24 / 48
4 息抜いて つまんだ駄菓子が呼ぶ懸念
4-2 返答
しおりを挟む
うっかり、だった。
百合はすぐに立ち上がり、全身に鳥肌を立てながらあたりを見回した。
そこにあるのはデータ室のオフィスのはずなのに、まったく違う空間になってしまったように感じる。
そう感じ取れるくらい、空気が変化していた。
ところどころにわだかまる闇があり、百合は自分の口を押さえた。
――ここに住まないの?
時々耳にしていた、例の問いだ。
それにうっかり百合はこたえてしまった。
住まないよ、と返してしまったのだ。
「どうして?」
新たな問いかけが起こり、それはときおり聞こえていた子供の声だった。
しかし百合が返事をした最初の問いかけは、子供のものではなかった。
低い男性の声であり、まるで八咫のもののように聞こえたのだ。
「まさか」
――まさか、八咫を真似たのか。
八咫に似ていたからこたえてしまったのか、ひとりきりのオフィスではないという意識がどこかにあったのか。
百合は一歩後ろに下がろうとした。だが真後ろに机があり、下がることもできない。机に置いたばかりのテイクアウト弁当が、袋のなかで崩れたのが音でわかる。
百合は昼食を食べに外出したが、途中で新規オープンした店を見つけていた。
そこでは弁当の店頭販売もしており、開店記念の特別価格な上に、弁当のテイクアウトをすればクーポンをつけるという。百合は飛びつくように焼き肉弁当を買い、いそいそと戻ってきたのだ。
まさか戻って早々、妙なことになるなんて。
じわじわと闇が侵食し、いやな気配が濃厚になる。
百合は廊下――おもてを目指すべく足を動かした。
問いかけに返事をしなくていいと功巳は話していたが、では返事をしたらどうなるのか。そこも尋ねておくべきだった。
手近な襖に飛びついたが、いつもと違って微動だにしない。
「うそ……っ」
「どうして住まないの?」
「し、鹿野さん! ねえやさん! 八咫さん! 誰か、ここ開けて!」
「どうして住まないの?」
後頭部に風が吹きつけてくる。百合は襖に肩からぶつかっていった。紙でできているはずが、石の壁のようになってびくともしない。
「どうして住まないの?」
そちらを見ないようにし、百合は両手で襖を叩いた。必死に力をこめればこめただけ、百合の手が痛くなる。
「誰か!」
風が吹きつける。それはくり返され、百合は理解していた。
これは呼吸だ。
自分の真後ろに声の主はいて、それの吐く息が百合の後頭部の髪の毛を揺らしている。
「どうして住まないの?」
いくら叩いても、襖はどうにもできなそうだった。部屋の奥には、襖はもうひとつあり、そちらから百合は出入りしたことがない。あちらの襖はどこに通じているのだろう。玄関にたどり着けるのか。
それを確かめるためにも、まずは振り返らなくてはならない。
「どうして住まないの?」
おなじ言葉がくり返され、風が吹きつける。ひとならざるものの接触に確かに怯え――だが百合は振り返った。
そして見てしまった。
大小無数の首が、そこにある。
天井近くから闇のような黒い布がだらりと垂れ下がり、そこにある顔が百合を見下ろしていた。
ふっくらしたもの、頬のこけたもの、たくさんの首が大きな黒い布の上にびっしりと生え、虚空に浮かんでいる。どれも質量を感じさせるのに、ひどく虚ろな存在だった。
首のすべてが、黒々としたまなこで百合を見つめてくる。
中央に浮かんでいる、ひときわ大きく落ちくぼんだ目をした禿頭の男の首が口を開いた。
「どうして住まないの?」
子供の声の主はこれだ――理解したところで、百合は意識を失っていた。
百合はすぐに立ち上がり、全身に鳥肌を立てながらあたりを見回した。
そこにあるのはデータ室のオフィスのはずなのに、まったく違う空間になってしまったように感じる。
そう感じ取れるくらい、空気が変化していた。
ところどころにわだかまる闇があり、百合は自分の口を押さえた。
――ここに住まないの?
時々耳にしていた、例の問いだ。
それにうっかり百合はこたえてしまった。
住まないよ、と返してしまったのだ。
「どうして?」
新たな問いかけが起こり、それはときおり聞こえていた子供の声だった。
しかし百合が返事をした最初の問いかけは、子供のものではなかった。
低い男性の声であり、まるで八咫のもののように聞こえたのだ。
「まさか」
――まさか、八咫を真似たのか。
八咫に似ていたからこたえてしまったのか、ひとりきりのオフィスではないという意識がどこかにあったのか。
百合は一歩後ろに下がろうとした。だが真後ろに机があり、下がることもできない。机に置いたばかりのテイクアウト弁当が、袋のなかで崩れたのが音でわかる。
百合は昼食を食べに外出したが、途中で新規オープンした店を見つけていた。
そこでは弁当の店頭販売もしており、開店記念の特別価格な上に、弁当のテイクアウトをすればクーポンをつけるという。百合は飛びつくように焼き肉弁当を買い、いそいそと戻ってきたのだ。
まさか戻って早々、妙なことになるなんて。
じわじわと闇が侵食し、いやな気配が濃厚になる。
百合は廊下――おもてを目指すべく足を動かした。
問いかけに返事をしなくていいと功巳は話していたが、では返事をしたらどうなるのか。そこも尋ねておくべきだった。
手近な襖に飛びついたが、いつもと違って微動だにしない。
「うそ……っ」
「どうして住まないの?」
「し、鹿野さん! ねえやさん! 八咫さん! 誰か、ここ開けて!」
「どうして住まないの?」
後頭部に風が吹きつけてくる。百合は襖に肩からぶつかっていった。紙でできているはずが、石の壁のようになってびくともしない。
「どうして住まないの?」
そちらを見ないようにし、百合は両手で襖を叩いた。必死に力をこめればこめただけ、百合の手が痛くなる。
「誰か!」
風が吹きつける。それはくり返され、百合は理解していた。
これは呼吸だ。
自分の真後ろに声の主はいて、それの吐く息が百合の後頭部の髪の毛を揺らしている。
「どうして住まないの?」
いくら叩いても、襖はどうにもできなそうだった。部屋の奥には、襖はもうひとつあり、そちらから百合は出入りしたことがない。あちらの襖はどこに通じているのだろう。玄関にたどり着けるのか。
それを確かめるためにも、まずは振り返らなくてはならない。
「どうして住まないの?」
おなじ言葉がくり返され、風が吹きつける。ひとならざるものの接触に確かに怯え――だが百合は振り返った。
そして見てしまった。
大小無数の首が、そこにある。
天井近くから闇のような黒い布がだらりと垂れ下がり、そこにある顔が百合を見下ろしていた。
ふっくらしたもの、頬のこけたもの、たくさんの首が大きな黒い布の上にびっしりと生え、虚空に浮かんでいる。どれも質量を感じさせるのに、ひどく虚ろな存在だった。
首のすべてが、黒々としたまなこで百合を見つめてくる。
中央に浮かんでいる、ひときわ大きく落ちくぼんだ目をした禿頭の男の首が口を開いた。
「どうして住まないの?」
子供の声の主はこれだ――理解したところで、百合は意識を失っていた。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~
菱沼あゆ
キャラ文芸
突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。
洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。
天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。
洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。
中華後宮ラブコメディ。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
神のミスで転生したけど、幼児化しちゃった!〜もふもふと一緒に、異世界ライフを楽しもう!〜
一ノ蔵(いちのくら)
ファンタジー
※第18回ファンタジー小説大賞にて、奨励賞を受賞しました!投票して頂いた皆様には、感謝申し上げますm(_ _)m
✩物語は、ゆっくり進みます。冒険より、日常に重きありの異世界ライフです。
【あらすじ】
神のミスにより、異世界転生が決まったミオ。調子に乗って、スキルを欲張り過ぎた結果、幼児化してしまった!
そんなハプニングがありつつも、ミオは、大好きな異世界で送る第二の人生に、希望いっぱい!
事故のお詫びに遣わされた、守護獣神のジョウとともに、ミオは異世界ライフを楽しみます!
カクヨム(吉野 ひな)にて、先行投稿しています。
【完結】奇跡のおくすり~追放された薬師、実は王家の隠し子でした~
いっぺいちゃん
ファンタジー
薬草と静かな生活をこよなく愛する少女、レイナ=リーフィア。
地味で目立たぬ薬師だった彼女は、ある日貴族の陰謀で“冤罪”を着せられ、王都の冒険者ギルドを追放されてしまう。
「――もう、草とだけ暮らせればいい」
絶望の果てにたどり着いた辺境の村で、レイナはひっそりと薬を作り始める。だが、彼女の薬はどんな難病さえ癒す“奇跡の薬”だった。
やがて重病の王子を治したことで、彼女の正体が王家の“隠し子”だと判明し、王都からの使者が訪れる――
「あなたの薬に、国を救ってほしい」
導かれるように再び王都へと向かうレイナ。
医療改革を志し、“薬師局”を創設して仲間たちと共に奔走する日々が始まる。
薬草にしか心を開けなかった少女が、やがて王国の未来を変える――
これは、一人の“草オタク”薬師が紡ぐ、やさしくてまっすぐな奇跡の物語。
※表紙のイラストは画像生成AIによって作られたものです。
短編【シークレットベビー】契約結婚の初夜の後でいきなり離縁されたのでお腹の子はひとりで立派に育てます 〜銀の仮面の侯爵と秘密の愛し子〜
美咲アリス
恋愛
レティシアは義母と妹からのいじめから逃げるために契約結婚をする。結婚相手は醜い傷跡を銀の仮面で隠した侯爵のクラウスだ。「どんなに恐ろしいお方かしら⋯⋯」震えながら初夜をむかえるがクラウスは想像以上に甘い初体験を与えてくれた。「私たち、うまくやっていけるかもしれないわ」小さな希望を持つレティシア。だけどなぜかいきなり離縁をされてしまって⋯⋯?
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる