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「あんないいご身分なの、見せてあげたいですよ!」
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「クリフト様……」
ラーミア様が悲しげに眉を下げ、つっと指を伸ばして、クリフト様の目の下に触れました。
「ひどいくまよ。……無理をしてるんでしょう」
クリフト様は驚いたように身を引いてから、苦笑しました。
「わかるかい。まあ、だが、大したことはないよ」
「嘘ばかり」
「嘘じゃないさ」
「うそ」
ラーミア様はすねたように少し唇を尖らせ、上目遣いに背を伸ばしてクリフト様の表情を覗きます。クリフト様がそれに応えて身をかがめると、こつんと額が触れ合いました。
正直、上から覗き見ているとそれほどはっきりとは見えません。ですが、私の頭の中には愛らしい光景が溢れました。美人なのに、ラーミア様はお可愛らしいのです。額同士を触れさせてなお「うーん」とクリフト様の表情を伺っておられます。
尊い。
そのさまを堪能しながら私はきっと、クリフト様がお疲れなのはひどい妻のせいだと思いました。妻はクリフト様を馬車馬のように働かせているのです。それだけではなく、仕事の合間合間に罵倒するので、クリフト様は気が休まるときがありません。
なんてかわいそうなクリフト様。
いえ、ラーミア様も大変です。妻は八面六臂の活躍をし、引き離した二人を両方とも虐げることができるのです。そして爵位の高い妻にクリフト様は逆らえないのです!
私は荒れそうになる呼吸をなだめました。
大興奮ですがここで書き始めることはできません。暗すぎます。もしかすると自分でわかる程度には書けるかもしれませんが、万一にも便箋をなくしてはいけません。
頭の中でストーリーを練りながら、お二人を見続けます。妄想が捗ります。
ああ、早く妻を追い出すところまで書きたい。シーナは不倫ものという新しさをとても褒めてくれました。そして続きが読みたいと言ってくれたのです!
続きが!
読みたいと!
私も読みたいです!
なので書かねばなりません。何をおいても書かねばなりません。今度はできるだけ丁寧に、読みやすく書きましょう。
私の胸は喜びに満ちています。恋がそこにあり、私が書くのです。これこそ青春の喜びでしょう。ああ。
「ラーミア……」
「あっ、だめよ、もう……っ」
いけない。お二人が睦み合いはじめてしまったので、私は退散することにしました。さすがに覗くのは申し訳ないし、恥ずかしいのです。
情熱的な恋には憧れても、こういった生々しさは、どうも美しさの対局にある気がします。いくら美しい方でもトイレには行くでしょうが、そのさまを見たいとは思わない、そんなものです。
クリフト様の手がラーミア様の背にまわり、美しい銀髪がくすぐっています。美しいさまだけを見て、私は天井裏を這って自室に戻るのです。
「……足りない!」
私はがくりと床に突っ伏しました。あまりにも早く、便箋が底をついたのです。丁寧に書いたのが悪かったのでしょうか。
もう一度欲しいと頼んで不審に思われないでしょうか?
……思われます、絶対思われます。我ながら異常な量を使っているのです。
悩みながら、ともかく私はできたぶんをまた作品に包んで荷造りをしました。シーナから「結婚前に刺繍をぜひ教えて欲しい」と言われたので、その返事で問題ないでしょう。
私は一枚だけは取っておいた便箋に、この刺繍はこのようにしました、このようなところがコツです、と適当に書きました。これを見られたらそれはそれで嗤われるかもしれませんが、大した問題ではありません。
「あ、あの、またで悪いんだけど、お願いします」
「ふん。まあ、いいですけど」
前と同じ額を渡すとアデラはまんざらでもない顔をしました。でも少し荷物をじっと見ています。
「あの……」
「じゃ、早く食べてくださいよ」
「はいっ!」
私は食事をして食器を返し、急いで天井裏に上がってアデラの声を探しました。屋敷を歩き回ったことなど一度もないのに、なんとなく構造がわかってきてしまっています。
「……やっぱ言ったほうがいいですかね」
アデラの声です!
「父上は世間体を気にしていたからな。一応、見ておこう」
クリフト様!
どうやら私の荷は開けられることになったようです。動揺して、なんとか覗ける穴がないだろうかと探しました。ありません。
沈黙が続くのが恐ろしいです。今にも「なんだこれは!?」と聞こえるかもしれません。
「確かに見事な刺繍だ。これならばいいだろう……。ああ、包みは元に戻しておくように。夫人の便りをこちらが改めていると知られては、またろくな噂にならない」
「奥様を虐待してるってやつですか? あんないいご身分なの、見せてあげたいですよ!」
アデラはやはり誰に対しても口が悪いようです。よくクビにならないものだと感心しました。それだけ仕事ができるということでしょうか。
ともかく、ほっと息を吐きました。緊張していた体がパキパキ音をたてます。私の小説の続きは無事、シーナに届けられるようです。
それにしても、クリフト様は「いいご身分」を否定しませんでした。アデラは口が悪いから、と思っていましたが、この家の方は皆、私をそう思っているのでしょうか?
望んだわけでもないのに、と少しだけ不満に思いました。
ラーミア様が悲しげに眉を下げ、つっと指を伸ばして、クリフト様の目の下に触れました。
「ひどいくまよ。……無理をしてるんでしょう」
クリフト様は驚いたように身を引いてから、苦笑しました。
「わかるかい。まあ、だが、大したことはないよ」
「嘘ばかり」
「嘘じゃないさ」
「うそ」
ラーミア様はすねたように少し唇を尖らせ、上目遣いに背を伸ばしてクリフト様の表情を覗きます。クリフト様がそれに応えて身をかがめると、こつんと額が触れ合いました。
正直、上から覗き見ているとそれほどはっきりとは見えません。ですが、私の頭の中には愛らしい光景が溢れました。美人なのに、ラーミア様はお可愛らしいのです。額同士を触れさせてなお「うーん」とクリフト様の表情を伺っておられます。
尊い。
そのさまを堪能しながら私はきっと、クリフト様がお疲れなのはひどい妻のせいだと思いました。妻はクリフト様を馬車馬のように働かせているのです。それだけではなく、仕事の合間合間に罵倒するので、クリフト様は気が休まるときがありません。
なんてかわいそうなクリフト様。
いえ、ラーミア様も大変です。妻は八面六臂の活躍をし、引き離した二人を両方とも虐げることができるのです。そして爵位の高い妻にクリフト様は逆らえないのです!
私は荒れそうになる呼吸をなだめました。
大興奮ですがここで書き始めることはできません。暗すぎます。もしかすると自分でわかる程度には書けるかもしれませんが、万一にも便箋をなくしてはいけません。
頭の中でストーリーを練りながら、お二人を見続けます。妄想が捗ります。
ああ、早く妻を追い出すところまで書きたい。シーナは不倫ものという新しさをとても褒めてくれました。そして続きが読みたいと言ってくれたのです!
続きが!
読みたいと!
私も読みたいです!
なので書かねばなりません。何をおいても書かねばなりません。今度はできるだけ丁寧に、読みやすく書きましょう。
私の胸は喜びに満ちています。恋がそこにあり、私が書くのです。これこそ青春の喜びでしょう。ああ。
「ラーミア……」
「あっ、だめよ、もう……っ」
いけない。お二人が睦み合いはじめてしまったので、私は退散することにしました。さすがに覗くのは申し訳ないし、恥ずかしいのです。
情熱的な恋には憧れても、こういった生々しさは、どうも美しさの対局にある気がします。いくら美しい方でもトイレには行くでしょうが、そのさまを見たいとは思わない、そんなものです。
クリフト様の手がラーミア様の背にまわり、美しい銀髪がくすぐっています。美しいさまだけを見て、私は天井裏を這って自室に戻るのです。
「……足りない!」
私はがくりと床に突っ伏しました。あまりにも早く、便箋が底をついたのです。丁寧に書いたのが悪かったのでしょうか。
もう一度欲しいと頼んで不審に思われないでしょうか?
……思われます、絶対思われます。我ながら異常な量を使っているのです。
悩みながら、ともかく私はできたぶんをまた作品に包んで荷造りをしました。シーナから「結婚前に刺繍をぜひ教えて欲しい」と言われたので、その返事で問題ないでしょう。
私は一枚だけは取っておいた便箋に、この刺繍はこのようにしました、このようなところがコツです、と適当に書きました。これを見られたらそれはそれで嗤われるかもしれませんが、大した問題ではありません。
「あ、あの、またで悪いんだけど、お願いします」
「ふん。まあ、いいですけど」
前と同じ額を渡すとアデラはまんざらでもない顔をしました。でも少し荷物をじっと見ています。
「あの……」
「じゃ、早く食べてくださいよ」
「はいっ!」
私は食事をして食器を返し、急いで天井裏に上がってアデラの声を探しました。屋敷を歩き回ったことなど一度もないのに、なんとなく構造がわかってきてしまっています。
「……やっぱ言ったほうがいいですかね」
アデラの声です!
「父上は世間体を気にしていたからな。一応、見ておこう」
クリフト様!
どうやら私の荷は開けられることになったようです。動揺して、なんとか覗ける穴がないだろうかと探しました。ありません。
沈黙が続くのが恐ろしいです。今にも「なんだこれは!?」と聞こえるかもしれません。
「確かに見事な刺繍だ。これならばいいだろう……。ああ、包みは元に戻しておくように。夫人の便りをこちらが改めていると知られては、またろくな噂にならない」
「奥様を虐待してるってやつですか? あんないいご身分なの、見せてあげたいですよ!」
アデラはやはり誰に対しても口が悪いようです。よくクビにならないものだと感心しました。それだけ仕事ができるということでしょうか。
ともかく、ほっと息を吐きました。緊張していた体がパキパキ音をたてます。私の小説の続きは無事、シーナに届けられるようです。
それにしても、クリフト様は「いいご身分」を否定しませんでした。アデラは口が悪いから、と思っていましたが、この家の方は皆、私をそう思っているのでしょうか?
望んだわけでもないのに、と少しだけ不満に思いました。
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