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第四章 ワニと女神と絶対領域

第37話 黒狼の意地悪

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 賑やかな人間の周囲には、賑やかな連中は寄ってくるもんだ。
 自分が果たしてその場所にいる資格があるのかどうかとカールは激しく首をひねりながら、黒狼の女性二人に眠の魔法を解除して目覚めた元船医ローゼ、妻とともに食事を摂っていた。

 ローゼはまだ籍にも入っていないから、妻の立場は適用外だ。
 会食形式の朝食では、大きなテーブルが食堂の入り口横に並べられ、所狭しと料理が並んでいる。

 一般客の層ではこれほど手の込んだ料理は用意されないだろうことに心を痛めつつ、カールはサティナに左腕を、ローゼに右腕を貸しながら両手に華、といった出で立ちで入ったために、まず注目を浴びた。

 カールの薄い空のような青い髪、その身を包むのは宮廷に奉仕する役人しか袖を通せない裾の長い灰色の外套。
 サティナの絹のような光沢を放つ銀髪と額の藍色の飾り布、若草色の目にも鮮やかな長衣。

 そして、ローゼの燃えるほどに紅い真紅の髪は、否が応でも注目を浴びた。
 ちなみに彼女だけは黒いパンツに生成りの白シャツと、船医の上着脱いだ状態だ。

 十数時間、魔法によって半ばむりやり睡眠状態におかれていたローゼは、それだけで体力を消耗している。

 しかし彼女が目を覚ましたら、最初の挨拶は「これからよろしくお願いいたします……旦那様」だった。

 憎しみと悲しみと復讐と、そしていくばくかの安堵感のこもった挨拶だった。
 自分を弄んだ侯爵に対する怒りの炎は消えていないし、それでも身の安全を守るためにはカールの命令を訊くしかない。

 おとといまで平民だった彼女の身分は、侯爵の手によって奴隷に堕とされてしまったのだから。
 いまや彼女は、カールに買われたといってもいい、物なのだった。

 もっとも、その「物」を側室にすると公言し、受け入れることでローゼの窮地を救ったのは、サティナの機転だったが。
 そういう意味で、カールは王国のしきたりにしたがって女性二人をエスコートしている。

 正妻は左側。心臓に近い位置に。
 側妻は右側。利き腕を守る位置に。
 三人目以降がもしいるとしたら、その後ろに……ということになるのだが。

 今のところその心配はなさそうだ。

「やあやあ、これはこれは。撃癒師様ではありませんか、どうぞどうぞこちらの席へ」

 レストランに入るなり目ざとくカールたちを見つけたのは、船長とその部下たちだった。
 貴族区のここで何をしているのかと思った。

 普通、船長や上級幹部は別々に食事をする。
 船長は自室だし、幹部は船員用の幹部食道というように。
 演習で、海軍の船に乗り合わせたときは、そんな感じだった。

 しかしこの船はあの時の軍艦ほど巨大ではないし、船員の数も少ない。
 一般の船員と区別するように、ここで食事をするのだと、船長は簡単に教えてくれた。
 そうこうしていたら、天敵がやってきた。

 黒狼族……王都四大マフィア、ブラックファイアの娘とそのボディーガードだ。
 カールが小オオカミ、と苦手意識を持つイライザは、その名の通り、黒い狼の獣人で、頭頂部とお尻に立派な狼の獣耳とふさふさの尾が特徴的。

 傍で立つ護衛の女性、ケリーもまた同様だった。

「あー、あそこにカールたちいるわよ! ねえ、ケリー! あっちに行きましょう!」
「イライザ。そんなにはしゃいではなりません」

 友達を見つけた感覚で、若い少女は手にしたお皿に料理をたくさん盛って、空いた手をこちらに向かいブンブンと振っている。

 その尾もまた、意思があるかのように嬉しそうに左右に激しく揺れていた。
 出会ったときは白いワンピースだったが、本日はシックなタイトミニの黒と白の小さな格子柄のワンピースになっている。

 裾がローゼの髪ほどに紅い色糸で縁どられ、胸元をリボンで締めるタイプだ。そこには同系色の赤い大きなリボンが後に付いていた。

 カールがそちらに目をやると、イライザのはしゃぎっぶりを申し訳なさそうにして、ケリーが軽く頭を伏せる。

 許可を出すまでもなく二人はこっちにやってきて、あっという間に船長たちの座っていた、十数人掛けの長テーブルは一杯に埋まってしまった。

「おはようございます。撃癒師様? アルダセン男爵様、朝から御二人もご婦人たちに囲まれて華やかね?」
「おはよう、黒狼のお嬢様。祭りのような騒々しい御身も、今朝は清楚なドレスに身を包んでおられますね? 花の蕾も美しいものだ」

 カールの斜め前に腰を下ろしたイライザの見た目は、人間でいうと六歳ほどの幼女だ。
 獣人族は見た目と年齢が比例しないから、実は十六歳だとうそぶかれても信じるほかにない。

 見た目が自分よりも若い少女に年上のお姉さんよろしくされて、カールの内面は穏やかにはなれなかった。
 年が近いということもあるのだろう。カールは「小オオカミ」と言葉には出さないが、そう心であだ名をつけて、イライザをからかう節がある。

 花の蕾――つまり、まだレディになれていない、背伸びをした少女の様だ、と遠回しに言われたと気づき、イライザはショックを受けた顔する。

 イヌ科の動物が、予想外のできごとに衝撃を受けて、口をあんぐりと開けるのと同じ仕草に、さすが、黒狼、とカールはにたり、と悪い笑みを浮かべた。

「あ、あ……!」
「イライザ。レディはそのような些細なことで動揺しません」
「あ……ううっ、分かってるわよ! うちの弟たちと変わらない年齢だから仕方ないわよね。小さいし」

 ぽつり、とカールから目を逸らしてあらぬ方向に向かい、しかし、声は彼の耳に届くように伝える。
 気にしている低身長のこと言われて、カールの笑顔は凍った。

 そんな二人の会話に割って入るようにして、それまでずっと黙っていたローゼが口を開く。

「旦那様。食事中でございます」
「あ。はい……」
「奥様もいらっしゃいますよ」
「うん」

 まだ確認したわけではないが、ローゼの所作にはどことなく上品なものがある。

 それは医師となるために学校で学んだものかもしれないが、男勝りな口調を捨て、怜悧な理論家として行動すれば、ローゼは宮廷でもそれなりにやっていけるだろう。

 そんなわけだから、感情を抑制したその指摘は、母親にしかられる感覚を、まだ若い少年少女に与えた。

 夫のすることになるべく口出しをしないでおこう、とサティナは最初からそんな立場だ。
 自分とローゼで上手くやれば、カールのサポートをもっと向上できるし、彼の将来に貢献できると思ったのか、何も言わないままそうそう、と静かに肯いてみせた。

「あら、劣勢ね?」
「うるさいなあ、もう……」

 クククっと手元に片手を寄せて次にほくそ笑むのは、イライザの番だった。
 女性二人を左右に侍らせているのに、その年齢差もあってか、どう見ても妻と夫には見えず、歳の離れた姉、弟、その侍女、としか映らない。

 自分のことはさておき、幼いって大変ね? と、イライザはイメージの中でカールの頭をヨシヨシと撫でながらいいお姉さんを演じるのだった。
 
 
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