社内恋愛狂想曲

櫻井音衣

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不戦敗

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下坂課長補佐は私に笑いかけたあと、今度は三島課長の目を見た。
その目は何かを訴えているように見える。

「……佐野も前は営業部の二課にいて一緒に仕事してたんだ。俺の3つ下の後輩。今は一緒のサークルでバレーボールやってる」

三島課長は下坂課長補佐が何も言わないのに私を紹介して、どういう関係なのかを説明した。
なるほど、さっきのアイコンタクトだけで求められていることを察したわけだ。
……目を見ただけで相手の言いたいことがわかるなんて、まるで夫婦みたい。
自分でそう思っておきながら、二人の絆とか信頼関係の深さを見せつけられたようで勝手に落ち込む。
そんなの、わざわざ私の目の前ですることないのに。

「三島くんの3つ下か。じゃあ私が支社に異動になったあとで入社したのね」
「それで……何か急ぎの用でも?」

三島課長が尋ねると、下坂課長補佐は「そうそう」と呟いて手に持っていたメモを三島課長に差し出した。

「あじさい堂の西田部長から電話があって、担当者変更の件で至急連絡が欲しいって」

金曜日の騒ぎで護はあじさい堂の担当を外されたのだろう。
取引の契約自体が打ち切りにならなくて済んだだけでも良かったと思う。

「わかった、すぐ戻るよ。そんな急ぎの用ならわざわざ探しに来なくても電話してくれれば良かったのに……」
「あ、それもそうね。うっかりしてた」
「まったく……」

三島課長はまたため息をついて、私の方をチラッと見た。

「バレーのことで連絡があったんだけど……またあとで電話するよ」
「わかりました」

それくらい今ここで言えばいいのにと思ったけれど、これ以上二人の仲の良さを見せつけられるのはつらいので、とにかく一刻も早く二人にこの場から立ち去って欲しくて、事務的に返事をした。

「それからこれ……」

三島課長がプリンを指さしながらそう言うと、下坂課長補佐は三島課長の肩越しに覗き込むようにして、じっとプリンを見る。

「それってもしかしてラッキープリンってやつ?」
「ええ、そう呼ばれてますね」
「私、昔からものすごくプリンが大好きでね、午前中に営業部の女の子からそのプリンのことを聞いてずっと気になってたから、あったら絶対に買おうと思ってたのに売り切れで買えなかったの。私が前に本社にいたときにはなかったんだけど、そんなに美味しいの?」

下坂課長補佐はよほどプリンが好きらしい。 
大きな目を子どものようにキラキラさせて見つめられ、『それ私に譲って』と懇願されているような気がした。

「すごく美味しいですよ。三島課長、下坂課長補佐に譲って差しあげたらどうですか?」
「……佐野が要らないなら」
「私はもうお腹いっぱいで食べられそうにないので結構です」

もうプリンどころの話じゃない。
二人が立ち去ってくれないなら、私の方からこの場を離れよう。

「私、部署に戻ってやることがありますので失礼します」

パスタセットはまだ半分ほど残っていたけれど、トレイを持って席を立ち、三島課長の顔は見ずに足早に食器返却口へ向かった。
三島課長は何も悪くないのに、愛想もかわいげもない失礼な態度しか取れない自分に嫌気がさした。


その日の晩、遅くまで残業した私は、総務部に提出する書類の入った封筒を手に、くたびれ果ててオフィスを出た。
この疲れが仕事のせいだけでないのは自覚している。
仕事中は仕事のことだけに集中しようと思うのに、ほんの少し気をゆるめると昼休みの出来事を思い出してしまい、それを無理にかき消そうと無駄な労力を使ってしまった。
三島課長のことは好きだけど、見込みがまったくないなら傷が浅いうちにあきらめるべきなのかとか、それとも葉月の言うように、わずかでも可能性があるのなら努力してみるべきなのかとか、どれだけ考えてもなんの答えも出ない。
この歳になって初めて知るなんて情けないけど、本気の片想いって、こんなにしんどいものなんだな。
これなら仕事のことだけ考えている方が何倍もラクだ。
そんなことを思いながら総務部のある階でエレベーターを降り、その先にある営業部の前を通りかかると、三島課長がデスクでパソコンに向かっている姿が見えた。
昼休みにひどい態度を取ったことを謝った方がいいかなと思い足を止めかけたとき、下坂課長補佐が三島課長のすぐ隣にやって来て、何か話し掛けながらごく自然に三島課長の肩に触れた。
三島課長は特にいやがる様子も拒絶反応を起こすでもなく平然と会話している。
……やっぱりやめておこう。
三島課長はきっと私のことなんて気にしていないだろうし、そんな些細なことを蒸し返したって何も変わらない。

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