社内恋愛狂想曲

櫻井音衣

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「飢え死にって……それは大げさ過ぎるでしょ。今日は仕事だったの?」
「出張だよ。いろいろ予定が立て込んでてマジで疲れた。佐野は?」
「私はいとこが出産したから顔見に行って、ついでに実家に寄って母親に小言を言われて、その帰り」

少しなら付き合うと自分で言っておきながら、箸が進むのに比例してビールもどんどん進む。
二人ともジョッキが空になったので、伊藤くんが店員を呼び止めて生ビールをふたつ注文した。
これでもうすでに3杯目だ。

「ふーん……小言って?」
「結婚と出産を散々急かされた」
「あー、俺も親とか親戚によく言われるよ。まだ結婚しないのかとか、相手はいないのかって。年齢的にそういう時期なんだろ」

同期で同じ歳でも伊藤くんは男だから出産はしないし、私とはまた急かされ方が違うんじゃないか。
とにもかくにも、男女問わず三十路が迫ると、本人より周りが何かと焦ったり気にしたりするらしい。

「男の人は30過ぎてもまだ余裕あるんじゃないの?出産しないし、二十代よりは三十代の方が経済力も包容力も上がる気しない?」

自分でそう言ってから、この言葉は自分に対する特大ブーメランだと気付いた。
私は三十路を目前に控えて周りから心配されているけど、ふたつ歳下の護はまだ二十代だ。
結婚を急ぐ理由なんてないし、むしろ独身の今だからこそ目一杯遊びたいのかも知れない。

「佐野は彼氏がいるんだろ?早く結婚すれば?」
「早くすれば?って……そんな簡単に言わないでよ。いとこにも母親にも同じこと言われて滅入ってるんだから。伊藤くんこそ早くすれば?彼女の一人や二人、いるんでしょ?」

伊藤くんは店員が運んできた生ビールを受け取り、ひとつを私に手渡してため息をついた。

「それがいないんだなぁ。なんか俺、告白されて付き合っても、いっつもフラれんの」
「……なんで?」
「あなたといると浮気を疑ったり、嫉妬ばかりして疲れるからもう無理ってよく言われる」

やっぱり歴代の彼女たちも私と同じことを思っていたようだ。

「それはなんとなくわかるような気がする」

正確に言うと『なんとなく』でも『わかるような気がする』でもなく『とてもよくわかる』なのだけど、それを言ったら伊藤くんはきっとショックを受けるだろうと思い、少々ぼやかして返事をしてみる。
誰に対しても優しく、気軽に話しかけてフレンドリーに接するところは伊藤くんの長所だと思うけれど、それ故に好意があるとたくさんの女性を勘違いさせてきたのではなかろうか。
付き合い始めるまでは長所だったところが、付き合いだした途端に短所になって失恋するなんて、なんだか悲しい。

「誰と仲良くなったって浮気なんかしないのに、全然信用ないんだ。なんでかなぁ」
「彼女にもそれ以外の子にも、誰にでも同じように優しくし過ぎるから、彼女が不安になるんじゃない?」
「子どもの頃、みんなに優しくしましょうって習わなかった?俺にとっては当たり前のことなんだけど、本社から支社に異動になったときも、支社から本社に戻るときも、同じ理由でフラレたんだよなぁ」

浮気もしていないのに、疑われてフラれるなんて不憫過ぎる。
彼氏が浮気をしていることに気付いても、別れようと言われるのが怖くて何も言えずにいる私とは正反対のような気がする。 
彼氏がしてもいないのに浮気を疑ってつらくなるのと、彼氏が浮気をしていても気付かず、まったく疑いもせずに過ごせるのは、どちらが幸せだと言えるのだろう?
少なくとも私は護の浮気現場を見るまでは、なんの疑いもなく護と一緒になりたいと思っていた。

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