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おけいこのはじまり

05 赤い馬に乗ってスイートルームに泊まりコンビニのおにぎりを食べる

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 赤色灯を回転させながら、エンジンの音が響いてきた。オフロードタイプのパトカーだ。

 ライトを無遠慮に浴びせながら駐車場に入ってきて、スミレたちの前に止まった。年かさのと、若いの。二人の警察官が降りて来た。

 スミレはずっと俯いたまま、立っていた。

「はい、こんばんは。ローリングしてるって通報があったのね。・・・あらら。これ、やっちゃったかあ。お兄さんが運転手さん? 免許証いいかな。・・・アンドーイチローさんで、いいかね」

「ハーイ。そーでーす」

 今までのサキさんとは違う、いかにもそれ風な、バカっぽい喋り方。お巡りさんをそんなにおちょくっていいのかなとハラハラする。

「そっちのカノジョ。名前だけ教えてくれるかな」

「・・・タチバナ、スミレ」

 スミレはサキさんに言われた通りに本名を名乗った。

「歳は?」

「ハタチ」

「あれかな、ラブラブデート中に、ちょっと遊んじゃったと。そんな感じかな」

「そーでーす」

 サキさんは満面の笑顔で目をパチクリさせながら、年かさの警官を小馬鹿にした態度を取り続けた。

 てっきり、例の「外交官特権」というものを振りかざして難を逃れるものとばかり思っていた。しかし、サキさんは一切、そんなものを出さなかった。

 年嵩の警官はさすがにベテランらしく安易に挑発に乗ることはなかったが、やはりちょっと、怒っていた。

「・・・あのねえ、アンドーさんねえ、ワタシらも仕事で来てるんだけどねえ、市民の皆さんが安心して暮らせるようにってね、使命感っていうかなあ、そんなのもあるわけですよ。それなのにそういうタイド取られるとねえ、アンドーさんが気分を悪くすることもお願いしなきゃいけない。ちょっと、車、見せてもらっていい?」

 年かさの警官の指示を待たず、若い方の警官がさっそくべこべこになった車の中を捜索し始めた。薬物に関係した事件かどうか。こういう場合、それが警官の行動のセオリーになっているのを、スミレは知っていた。一度目の退学の原因になったのが、相手の男の薬物使用が絡んだ事件に巻き込まれたからだった。相手がジャンキーだったのを知らなかったのだ。

「だいぶやっちゃったみたいだけど、これ自走出来るの?」

「ダメみたいですゥ」

「で、車動かなくなって、ここで何してたの?」

「彼女とエッチしてましたー」

 エヘッ、と笑うサキさんに、さすがの警官もあきれ顔で、スミレにも一瞥をくれ、

「・・・あんたらねえ・・・」と溜め息をついた。

「おい、どうだ、エンジンかかるか」

「いや、ダメみたいスね」

 車内の捜索を終えた警官が答えた。

「おまわりさーん。お願いがあるんですけど、麓まで載せてってくださいよー。クルマ、あんなになっちゃったしさー」

 まるで鼻くそでもほじりながらのような体で、サキさんはのん気に宣う。

「麓までどころか、ちょっと署で一服してもらわにゃいかんけどねえ」

「あ、それって、ニンイドーコーっすネ? ニンイドーコー!」

 嬉しそうにサキさんは言う。

「・・・そうです!」

 呆れを通り越して激怒に発展しそうな勢いの年かさ警官をさらにおちょくりながら、サキさんはスマートフォンを取り出した。

「じゃあ、ベンゴシ呼んでいいスか、ベンゴシ」

「・・・好きにしてくださいもお・・」

「あ、で、そっちのおまわりさんさあ、彼女、ぱんつ脱いでどっか無くしちゃったんだよねえ。探すの手伝ってよ。いいでしょ? ボクらだって税金払ってるんだし。ほら、睨んでないで、探してよ。真っ赤な、めっちゃエロい、Tバックのヤツだからね。見つけてもニオイ嗅いだり、こっそりポケットとか入れないでよね。・・・あ、センセー。アンドーですゥ。またやっちゃいましたー。よろしくおねがいしますぅ、・・・ショカツ?  ああ。おまわりさんたち! あんたたちの所轄署って、どこ?」

 明らかにサキさんはワザと警官たちを怒らせようとしていた。タイホとまでは行かないにしても、パトカーに乗せられて警察署まで。要は、早く自分たちをここから連れ出させようとしていた。

 パトカーが近づいてきた時、サキさんがスミレのショーツに石を巻き付けて遠くへ投げ、さらにボンネットを開けてバッテリーのターミナルを外した理由がやっとわかった。


 

 サキさんと二人、パトカーの後部座席に乗せられ、来た道を降りて峠道を出る交差点まで来た時、西からくる道路に、赤いスポーツカーを載せたキャリアが停まっているのが見えた。警官たちはそれに気付かず、

「大体ねえ、あんたたちは気持ちいいのかもしれないけどねえ、夜中に面倒な事やらされる人の立場ってもんをねえ・・・」

 それからさらに十数分後。

 警官たちはパトカーの無線で呼び出された。

 年かさが無線で交信している間、サキさんと二人、パトカーの外で待たされた。傍に若い警官が立っている。何故そこで待たなければいけないのかの説明はなかったが、サキさんの横顔は、落ち着いていて威厳に満ちていた。

 それに、あまりにも不敵で、大胆過ぎた。サキさんの指がドレスの裾からスミレの股間に忍び入り、パンツを穿いていない無防備なそこの中に入り込んで頻りにイタズラを始めていた。

 そんなことをしている間に、年嵩の警官が降りて来て、こう言った。

「なんだかわけがわからんのだけどさ、あんたたちをさっきの駐車場まで送り届けろってね。もう、この仕事二十年になるけど、わけが分からんよ、まったく・・・」

 結局、オフロードのパトカーは今来た道を引き返し、山の上の駐車場に戻って行った。

 そこにはもう、あのべこべこになった銀色の車はなかった。その代りに、赤いスポーツカーがエンジンをかけたまま、停まっていた。

「ホントに、わけがわからん。何度もこの仕事辞めたくなる時があったけどね、今日のは、極め付きだね」

「そうですか。ご苦労様でした」

 サキさんのさっきまでのバカ風味な態度は消えていた。

 二人の警官は、駐車場から去って行った。

「さ、乗った乗った。今度は僕が運転するからね」

 フロントのエンブレムはネコから馬に変わっていた。

 ガキだと思われたくなかったし、気負いもあった。

「ネコの方が、好きだったな」とスミレは言った。

「まあ、ネコ科には違いないけど、あのエンブレムをデザインした人は、それを聞いたらきっとガッカリするだろうね」


 

 車は陽の出る前にハイウェイの終点の街、とある政令指定都市の中心街に着いた。

 サキさんはずっと無言でステアリングを握り続けた。ハイウェイを降りて一度だけ口を開いた。

「今の時間はルームサービスがないからな」

 街中のコンビニで、棚にあるものを総ざらいするように買いまくった後、そこからほどないシティーホテルの地下の駐車場に滑り込んだ。

 サキさんは、駐車場から直通のエレベーターに乗り、長い廊下を歩いて「プリンセススイート」の部屋に入り、バスルームに行き、バスタブに湯を注ぐのまでやってから、キングサイズのベッドに大の字になった。

「なに、ボーっと突っ立ってるんだ。風呂に入るなり、食うなり、寝るなり。好きにしろ」

 それだけ言って、目を閉じた。


 

 どうすりゃいいの?

 コンビニのレジ袋を両手にぶら下げたまま、スミレは独り言ちた。それが率直な感想だった。

 今までの十七年間の人生で最高の夜。初めて女の悦びを教えてもらった夜は、思いがけないトラブルで警察沙汰になり、台無しになった。もう、あの昂奮はすっかり醒めた。急速にお腹が空いてきたが、まずは風呂に入ってさっぱりしたい。

 ドレスを脱いで、替えの下着も他に着るものも無いのに気付いた。どうせなら大使館で他のも貰っておけばよかったと後悔した。

 バスタブの湯に浸かりながら今日という一日を反芻し、自分は一体こんなところまで来て何をしているのだろうと思った。

 いろんなことがあり過ぎた一日だった。

 あのパーティーでサキさんと出会い、バルコニーで少し言葉を交わしただけで、その場の成り行きで彼の車に飛び乗り、大使館に連れ込まれ、デコルテを脱がされて、暴走スポーツカーに乗せられ、初めてのエクスタシーを身体に刻まれ、警察のお世話になった。

 あまりにも、目まぐるし過ぎた。

 彼は何者なのだろうか。自分をどうしようというのだろうか。

 勢いでここまで付いてきてしまった。小学生で初体験をしてから、それまでスミレが出会った男とはみんな、ヤッてお終いだった。入れて、出して、終わり。ヤリ棄てられたというより、スミレがヤリ棄ててきた。何の感動もない、下らない男ばかりだった。

 だが彼は、サキさんは違う。

 とてつもなく、大きく、深く、謎だらけだ。

 考えれば考えるほど、スミレの思考は迷宮の奥深くを彷徨い続けるだけだった。

 バスローブを着け、リビングの冷蔵庫からビールを取り出しベッドルームに戻った。壁のブラケットの小さな明かりだけの部屋で、サキさんはさっきのまま、ベッドの真ん中に大の字になったままだった。

 椅子に掛け、ビールのプルリングを引き、飲んだ。あまり冷たくはなかった。サイドテーブルの上のレジ袋からおにぎりを取り出し、包装を解いて、一口食べた。今日、正確にはもう昨日、ほとんど何も食べていなかったから、夢中で残りを食べた。

「美味いか」

 眠っていると思っていたサキさんが、口を開いた。

「なんて勝手なヤツなんだ。僕の部屋なのに、僕より先に風呂に入って、僕のビールを一人で飲んで、僕の金で買ったおにぎりを一人で食べてるし・・・」

「だって・・・」

「僕にも、くれよ。おにぎり」

「何がいいんですか」

「こんぶ」

 何千万もする車を簡単にぶっ壊して、また何千万もする車をすぐに調達できるくせに。おにぎり一個ぐらいでブチブチ・・・。

 仕方なく、ガサゴソとレジ袋を漁って昆布のそれを見つけ、包装を解き、ベッドに上がった。彼の唇に押し付けると、サキさんはすぐにかぶりついた。むしゃむしゃ。もぐもぐ。

 目が、合った。

 急に身を起こしたかと思うと、スミレをベッドに押し倒し、両手を抑えつけた。手にしたおにぎりを奪うと、残りを無理矢理口に入れ、もぐもぐ食べてしまった。

「なんて自分勝手な奴なんだ、お前は」

 と、彼は言った。

「お前、世間知らずにもほどがあるぞ」

「え?」

「この部屋。一泊いくらか、知ってるか」

「・・・10万ぐらい?」

「18万だ」

 スミレの飲みかけのビールを一口のみ、彼は続けた。

「そうだな。上流階級のお前の口からは簡単に10万という数字が出て来る。だがな、お前の御父上の会社、その大卒初任給一か月分より、少し安い。そういう金額なんだ。大使館でお前が何の躊躇もなく脱ぎ棄てたドレス。あの服の五分の一だ」

 スミレに馬乗りになったまま、彼は手を伸ばしてレジ袋の中のサンドウィッチを取り、包装を解いてスミレの口に押し込み、残りを食べた。そしてもぐもぐしながら、彼は続けた。

「お前が呑気に風呂に入ってる間、もう一度御父上に電話した。彼は、泣いていたぞ。

 仮に僕がお前を攫わなくても、どうせまた同じことの繰り返しになる。お前が何をしたいのかさっぱりわからないが、世間様に迷惑さえかけないのなら、行きたいところに行って、したいことすればいい、と。その上、しっかり躾けてもらえるなら、こんなに有難いことはない、と。そう仰ってたぞ」

「ウソ! ウソだ、そんなの」

「ウソだと思うなら、今すぐ電話してみればいい。

 お前、どれだけ親不孝してたんだ、今まで。

 御父上は、お前が心配でたまらなかったんだ。だけど、何を言っても反発されるから、何も言えなかったんだろう」

 そう言ってサキさんはスミレから降り、服を脱いでバスルームに向かった。

「今日は疲れたろう。もう、寝ろ。後は明日だ」

 シャワーの水音を聞きながら、スミレは傍らの受話器を取り、辛うじて記憶していたマークのスマートフォンの番号を押した。

「・・・はい」

 彼は眠そうな声で電話に出た。

「マーク?」

「スミレか?」

「・・・今日は、あ、もう、昨日か。・・・ごめんね」

「今、どこにいる」

 父は、彼には自分のことを話してはいないのだと知った。

「ちょっと、遠いとこ。しばらく、帰らない」
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