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4 息抜いて つまんだ駄菓子が呼ぶ懸念
4-2 返答
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うっかり、だった。
百合はすぐに立ち上がり、全身に鳥肌を立てながらあたりを見回した。
そこにあるのはデータ室のオフィスのはずなのに、まったく違う空間になってしまったように感じる。
そう感じ取れるくらい、空気が変化していた。
ところどころにわだかまる闇があり、百合は自分の口を押さえた。
――ここに住まないの?
時々耳にしていた、例の問いだ。
それにうっかり百合はこたえてしまった。
住まないよ、と返してしまったのだ。
「どうして?」
新たな問いかけが起こり、それはときおり聞こえていた子供の声だった。
しかし百合が返事をした最初の問いかけは、子供のものではなかった。
低い男性の声であり、まるで八咫のもののように聞こえたのだ。
「まさか」
――まさか、八咫を真似たのか。
八咫に似ていたからこたえてしまったのか、ひとりきりのオフィスではないという意識がどこかにあったのか。
百合は一歩後ろに下がろうとした。だが真後ろに机があり、下がることもできない。机に置いたばかりのテイクアウト弁当が、袋のなかで崩れたのが音でわかる。
百合は昼食を食べに外出したが、途中で新規オープンした店を見つけていた。
そこでは弁当の店頭販売もしており、開店記念の特別価格な上に、弁当のテイクアウトをすればクーポンをつけるという。百合は飛びつくように焼き肉弁当を買い、いそいそと戻ってきたのだ。
まさか戻って早々、妙なことになるなんて。
じわじわと闇が侵食し、いやな気配が濃厚になる。
百合は廊下――おもてを目指すべく足を動かした。
問いかけに返事をしなくていいと功巳は話していたが、では返事をしたらどうなるのか。そこも尋ねておくべきだった。
手近な襖に飛びついたが、いつもと違って微動だにしない。
「うそ……っ」
「どうして住まないの?」
「し、鹿野さん! ねえやさん! 八咫さん! 誰か、ここ開けて!」
「どうして住まないの?」
後頭部に風が吹きつけてくる。百合は襖に肩からぶつかっていった。紙でできているはずが、石の壁のようになってびくともしない。
「どうして住まないの?」
そちらを見ないようにし、百合は両手で襖を叩いた。必死に力をこめればこめただけ、百合の手が痛くなる。
「誰か!」
風が吹きつける。それはくり返され、百合は理解していた。
これは呼吸だ。
自分の真後ろに声の主はいて、それの吐く息が百合の後頭部の髪の毛を揺らしている。
「どうして住まないの?」
いくら叩いても、襖はどうにもできなそうだった。部屋の奥には、襖はもうひとつあり、そちらから百合は出入りしたことがない。あちらの襖はどこに通じているのだろう。玄関にたどり着けるのか。
それを確かめるためにも、まずは振り返らなくてはならない。
「どうして住まないの?」
おなじ言葉がくり返され、風が吹きつける。ひとならざるものの接触に確かに怯え――だが百合は振り返った。
そして見てしまった。
大小無数の首が、そこにある。
天井近くから闇のような黒い布がだらりと垂れ下がり、そこにある顔が百合を見下ろしていた。
ふっくらしたもの、頬のこけたもの、たくさんの首が大きな黒い布の上にびっしりと生え、虚空に浮かんでいる。どれも質量を感じさせるのに、ひどく虚ろな存在だった。
首のすべてが、黒々としたまなこで百合を見つめてくる。
中央に浮かんでいる、ひときわ大きく落ちくぼんだ目をした禿頭の男の首が口を開いた。
「どうして住まないの?」
子供の声の主はこれだ――理解したところで、百合は意識を失っていた。
百合はすぐに立ち上がり、全身に鳥肌を立てながらあたりを見回した。
そこにあるのはデータ室のオフィスのはずなのに、まったく違う空間になってしまったように感じる。
そう感じ取れるくらい、空気が変化していた。
ところどころにわだかまる闇があり、百合は自分の口を押さえた。
――ここに住まないの?
時々耳にしていた、例の問いだ。
それにうっかり百合はこたえてしまった。
住まないよ、と返してしまったのだ。
「どうして?」
新たな問いかけが起こり、それはときおり聞こえていた子供の声だった。
しかし百合が返事をした最初の問いかけは、子供のものではなかった。
低い男性の声であり、まるで八咫のもののように聞こえたのだ。
「まさか」
――まさか、八咫を真似たのか。
八咫に似ていたからこたえてしまったのか、ひとりきりのオフィスではないという意識がどこかにあったのか。
百合は一歩後ろに下がろうとした。だが真後ろに机があり、下がることもできない。机に置いたばかりのテイクアウト弁当が、袋のなかで崩れたのが音でわかる。
百合は昼食を食べに外出したが、途中で新規オープンした店を見つけていた。
そこでは弁当の店頭販売もしており、開店記念の特別価格な上に、弁当のテイクアウトをすればクーポンをつけるという。百合は飛びつくように焼き肉弁当を買い、いそいそと戻ってきたのだ。
まさか戻って早々、妙なことになるなんて。
じわじわと闇が侵食し、いやな気配が濃厚になる。
百合は廊下――おもてを目指すべく足を動かした。
問いかけに返事をしなくていいと功巳は話していたが、では返事をしたらどうなるのか。そこも尋ねておくべきだった。
手近な襖に飛びついたが、いつもと違って微動だにしない。
「うそ……っ」
「どうして住まないの?」
「し、鹿野さん! ねえやさん! 八咫さん! 誰か、ここ開けて!」
「どうして住まないの?」
後頭部に風が吹きつけてくる。百合は襖に肩からぶつかっていった。紙でできているはずが、石の壁のようになってびくともしない。
「どうして住まないの?」
そちらを見ないようにし、百合は両手で襖を叩いた。必死に力をこめればこめただけ、百合の手が痛くなる。
「誰か!」
風が吹きつける。それはくり返され、百合は理解していた。
これは呼吸だ。
自分の真後ろに声の主はいて、それの吐く息が百合の後頭部の髪の毛を揺らしている。
「どうして住まないの?」
いくら叩いても、襖はどうにもできなそうだった。部屋の奥には、襖はもうひとつあり、そちらから百合は出入りしたことがない。あちらの襖はどこに通じているのだろう。玄関にたどり着けるのか。
それを確かめるためにも、まずは振り返らなくてはならない。
「どうして住まないの?」
おなじ言葉がくり返され、風が吹きつける。ひとならざるものの接触に確かに怯え――だが百合は振り返った。
そして見てしまった。
大小無数の首が、そこにある。
天井近くから闇のような黒い布がだらりと垂れ下がり、そこにある顔が百合を見下ろしていた。
ふっくらしたもの、頬のこけたもの、たくさんの首が大きな黒い布の上にびっしりと生え、虚空に浮かんでいる。どれも質量を感じさせるのに、ひどく虚ろな存在だった。
首のすべてが、黒々としたまなこで百合を見つめてくる。
中央に浮かんでいる、ひときわ大きく落ちくぼんだ目をした禿頭の男の首が口を開いた。
「どうして住まないの?」
子供の声の主はこれだ――理解したところで、百合は意識を失っていた。
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