死せる聖堂とガーゴイル

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ケルベロス(1)

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 次郎が死んでから10年の時が流れた。
「だけど君は変わらないね」
 ケルン大聖堂の尖塔の上で、一郎は悪魔の像に話しかけていた。もちろん像からの返事はない。
「まあ、変わってもらったら僕が困るんだけどさ」
 修復作業員の1人として、一郎は尖塔の保全作業に取り掛かる。
 栄理杏は、今や理杏という名乗りを捨て、栄一郎として世界を飛び回っていた。もちろん彫像の修復士として。
 苦労は多かったが今では仕事も定期的にもらえるようになり、なんとか暮らしていけている。
「どうだい? 僕はだいぶ変わっただろう」
 自分の近況を語りながら、一郎は悪魔の像をペタペタと触る。欠けがないか点検しているのだ。そして悪魔の口を覗き込む。そこは深い空洞になっている。空洞の中をライトで照らしながら、理杏は丁寧に中の様子を探る。
「ゴミも詰まってないし綺麗なもんだね。お仕事おつかれさん」
 あの時は不気味としか思えない彫像だったが、今の一郎は知っている。この悪魔像が何者かを。
 ガーゴイル。
 その正体は、ただ意匠に凝っただけの「雨どい」だ。聖堂に降り注いだ雨を集めて外に吐き捨てる構造物だ。
 この恐ろしい彫像が口から水を吐き出すところを想像して、一郎は思わずにやけてしまう。
 さすがに無傷ではないので、細かなヒビや欠けにパテを塗り込み、周囲の素材と馴染むようエージングをかける。これでガーゴイルの修復は終了だ。
「じゃあね。またいつか会おうね」
 一郎が去ろうとしたとき、
「息災でな。力が汝とともにあるように」
 と、ガーゴイルの声が聞こえた気がした。

 作業を終えて尖塔から地上に降りる。今日の仕事はこれで終わりだ。明日はまた別の現場が待っている。
「また明日」
 と、顔馴染みの作業員に声をかけて、一郎はライン川に掛かる大きな橋を、急ぎ足で渡っていく。
 川の向こうのホテルでは、お腹を大きくした妻が待っているのだ。
「おかえり。郵便きてるよ」
 部屋に着くなり妻が言った。
 テーブルの上には黄色い封筒が置かれている。
「親方からかぁ……」
 親方は一郎に修復士としての仕事を叩き込んでくれた人だ。一郎は今や独立してフリーランスになっているので、既に子弟関係ではない。だが、やはり頭は上がらない。
 封を開けて手紙を読むと、仕事の斡旋の話が、書いてあった。
「見てくれよ、大スフィンクスの修復だってよ」
 一郎は子どものようにはしゃぎながら言った。
「てことは、今度はエジプトに行くのね」
 やれやれとでもいいたげに、妻が肩をすくめた。
「狛犬の大将みたいなものだからね、作業に加われて光栄だよ」
「狛犬好きだもんね、一郎は。でもスフィンクスと狛犬を一緒ないで。ぜんぜん違うでしょ」
「おんなじだよ。元を辿ればね。狛犬はシルクロードを渡ってはるか東にやってきたスフィンクスなんだよ」
 その文化の起源を辿れば、メソポタミア文明に行き着くとか。王の間の両脇にライオン像を据えるという文化が、その頃には既にあったらしい。
 百獣の王たるライオンを王の脇侍に据えるのは、権威の象徴として分かりやすい。
 その文化は西に東に伝播して、エジプトではスフィンクスとなり、中国では獅子となった。中国の獅子は日本に渡り、どういうわけか、もう一つの別の生き物を生み出すことになる。
 狛犬。
 神社を守る二体の獣のうちの一体が、狛犬という別の生き物に変化してしまったのだ。
 獅子との違いは立髪がなく、ツノが生えていること。それ以外に違いは見られない。だが、ほかの国には狛犬という存在はなく、この獣は間違いなく日本独自で発展した存在だと言えた。
「というわけで、スフィンクスと狛犬は兄弟みたいなものなんだ。その国で独自の進化をとげたところも一緒だね。各国でいろんな話が付け加えられていって、スフィンクスが王の墓を守るように、死者の番人としての役割を背負わされた話も多い。インドや中国にも死の国の番犬のモチーフがあるし、なんといっても有名なのはギリシャ神話のケルベロスだよね。冥界から逃げ出そうとする死者を食い殺すとまで言われてる」
 一郎は得意げに話し続けた。
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