに――。
 まずは年長である自分が落ち着こう。そう決めた。

 彼にはまだまだ時間が必要なのだ。成長するための時間が。
 そう思えたらなんでも我慢できる気にもなれる。

「嫌いません。あなたがそれを恥ずかしいと思っても笑いません。でも、声にしないと思いは伝わらないですよ。嘘も思っていて、相手に伝わっていても。侮辱だってそう。言葉にしないと絶対に伝わりません。良いことも、悪いことも。だから、人は言葉を使うのだと思います」
「そうだね。精霊とは思いで伝われるんだけど。人は難しい」

 聞き違えたら、相手によっては誤解を招きますよ、その一言。
 そういったところも彼の困った一面であり、また、個性だ。
 仕方ない人、と苦笑する。

「それで、どんなことですか。分かるように話してくださいね、カール」

 故郷を捨てて来た。
 もうここで迷う必要はない。
 サティナは力強く夫を促した。

「……僕は何というか。勝負をしたくないんだ」
「ふんふん。それはなぜ?」
「勝ってしまうから」

 誇らしい事だ。誇ればいいのに。
 卑怯な手段でも使うのかと、穿ってしまう。

「どんな強い相手でも、必ず緊張を緩めるというか。力が集まったとき、どんなものでも一瞬だけ――その、止まるんだよね」
「なるほど」
「それで、僕が習った治療スキルは撃癒っていって」
「少しだけ聞きました。最高位の撃破スキルだとも」
「そこなんだよね。……撃癒ってどんな怪我も病気も根治するんだ。二度と再発しないように健康の状態に戻すんだけど」
「凄いことですね。カールは素晴らしい治癒師だと思います。本当に」

 褒められて、心に余裕ができた。
 カールはふんわりとした何かに包まれた気がした。

 認められることがこんなにも心地が良いなんて。
 他人がうぬぼれる時に陥る罠がそこにもあるように覚える。自戒した。そうならないようにしようと。

「つまり撃癒を使ってことはある方面での極点を極めることになるわけで」
「落ち着いて!」
「うん……。僕の二つ名があるんだ」

 ああ、説明になってない。
 カールはとりとめない内容の言葉の羅列をどうにかしようと躍起になる。
 その度に、心臓が早鐘のように鳴り打って、頭がおかしくなりそうだった。

「知りたいです。ゆっくりでいいですよ、旦那様」
「終わりの極みって意味で、『終極』。でも、そこには僕の弱さっていうか。治癒を極めたけど、戦いから逃げる臆病者って意味もあるって」
「誰かに言われました?」
「師匠に……。もう死んだんだけど」
「そうですか。逃げてきたって?」
「これは偽りとか自惚れじゃなくて。僕は強いんだ。素手の拳闘なら、そうそうは負けないと思う。誰にでも」

 へえ、と、サティナは嫌味なく、素直に受け取る。 
 誇大的に発言しているとしてもカールが嘘を言う人ではないと思えたからだ。

 カールは更に発言した内容に恥じ入るように俯いてしまう。
 内気にもほどがある、とサティナは少しだけ思った。

「負けないのに、逃げるの? どうして?」
「……どんな試合にも一撃で勝ってしまう、から。みんな最初は凄いって褒めるけど。段々と何か卑怯な手段を使っているとか。するたびに評価が下がっていく」
「だから――戦わない? でもそれでいいのでは? 治癒師なのですし」
「駄目なんだ。呆気にないから。誰も何が起こったか分からない。聖女様の奇跡のように、神々しい余韻も無い。ただ、治るだけ。ただ、勝つだけ。誰も信じなくなる」
「でも――私も、この船の人々も、ケリーさんも、イライザさんも。みんな、旦那様を。カールを認めていますよ」
「それは本当に珍しいことだから。普通は何か別の奇跡が起きてたまたまうまく行ったんだって誰もが、考える。それくらい、あっという間だし。だから、撃癒を極めようって人も減ってしまって。その意味でも、多分」
「もしかして――」

 カールは小さく首を縦に振った。
 認めたくない事柄のように辛そうな瞳を妻に向けた。
 それは自分以外誰も知ることのない孤独に悩んだ人間の瞳だった。

「うん。僕で終わると思う。その意味も込めて僕は『終極』なんだ」

 一瞬で終わってしまう試合。
 一瞬で終わってしまう治療。

 たった一撃であっさりとのされてしまったら、どんな調節だって嫌気がさすだろう。
 おまけに彼のこの内気さだ。

 謙遜が過ぎると、それが嫌味になる。
 嫌われる原因がどこにあるかはよく分かった。

 もし複数の医療関係者がそこにいれば、患者は他の人間が魔法かけてくれたものだと勘違いするかもしれない。
 認められないことの苦悩に彼はずっと際悩まされてきたのだ。

「カール。私はもうあなたの家族。そのことを忘れないで」
「うん……ありがとう」

 彼の謙遜は病的だ。
 それを治すには誰かの力がいる。

 俯いていたら時には叱り、時には共に涙する。喜び合える仲間が。
 考えてみたら、カールはまだ十四歳なのだ。

 その地位といい扱う魔法の偉大さといい。
 彼は重責を担うには十分すぎるくらいに苦しみ、悩み、そして。まだ若すぎる。

「若いということはそれだけで宝物だと、人は言います」
「え? それがどうかしたの」
「若い時はもっともっと誰かを頼るべきです。恥をかいてもいいじゃないですか。あなたはそんなに頑張ってるんだから。私はもっと頼られたい!」

 頼っていいのかな。
 けれどなんて言ったら、今度は手のひらで頬を打たれそうだ。

「まあその。僕もそうしたいんだけど。とりあえずよろしくお願いします」
「はい。もちろんです。ところで中途半端な関係にしたくないってどういう意味ですか」

 おっと。話が戻ってきた。
 正妻にできるかどうかわからないって、今言ったら本当に殺されそうだ。
 ごくり、と喉が鳴った。覚悟を決める。

「僕には友人や知人がほとんどいないから結婚式に呼べる人も少ないと思う」
「はい。わかりました」
「……だから誰かの養女になるっていうのも、もしかしたら難しいかもしれない。みんなにバカにされてるから断られる可能性がある。こんな僕でごめん」

 怒るかと思いきや、サティナはちょっと思案してから答えた。
 あのドラゴン、と妻は部屋の隅においてある革袋を指差す。

「封印したドラゴンの魔石と、死体を売れば。どれくらいの価値がありますか」
「いや……あれほど大きな魔石はそうそう市場に出回らないから。死体にしても高い値段がつくと思う。大金貨十枚にはなるかな」
「魔石の方はどれくらいに?」

 魔石は……どうだろう。
 宮廷には魔石彫金師という職人がいる。
 魔石に紋様を施し、金などで彩色などをする宝飾職人たちのことだ。

 彼らの手によって細工が施された魔石は瘴気を放つことなく、上等な魔導具となる。
 普通の魔石よりも何倍もの魔力を封じることができるそれは、魔法使いや騎士、冒険者たちに飛ぶように売れた。
 魔力が尽き果ててもそれがあれば魔法を使うことができるからだ。
 魔石彫金師の市場に出品すれば、貴族籍を購入するのに十分すぎる代価が手に入る。

「両方売れば、サティナの貴族籍を購入することは難しくないよ。それどころか神殿で聖女様に祝ってもらうぐらい代価が入ってくると思う」
「ではそうしましょう。私はあなたのそばにずっといたいです」
「うん……」

 生まれて初めての女性からの告白に、カールは頬が火照ってしまい、どうしようもない。
 ベッドの中に隠れてしまいたい気分だ。
 それを許してくれないのもまた、サティナの魅力で――。

「夕食、食べに行きましょうか」
「うん……」

 今夜は長い夜になりそうだった。
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