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第一部 序章
第1話 撃癒師、逃亡する
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天高く馬肥ゆる秋。
どこの誰が言ったか知らないが、そんな言葉が似合いそうな茜色の秋の空。
視界に広がるのは一面の麦畑。
黄金の麦穂が風に揺れている。そして――天高くドラゴンが吠えた……。
轟雷が天地の境を無くしたように鳴り響いた時、カールは風下にいた。
稲光が灼熱の帯となって大地を穿つ。あとにのこったのは、赤い絨毯と化した麦畑。
そして、舞い上がる灰色の煙だった。
「嘘っだろ‥‥‥おいっ、おいおいおい」
まだ14歳と幼い少年はここにいることを後悔した。
ドラゴンのほうを見ると、燃え盛る炎の照り返しを受けて、どす黒い鱗がうねうねと輝いている。
前方は広い草原で、後はなだらかな傾斜がつづく丘。
どちらに行っても無事にはすまない気がした。
麦畑を焦土と変えるドラゴンブレスはさまざな標的に向けてはなたれている。
ついさっきまでここには平和でのどかな光景が広がっていたのに――。
最初は街道にいた旅人が犠牲になった。
続いて東の山々から吹き下りて来る東風が、山裾の西側に広がる穀物地帯を去っていくと、それを追いかけるようにして黒い小山のような猛獣が飛来した。
街道に沿って河川があり、対岸からの渡し船の船着き場にいた人々が、影だけを地面に残して消えた。
それほどドラゴンの吐息は火力の強いものだ。
あれにやられたら回復魔法をかけても……治癒すら及ばないかもしれない。
ドラゴンの嗅覚は鋭敏だ。隠れていてもいつかは見つかって、死ぬことになるだろう。
カールは恐怖に震えた。
そんな中、放出された熱が雨をよんだ。轟雷が耳をつんざいた。
もう少し待てば、大雨が辺り一面の熱を冷ますだろう。
急激な温度差は竜巻をうみだし、気まぐれに無作為に徘徊しては新たな被害をもたらす。
ドラゴンの目をごまかせるかもしれない。
いま隠れている場所は、小高い丘の側面に人の手で掘られた、穴倉だった。
狩り入れした穀物を乾かし、冬の厳しい寒さから作物が傷むのを防ぎ、時として食糧の貯蔵庫になるような、そんな場所だ。
街道から遠く離れたここは河川にも遠く、その分だけ自然に満ちている。
入り口の扉を固く閉じて簡易的ではあるけれど、土と風の精霊に命じてドラゴンに気配が漏れないようにすれば、立派な避難所と言えた。
しかし、カールは土地の者ではないし、旅装束だった。
供の者を連れていないし、馬はドラゴンの猛襲に驚きどこかに駆け去っていったので、もう戻ってはこないだろうと諦めている、そんな状況だ。
隠れている丘の辺りには農家や村といったものはなく、人気も街道から離れすぎていてまったく感じられない、そんな場所だった。
「参ったな。どうしたら……」
肝心の食糧や着替えは馬の鞍に縛ってあったから、いまは手元にない。
水は魔法で作り出せる。
ただ、魔法を使えばドラゴンに見つかるような気がした。
辺り一面が焼け野原になり、ドラゴンが気まぐれを起こして去ってくれなければ、ここから抜け出ることすらかなわないだろう。
「急患。行くんじゃなかったかも」
栗色の髪が青い瞳にかかる。
カールは絶望を浮かべて、薄暗い天井に呻いた。
ふと、左手首が鈍く光を放つ。
この国で治療師の資格を得た者に与えられる銀環だ。
カールはそれを撫でながら、深く熟考した。
どうすれば、ここから抜け出して無事に家に辿り着けるのか。
彼がこんな惨状に巻き込まれたのは、丘よりさらに西に行ったところに住む農家で、病人を助けて欲しいと街で頼まれたからだ。
その願いをしてきたのは、農家の者の縁者だという男。
見るからに貧乏そうな身なりをしている彼に呼び止められた時に、さっさと過ぎ去ればよかったのだ。
そうすれば、こんな山奥に来ることもなく、病人を治癒して支払われた額に気落ちすることもなく、ドラゴンに……天災のような存在に出くわすことも無かった。
はあ、と大きくため息をつき、少年は自分の腕輪を再度、見る。
そこには彼の身分と職位、そして、資格に合格すれば与えられる二つ名が彫られていた。
カール・アルダセン。職位は宮廷撃癒師。身分は男爵。
二つ名は『終極』
稼業である治癒師を継ごうと心に決めたとき、カールはあらゆる難病を根絶できる技を手に入れた。
十年の死と隣合わせにある厳しい修行を得て、ようやくたどり着いた殴打治療の最高峰。
それが『撃破』スキルに極振りした天元突破の理想形と言われる【撃癒】。
とはいえ、宮廷撃癒師となっても臆病な性格は変わらない。
武芸の達人なのに、ドラゴン一匹すら倒せない腑抜けた存在がいまのカールだった。
どこの誰が言ったか知らないが、そんな言葉が似合いそうな茜色の秋の空。
視界に広がるのは一面の麦畑。
黄金の麦穂が風に揺れている。そして――天高くドラゴンが吠えた……。
轟雷が天地の境を無くしたように鳴り響いた時、カールは風下にいた。
稲光が灼熱の帯となって大地を穿つ。あとにのこったのは、赤い絨毯と化した麦畑。
そして、舞い上がる灰色の煙だった。
「嘘っだろ‥‥‥おいっ、おいおいおい」
まだ14歳と幼い少年はここにいることを後悔した。
ドラゴンのほうを見ると、燃え盛る炎の照り返しを受けて、どす黒い鱗がうねうねと輝いている。
前方は広い草原で、後はなだらかな傾斜がつづく丘。
どちらに行っても無事にはすまない気がした。
麦畑を焦土と変えるドラゴンブレスはさまざな標的に向けてはなたれている。
ついさっきまでここには平和でのどかな光景が広がっていたのに――。
最初は街道にいた旅人が犠牲になった。
続いて東の山々から吹き下りて来る東風が、山裾の西側に広がる穀物地帯を去っていくと、それを追いかけるようにして黒い小山のような猛獣が飛来した。
街道に沿って河川があり、対岸からの渡し船の船着き場にいた人々が、影だけを地面に残して消えた。
それほどドラゴンの吐息は火力の強いものだ。
あれにやられたら回復魔法をかけても……治癒すら及ばないかもしれない。
ドラゴンの嗅覚は鋭敏だ。隠れていてもいつかは見つかって、死ぬことになるだろう。
カールは恐怖に震えた。
そんな中、放出された熱が雨をよんだ。轟雷が耳をつんざいた。
もう少し待てば、大雨が辺り一面の熱を冷ますだろう。
急激な温度差は竜巻をうみだし、気まぐれに無作為に徘徊しては新たな被害をもたらす。
ドラゴンの目をごまかせるかもしれない。
いま隠れている場所は、小高い丘の側面に人の手で掘られた、穴倉だった。
狩り入れした穀物を乾かし、冬の厳しい寒さから作物が傷むのを防ぎ、時として食糧の貯蔵庫になるような、そんな場所だ。
街道から遠く離れたここは河川にも遠く、その分だけ自然に満ちている。
入り口の扉を固く閉じて簡易的ではあるけれど、土と風の精霊に命じてドラゴンに気配が漏れないようにすれば、立派な避難所と言えた。
しかし、カールは土地の者ではないし、旅装束だった。
供の者を連れていないし、馬はドラゴンの猛襲に驚きどこかに駆け去っていったので、もう戻ってはこないだろうと諦めている、そんな状況だ。
隠れている丘の辺りには農家や村といったものはなく、人気も街道から離れすぎていてまったく感じられない、そんな場所だった。
「参ったな。どうしたら……」
肝心の食糧や着替えは馬の鞍に縛ってあったから、いまは手元にない。
水は魔法で作り出せる。
ただ、魔法を使えばドラゴンに見つかるような気がした。
辺り一面が焼け野原になり、ドラゴンが気まぐれを起こして去ってくれなければ、ここから抜け出ることすらかなわないだろう。
「急患。行くんじゃなかったかも」
栗色の髪が青い瞳にかかる。
カールは絶望を浮かべて、薄暗い天井に呻いた。
ふと、左手首が鈍く光を放つ。
この国で治療師の資格を得た者に与えられる銀環だ。
カールはそれを撫でながら、深く熟考した。
どうすれば、ここから抜け出して無事に家に辿り着けるのか。
彼がこんな惨状に巻き込まれたのは、丘よりさらに西に行ったところに住む農家で、病人を助けて欲しいと街で頼まれたからだ。
その願いをしてきたのは、農家の者の縁者だという男。
見るからに貧乏そうな身なりをしている彼に呼び止められた時に、さっさと過ぎ去ればよかったのだ。
そうすれば、こんな山奥に来ることもなく、病人を治癒して支払われた額に気落ちすることもなく、ドラゴンに……天災のような存在に出くわすことも無かった。
はあ、と大きくため息をつき、少年は自分の腕輪を再度、見る。
そこには彼の身分と職位、そして、資格に合格すれば与えられる二つ名が彫られていた。
カール・アルダセン。職位は宮廷撃癒師。身分は男爵。
二つ名は『終極』
稼業である治癒師を継ごうと心に決めたとき、カールはあらゆる難病を根絶できる技を手に入れた。
十年の死と隣合わせにある厳しい修行を得て、ようやくたどり着いた殴打治療の最高峰。
それが『撃破』スキルに極振りした天元突破の理想形と言われる【撃癒】。
とはいえ、宮廷撃癒師となっても臆病な性格は変わらない。
武芸の達人なのに、ドラゴン一匹すら倒せない腑抜けた存在がいまのカールだった。
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