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第十一章 背後の敵
2 水差し
しおりを挟む「シディ! シディっ……!」
驚くインテス様の声に呼ばれてパッと目を開けたら、そこは離宮の寝室だった。
「は……あ、ぐっ……」
夢の中と同じように、やっぱり声は出しにくかった。喉ががらがらで、ひどく渇いている。それなのに、目からは次々と雫がこぼれ落ちているのだ。
目の前には流れおちてくる金色の滝があった。
(インテス様……!)
金色の滝は、この世でもっとも大好きな人の髪だった。長く艶やかな黄金色の髪が、自分を覗き込む綺麗な顔を彩っている。
「さあ、落ち着いて。なにも心配はいらない。今、医者を呼んでいるからな」
いつもまずシディのことを気遣ってくださる優しい声。手を包み込み、頬を撫でてくださる優しい手。
インテス様だ。
本物のインテス様……!
「あ、う……ううっ」
お名前を呼びたいのに、出せるのは狼の子の唸り声みたいなものばかりだ。
「少し身を起こせるかい? 水を飲むとよい」
インテス様の手を借りて上体を起こし、ようやくゆっくり周囲を見回すことができた。天蓋つきの寝台の脇に、感無量の瞳をじっとこちらに向けて控えているのはティガリエだ。この男はきっと、シディのそばにずっと控えていたのに違いない。
(ティガ……! よかった、無事で)
「さ、水を……と。少し難しいようだな」
(えっ?)
なにが難しいのだろう。別にそれぐらいのことはできるのに──と思う間もなかった。インテス様はさっさと水差しの水を口に含むと、そのままシディの唇を塞いだ。
「ふぐっ……!?」
いや待って。
そこに、そこにティガリエもいるというのに!
慌てた拍子に案の定、水が違う場所に吸い込まれた。
「げほっ、ごほ、ごほっ!」
「あ。……すまない」
「もうっ。い、インテス様っ……ごほごほっ」
「あああ。本当にすまないっ」
すぐに反省するのはこの方のいいところなのだが。涙目になってちょっと睨んだら、さらに小さくなって頭を下げておられる。
「本当に申し訳ない。この通りだ──」
「……ぷっ」
まだ少し噎せながらも、なんだか笑ってしまう。
ティガリエはというと、一連のできごとをあえて「なかったこと」にするように微妙に目と耳を逸らしてくれていた。
その後どやどやと医者や看護兵らが入ってきてひととおりの診察を受けた。医者はもちろんキュレイトーだ。高齢の灰色ウサギの姿を見たとたん、シディにもようやく「ああ、帰ってきたんだな」という実感が湧いてきた。
「まずはしっかりと水分をおとりなされ。いきなりたくさんの固形物を食すのはよろしくありませぬ。腹が驚いてしまいますゆえな。柔らかいものからゆっくりと。ゆっくりと、ですぞ」
「承知した」
シディはそこから水分や粥などを少しずつとりながら、インテス様からその後の顛末を聞かされることになった。
「私も数日は眠っていたが、そなたはずっと長かった。正直心配したのだぞ」
「そうなんですか?」
「ああ。私は三日。そなたはなんと二十日だぞ」
「そ、そんなに?」
「普通の者なら食事がとれずに衰弱するはずのところ、そこはさすが《黒狼王》の子。魔力によって守られていたのだろうと、セネクス師匠もキュレイトーも申していたぞ」
なるほど。《黒い皿》の向こう側に囚われていたインテス様が守られていたことを思い出す。
「それであの……《黒い皿》は」
確かあれはほかにもあったと思う。自分たちが意識を失ってしまって、レオたちは非常に困ったのでは。
そう、それよ、とインテス様が微笑んだ。
「不思議なことだが、我らが消滅させた《黒い皿》が消えたあと、嘘のように各地の《皿》も消え失せた。要はあれが首魁だったということらしいな」
「そう、なんですか」
まだがらがら声だが、少しずつシディも相槌が撃てるようになってきている。
「そう言えば、時間の点でも不思議なことがあるとセネクス師匠が申していた」
「時間?」
「《皿》のあちらとこちらでは、どうやら時間の進み方が違っていたらしい。シディが私を救おうと《皿》に飛び込んでから、こちらではなんと数週間が過ぎたというのだ」
「ええっ……?」
「私があちらに囚われていた時間がどれほどだったかは定かでないが、魔力によって体が守られていたとはいえ、そなたらが思うよりもはるかに短い時間だったと考えられる。……結果的に、幸いなことだった」
「そ……そうですね」
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