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開廷

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※存在しない国、存在しない裁判システムです。


 まあ、旦那様ですか?
 申し訳ありません、二年ぶりですのでお顔の記憶が怪しくて。ええ、わたくしはクリスタ。あなたの妻です。
 お屋敷ですか?
 手紙でお知らせしましたが、生活費をいただけないので、お屋敷を切り崩して生活しておりました。そうですね、つい先日、最後の瓦礫が回収されたところですの。
 わたくしはこの離れで暮らしておりますけれど、さすがにここを失っては住む場所がないので、そろそろ実家に帰らせて頂こうと思っておりました。

 あら、どうなさいました、そんな恐ろしい顔をして。
 ……ありがとう、ユナさん。ええ、彼女はユナさんと申しまして、護衛として雇っております。旦那様がおりませんし、使用人も雇っておりませんから。わたくしも貴族夫人ですので、自分の身は守らなければならないでしょう?

 警察をお呼びに?
 ……やはり手紙は届いておりませんでしたのね。
 わかりました。では、法廷できちんとご説明いたしましょう。




「では開廷いたします。本日の訴えは、オフィリウス伯爵家当主によるものです。訴えの内容は、本邸に残していた妻クリスタが勝手に屋敷、及び家財を売却したことは違法であり、妻クリスタとの離縁と、損害の賠償を求めるものです」

「ネーガス・オフィリウスだ」
「クリスタ・ネマットでございます」

 夫のネーガスはイライラとした様子で、クリスタを睨みつけている。
 一方のクリスタはというと落ち着いた様子だ。貴族女性の結婚後の姓は、実家のもの、婚家のもの、どちらでも良いことになっている。結婚後二年であり、子もいないことから、実家の姓を名乗っているのだろう。

 クリスタはネーガスの訴えにより捕縛されたが、民事事件に相当するとの判断から釈放され、一度実家に帰っている。しかしネーガスの求めにより銀行口座は凍結されているようだ。

「この裁判の議事録は国王陛下への提出が決まっております。この場で偽りを述べるということは、陛下に偽りを述べるも同じとご理解ください」
「もちろん、真実のみを述べよう」
「誓って、偽りは申しません」

 裁判長は少し強い調子で言い、二人の返答に深く頷いた。
 領地に残した妻が館をまるごと売り払ったという、とんでもない事件だ。それだけに貴族社会の関心を集めている。

 平民と違い、貴族の財産は婚姻で共有されない。
 しかし妻は家財の管理が仕事とされており、どこまでの権利を持つのかという議論は度々あったのだ。また、妻が勝手に大きな買い物をしたとして、夫が支払うべきかという問題にも関わる。

 どちらにしても、詳細をきちんと聞き取り、王が納得するような結論を出さねばならない。

「では事実関係を確認します。ネーガス・オフィリウスとクリスタ・ネマットは二年前に婚姻。婚姻の翌日から、ネーガス氏は王都に居を移し、それに両親も追従したため、領地にはクリスタ・ネマットのみが残ることになった。その状態のまま二年が経過し、ネーガス氏が領地に帰還したところ、屋敷が売り払われていた。ここまで間違いありませんね?」

「そのとおりだ。私は仕事のため王都を離れられなかった。なにも遊び暮らしていたわけではない! それなのに、」
「ネーガス氏、今は事実確認のみをお願いいたします」
「……間違いない」

 ネーガスは不愉快そうに肯定した。
 聴衆が「婚姻の翌日から?」「そのまま二年も?」とざわついたので、言い訳したくなったのだろう。

「クリスタ夫人も、それで良いですか?」
「はい。間違いありません」

 クリスタは上品に肯定した。被告席でしっかり背を伸ばした姿には、弱気な様子はまるでない。

「ではクリスタ夫人は、オフィリウス伯爵家に損害を与えたことを認めますか?」
「はい」

 聴衆がざわついた。夫人には争うつもりがないのだろうか。

「ただそれは、オフィリウス伯爵家がわたくしに生活費を与えなかったことが原因です」
「ふむ。妻の正当な権利として家を売った、という主張でしょうか」
「そうです。生活費を1ベルも頂いておらず、生きるための緊急的な手段として行いました」

 生活費を1ベルも、とは衝撃的な発言だった。ざわめきが大きくなる。オフィリウス伯爵家といえば、国王陛下の覚えもめでたい家だ。社交界では気前よく、流行の衣装に身を包んで現れた。
 そんな家の夫人が、食事代を支払う手段を持たなかったのだ。

 ざわめきに逆らうように、ネーガスが大きな声をあげた。

「だからなんだというのだ! 飢えたから貴族家の財を奪うなど、平民のようなことを言うつもりか!」

 しん、と傍聴席が静まった。
 彼らはほとんどが貴族だ。平民が飢えて死ぬことよりも、飢えた平民に襲われ、財を奪われることの方が恐怖で、許しがたいことなのだ。
 であれば妻も、夫の財を奪うくらいなら死ぬべきであった。そういうことになってしまう。

「婚姻とは、家族になるということではないのですか?」

 クリスタは聴衆など気にしていないかのように、ネーガスに問いかけた。

「違う。おまえなど、家族では」
「では何なのですか。奴隷になるという契約なのですか?」
「……」

 ネーガスは実際そう思っていたのかもしれない。だが、聴衆を気にしたようで黙った。政略結婚の多い貴族の中でも、仲睦まじく暮らす者たちはいる。
 それに「妻とは奴隷である」などと言っては、新しい妻はもはや見つからないかもしれない。

「奴隷が産んだ子を跡継ぎになさるのが、貴族の結婚なのですか」

 クリスタの言葉は不思議なほど法廷に響いた。ネーガスは何も言わない。
 しばらく沈黙が続いたあとで、クリスタはかすかに首をかしげた。

「いえ、そうではないのですね。わたくしたちは初夜さえ行っていないのですから。いったい何のためにわたくしを娶ったのですか?」
「それは……」

 夫人が持ち出した「初夜」という言葉に「やることもやっていないのか」と聴衆の誰かが笑いを含めて言った。ひそひそと「彼は不能なの?」という言葉が続いた。
 赤い顔をしたネーガスが聴衆をにらみつける。
 だが誰の言葉かはわからなかったようだ。
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