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2021
「ハッピーエンド」の構図 その2
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現在連載中の「セピア色の恋」は、一応、「ハッピーエンド」タグを付けさせていただいております。
ですが、一般的な意味での「ハッピーエンド」にはならないことを、この場を借りて申し上げておきます。
そもそも。
筆者が「セピア色の恋」の舞台である「七十年代」という馴染みのない時代に興味を持ったのはある映画がきっかけでした。
あるとき友人から、
「この映画、古いけど面白いよ」
そんな風に勧められて『明日に向かって撃て!』をDVDで観ました。
いや、人に勧められて良かった映画は少ないのですが、これは例外でした。教えてもらってよかったです。
ウィキペディアによれば、
『明日に向って撃て!』(あすにむかってうて、原題: Butch Cassidy and the Sundance Kid)は、1969年公開のアメリカ映画。実在の銀行強盗ブッチ・キャシディとサンダンス・キッドの逃避行を題材にした西部劇。西部劇に体裁されたアメリカン・ニューシネマの「青春映画」としてカテゴライズされてるようです。
五十年前の映画ですが、全然古さを感じませんでした。
主演はポール・ニューマン(Paul Newman, 1925年- 2008年)と、当時まだ無名だったロバート・レッドフォード(チャールズ・ロバート・レッドフォード・ジュニア(Charles Robert Redford Jr., 1936年- )。
これに当時29歳のキャサリン・ロス(Katharine Ross, 本名:Katharine Juliet Ross, 1940年- )がカラミます。彼女はこの映画で英国アカデミー賞主演女優賞を受賞しました。『卒業』のダスティン・ホフマンと結婚式場から駆け落ちする幼馴染役をしたひとです。誠実そうな大きな瞳の女優さんです。
あらすじはウィキペディアご参照ください。
ブッチと速打ちのガンマン、サンダースが銀行強盗を繰り返して馴染みの学校教師エッタ(キャサリン・ロス)を訪ねます。エッタは長い間自分を放っておいた恋人サンダースを詰りつつ、彼と久々の一夜を共にします。ですが、その翌朝、サンダースの相棒ブッチに起こされて自転車で戯れます。
久々に会った愛しい男とエッチした翌朝に、その男の親友と自転車で戯れるという、そんなシュールな場面がすーっと入ってくるのです。
なに、この、斬新な展開!
そこに流れるのが主題歌、「雨にぬれても」(原題: Raindrops Keep Fallin' on My Head)なのです。B. J. トーマスが1969年に発表した楽曲で。作詞はハル・デヴィッド、作曲はバート・バカラック。ビルボード誌では1970年1月3日から4週連続で1位となり、年間ランキングで第4位を記録、とあります。スティールではなく、ガットのアコースティックギターのカッティングにハープシコードとビアノというシンプルなアレンジが、まるでタフな西部劇に似つかわしくない、どちらかというとやはり青春映画ですか? といいたくなるような、とてもオシャレな曲です。
監督はジョージ・ロイ・ヒル。(George Roy Hill、1922年- 2002年)青春の美しさ、素晴らしさ、儚さ、残酷さを彼ほどに巧みに創り出し描き出した監督はいないのではないかと思うほどです。それから立て続けに彼の映画を探して観まくりました。
彼のフィルモグラフィを列記すれば、
『明日に向って撃て!』 Butch Cassidy and the Sundance Kid (1969)
『スローターハウス5』 Slaughterhouse-Five (1972)
『スティング』 The Sting (1973)
『華麗なるヒコーキ野郎』 The Great Waldo Pepper (1975)
『スラップ・ショット』 Slap Shot (1977)
『リトル・ロマンス』 A Little Romance (1979)
『ガープの世界』 The World According to Garp (1982)
『リトル・ドラマー・ガール』 The Little Drummer Girl (1984)
『華麗なるヒコーキ野郎』で、主人公のロバート・レッドフォードがライヴァルのドイツ空軍のエースとの死闘を終えて愛機を駆って雲の中に消えて行くラストシーン。
『ガープの世界』のラストで狂信者に銃撃されて瀕死の状態にもかかわらず、移送中のヘリコプターの中で愛する妻に手を握られながら満面の笑みを浮かべるロビン・ウィリアムズの主人公。
どちらも間もなく主人公の死を予感させるエンディングなのに、何故か「ハッピー」を感じさせる終わり方。彼の作品にはそういう味わいがあります。
筆者が思う「ハッピーエンド」の一つの形が、まさにそれなのです。
戦争が終わってしまって空への憧れを中断されたものの、因縁のライヴァルとのドッグファイトの機会を得て失っていた高揚感を取り戻す元エースパイロット。
非寛容な精神に自らを害されても寛容であることを貫く喜びに満ちて死んでゆこうとする作家。
そして、逃避行の末に軍隊に包囲され瀕死の重傷を負い絶体絶命のピンチに見舞われつつも、輝く未来を夢想することをやめない銀行強盗。
普通の神経なら、客観的な立場にいる冷静な第三者なら絶対に「お前ら、バカだろ?」というような情況。にもかかわらず、映画を観終わった後、何故か観客はその「バカ」な主人公に共感し感動している。そういう演出がニクいです。そして、主人公が死ぬことで青春の持つ純粋性とでもいうべきものが強調されそこだけがクローズアップされ、映画館を出た後も長く観客の胸に残るのです。
これは決して「バッドエンド」ではないのではないでしょうか。
雨つぶが俺の頭に落ちてくる。何かしっくりこないんだ
足が長すぎてベッドからはみ出してる。そんな男になった気分さ
そんな雨が俺の頭に落ちてくる。雨はずっと止まない・・・。
でも一つだけわかったことがある。
ユーウツなことに出会ったって俺は負けやしないんだ
幸せは俺の元にやってくるのも遠くない。大きな幸せが俺を迎えてくれる・・・
『雨にぬれても』の軽快なギターのイントロを聴くたびに、あの「ハッピーエンド」の印象がリフレインしてくるのであります。
ですが、一般的な意味での「ハッピーエンド」にはならないことを、この場を借りて申し上げておきます。
そもそも。
筆者が「セピア色の恋」の舞台である「七十年代」という馴染みのない時代に興味を持ったのはある映画がきっかけでした。
あるとき友人から、
「この映画、古いけど面白いよ」
そんな風に勧められて『明日に向かって撃て!』をDVDで観ました。
いや、人に勧められて良かった映画は少ないのですが、これは例外でした。教えてもらってよかったです。
ウィキペディアによれば、
『明日に向って撃て!』(あすにむかってうて、原題: Butch Cassidy and the Sundance Kid)は、1969年公開のアメリカ映画。実在の銀行強盗ブッチ・キャシディとサンダンス・キッドの逃避行を題材にした西部劇。西部劇に体裁されたアメリカン・ニューシネマの「青春映画」としてカテゴライズされてるようです。
五十年前の映画ですが、全然古さを感じませんでした。
主演はポール・ニューマン(Paul Newman, 1925年- 2008年)と、当時まだ無名だったロバート・レッドフォード(チャールズ・ロバート・レッドフォード・ジュニア(Charles Robert Redford Jr., 1936年- )。
これに当時29歳のキャサリン・ロス(Katharine Ross, 本名:Katharine Juliet Ross, 1940年- )がカラミます。彼女はこの映画で英国アカデミー賞主演女優賞を受賞しました。『卒業』のダスティン・ホフマンと結婚式場から駆け落ちする幼馴染役をしたひとです。誠実そうな大きな瞳の女優さんです。
あらすじはウィキペディアご参照ください。
ブッチと速打ちのガンマン、サンダースが銀行強盗を繰り返して馴染みの学校教師エッタ(キャサリン・ロス)を訪ねます。エッタは長い間自分を放っておいた恋人サンダースを詰りつつ、彼と久々の一夜を共にします。ですが、その翌朝、サンダースの相棒ブッチに起こされて自転車で戯れます。
久々に会った愛しい男とエッチした翌朝に、その男の親友と自転車で戯れるという、そんなシュールな場面がすーっと入ってくるのです。
なに、この、斬新な展開!
そこに流れるのが主題歌、「雨にぬれても」(原題: Raindrops Keep Fallin' on My Head)なのです。B. J. トーマスが1969年に発表した楽曲で。作詞はハル・デヴィッド、作曲はバート・バカラック。ビルボード誌では1970年1月3日から4週連続で1位となり、年間ランキングで第4位を記録、とあります。スティールではなく、ガットのアコースティックギターのカッティングにハープシコードとビアノというシンプルなアレンジが、まるでタフな西部劇に似つかわしくない、どちらかというとやはり青春映画ですか? といいたくなるような、とてもオシャレな曲です。
監督はジョージ・ロイ・ヒル。(George Roy Hill、1922年- 2002年)青春の美しさ、素晴らしさ、儚さ、残酷さを彼ほどに巧みに創り出し描き出した監督はいないのではないかと思うほどです。それから立て続けに彼の映画を探して観まくりました。
彼のフィルモグラフィを列記すれば、
『明日に向って撃て!』 Butch Cassidy and the Sundance Kid (1969)
『スローターハウス5』 Slaughterhouse-Five (1972)
『スティング』 The Sting (1973)
『華麗なるヒコーキ野郎』 The Great Waldo Pepper (1975)
『スラップ・ショット』 Slap Shot (1977)
『リトル・ロマンス』 A Little Romance (1979)
『ガープの世界』 The World According to Garp (1982)
『リトル・ドラマー・ガール』 The Little Drummer Girl (1984)
『華麗なるヒコーキ野郎』で、主人公のロバート・レッドフォードがライヴァルのドイツ空軍のエースとの死闘を終えて愛機を駆って雲の中に消えて行くラストシーン。
『ガープの世界』のラストで狂信者に銃撃されて瀕死の状態にもかかわらず、移送中のヘリコプターの中で愛する妻に手を握られながら満面の笑みを浮かべるロビン・ウィリアムズの主人公。
どちらも間もなく主人公の死を予感させるエンディングなのに、何故か「ハッピー」を感じさせる終わり方。彼の作品にはそういう味わいがあります。
筆者が思う「ハッピーエンド」の一つの形が、まさにそれなのです。
戦争が終わってしまって空への憧れを中断されたものの、因縁のライヴァルとのドッグファイトの機会を得て失っていた高揚感を取り戻す元エースパイロット。
非寛容な精神に自らを害されても寛容であることを貫く喜びに満ちて死んでゆこうとする作家。
そして、逃避行の末に軍隊に包囲され瀕死の重傷を負い絶体絶命のピンチに見舞われつつも、輝く未来を夢想することをやめない銀行強盗。
普通の神経なら、客観的な立場にいる冷静な第三者なら絶対に「お前ら、バカだろ?」というような情況。にもかかわらず、映画を観終わった後、何故か観客はその「バカ」な主人公に共感し感動している。そういう演出がニクいです。そして、主人公が死ぬことで青春の持つ純粋性とでもいうべきものが強調されそこだけがクローズアップされ、映画館を出た後も長く観客の胸に残るのです。
これは決して「バッドエンド」ではないのではないでしょうか。
雨つぶが俺の頭に落ちてくる。何かしっくりこないんだ
足が長すぎてベッドからはみ出してる。そんな男になった気分さ
そんな雨が俺の頭に落ちてくる。雨はずっと止まない・・・。
でも一つだけわかったことがある。
ユーウツなことに出会ったって俺は負けやしないんだ
幸せは俺の元にやってくるのも遠くない。大きな幸せが俺を迎えてくれる・・・
『雨にぬれても』の軽快なギターのイントロを聴くたびに、あの「ハッピーエンド」の印象がリフレインしてくるのであります。
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