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第9話
一つくらいは取り柄があるので
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闇に包まれる寸前に見えた紫の瞳が、驚いたように見開かれていた。
体じゅうが痛いけれど、琥珀はエルクウァルを憎む気になれない。彼は、琥珀に声をかけてくれた。ごちそうを食べさせてくれたし、なによりも――。
(故郷の光)
琥珀が自覚なしに、なによりも求めていたものを見せてくれたのだから。
悪い人じゃない。それはわかっている。ではなぜ、あんなにも必死に琥珀とディランをとめようとするのだろう……。
(寝てる?)(寝ているわ。だけどもうすぐ起きそう。だって、ほら)
ぐううう。
琥珀の頭よりも先にお腹が目覚め、その音で頭も覚醒した。ぱっと目を開くと、シアヴィルに負けないくらいの美女が二人、額を突きあわせて琥珀を覗きこみ、笑っている。
「ほら目覚めた」「いまの音はなに?」「この子は飢えているのよ。飢えっていうのはお腹が空くことよ。この国にはないわ」「珍しいこと」
同じ顔をした美女が同時にくすくす笑いだす。琥珀は上掛けをつかんで起きあがり……それをつかめたことに驚いた。
「わたしの手」
小ぶりであってもちゃんとした人間の手がそこにある。指を曲げることもできる。琥珀は両手を掲げながらあたりを見回した。
「エルクウァルの呪いがとけたの? ここはどこかしら? ディランはどこにいるの?」
「ここはコナハト。ダナー神族の宮殿」
美女の一人が琥珀に歩み寄り、上掛けをはがした。それと同時にもう一人が琥珀にガウンを――なにしろ裸だったので――羽織らせ、寝台の帳をめくる。
そこは天井も壁も淡く輝く広い部屋だった。どれも負けず劣らずの美女たちがいっせいに琥珀を振り向き、鏡や衣装を手にしながら喋りだす。
「英雄の末裔ですって」「あまり美しくない」「だけど磨きがいはありそう」
「あ……あの、ディランに会わせてほしいの。わたしは虹の国の琥珀姫です。わたしと一緒にいた男性はどこに……きゃああ!」
「磨きましょう」「飾りましょう」「女王様に恥ずかしくないように」
どれほど長く寝ていたのか知らないが、琥珀の髪は寝ぐせで毛糸玉のように絡まっており、肌から潮の匂いが消えたかわりに寝床の香料の匂いが移っていた。
かなりひどい傷を負っていたはずだが、まったく消えてしまっている。手の指も支障なく動く。
「ほらできた」「これが限界」「鏡、鏡を」「ああ待って、まだ簪を挿していない」
丸い鏡に映った姿は、琥珀がこれまで見てきたどんな自分の姿よりもきれいだと思った。蜜色の髪を細い三つ編みにして、頭の上で留めている。瞳のまわりにはうっすらと青い化粧が施され、唇は珊瑚の色合いだ。
琥珀ははっとして胸元を探った。大事な琥珀玉も消えてしまっている。
(ちゃんとつけていたはずなのに……なくしてしまったの?)
こういう姿に、夢のなかでならなったことがある――魔法の国の王子の隣で、花嫁になるときの理想の姿だ。
「ディランは……どこにいますか。いるんでしょう、会わせてください」
はじめの同じ顔の侍女を振り返り、頭を下げる。簪がしゃらりと音をたてた。返事の代わりにくすくす笑いが聞こえ、どんどん遠ざかっていく。
琥珀が顔をあげたとき、広い部屋に一人ぼっちで残されていた。
「な……」
侍女も鏡も化粧台も消えている。寝台も上掛けもクッションもない。ただ、半透明の帳だけが広がった姿のまま残されており、そちらの奥に扉のない部屋が続いているのがわかった。
琥珀は衣を翻して足を踏みだす。石の床に足音が響いた。
(ダナーの国……といえば、ディランのお母様の母国だったわよね。つまりわたしのお姑ということ? うわあ、緊張するわ。ちゃんと挨拶をして、ディランが無事かどうか確かめないと……)
しかし、かなり歩いた末に部屋は行き止まりになっていた。がらんとした部屋の床に竪琴が一つ、置き去りにされている。琥珀は来た道を振り向いてみたが、人の気配はない。
「ディラン……ディーラーン……どこにいるの」
読んでみた声が竪琴の弦に反響した。竪琴は胡桃材に銅の弦を張ったもので、琥珀が国で弾いていたものとよく似ている。
琥珀は自分の手を見おろした。
(そうよね。手が戻ったのだから、竪琴も弾けるんだわ)
姉たちの言葉が思いだされる。
『琥珀、おまえは料理が苦手だし、刺繍も下手だわ。歌声もすばらしいわけではないし、庭づくりも妙ちくりんになってしまうわね。だけど一つくらいは芸を磨いていかなければ、魔法の国でなめられてしまうのではないかしら』
『そうだわ、竪琴。おまえ、あれを弾くのは好きでしょう。どのみち下手ならば好きなものの腕を磨いたほうがいい。いくつか曲を滑らかに弾けるようになったら、そうそう馬鹿にしたものでもないわ』
(すっかり忘れていたけれど……)
琥珀は竪琴のそばに膝をつく。両手を前に差しのべて、弦を弾いた。
体じゅうが痛いけれど、琥珀はエルクウァルを憎む気になれない。彼は、琥珀に声をかけてくれた。ごちそうを食べさせてくれたし、なによりも――。
(故郷の光)
琥珀が自覚なしに、なによりも求めていたものを見せてくれたのだから。
悪い人じゃない。それはわかっている。ではなぜ、あんなにも必死に琥珀とディランをとめようとするのだろう……。
(寝てる?)(寝ているわ。だけどもうすぐ起きそう。だって、ほら)
ぐううう。
琥珀の頭よりも先にお腹が目覚め、その音で頭も覚醒した。ぱっと目を開くと、シアヴィルに負けないくらいの美女が二人、額を突きあわせて琥珀を覗きこみ、笑っている。
「ほら目覚めた」「いまの音はなに?」「この子は飢えているのよ。飢えっていうのはお腹が空くことよ。この国にはないわ」「珍しいこと」
同じ顔をした美女が同時にくすくす笑いだす。琥珀は上掛けをつかんで起きあがり……それをつかめたことに驚いた。
「わたしの手」
小ぶりであってもちゃんとした人間の手がそこにある。指を曲げることもできる。琥珀は両手を掲げながらあたりを見回した。
「エルクウァルの呪いがとけたの? ここはどこかしら? ディランはどこにいるの?」
「ここはコナハト。ダナー神族の宮殿」
美女の一人が琥珀に歩み寄り、上掛けをはがした。それと同時にもう一人が琥珀にガウンを――なにしろ裸だったので――羽織らせ、寝台の帳をめくる。
そこは天井も壁も淡く輝く広い部屋だった。どれも負けず劣らずの美女たちがいっせいに琥珀を振り向き、鏡や衣装を手にしながら喋りだす。
「英雄の末裔ですって」「あまり美しくない」「だけど磨きがいはありそう」
「あ……あの、ディランに会わせてほしいの。わたしは虹の国の琥珀姫です。わたしと一緒にいた男性はどこに……きゃああ!」
「磨きましょう」「飾りましょう」「女王様に恥ずかしくないように」
どれほど長く寝ていたのか知らないが、琥珀の髪は寝ぐせで毛糸玉のように絡まっており、肌から潮の匂いが消えたかわりに寝床の香料の匂いが移っていた。
かなりひどい傷を負っていたはずだが、まったく消えてしまっている。手の指も支障なく動く。
「ほらできた」「これが限界」「鏡、鏡を」「ああ待って、まだ簪を挿していない」
丸い鏡に映った姿は、琥珀がこれまで見てきたどんな自分の姿よりもきれいだと思った。蜜色の髪を細い三つ編みにして、頭の上で留めている。瞳のまわりにはうっすらと青い化粧が施され、唇は珊瑚の色合いだ。
琥珀ははっとして胸元を探った。大事な琥珀玉も消えてしまっている。
(ちゃんとつけていたはずなのに……なくしてしまったの?)
こういう姿に、夢のなかでならなったことがある――魔法の国の王子の隣で、花嫁になるときの理想の姿だ。
「ディランは……どこにいますか。いるんでしょう、会わせてください」
はじめの同じ顔の侍女を振り返り、頭を下げる。簪がしゃらりと音をたてた。返事の代わりにくすくす笑いが聞こえ、どんどん遠ざかっていく。
琥珀が顔をあげたとき、広い部屋に一人ぼっちで残されていた。
「な……」
侍女も鏡も化粧台も消えている。寝台も上掛けもクッションもない。ただ、半透明の帳だけが広がった姿のまま残されており、そちらの奥に扉のない部屋が続いているのがわかった。
琥珀は衣を翻して足を踏みだす。石の床に足音が響いた。
(ダナーの国……といえば、ディランのお母様の母国だったわよね。つまりわたしのお姑ということ? うわあ、緊張するわ。ちゃんと挨拶をして、ディランが無事かどうか確かめないと……)
しかし、かなり歩いた末に部屋は行き止まりになっていた。がらんとした部屋の床に竪琴が一つ、置き去りにされている。琥珀は来た道を振り向いてみたが、人の気配はない。
「ディラン……ディーラーン……どこにいるの」
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琥珀は自分の手を見おろした。
(そうよね。手が戻ったのだから、竪琴も弾けるんだわ)
姉たちの言葉が思いだされる。
『琥珀、おまえは料理が苦手だし、刺繍も下手だわ。歌声もすばらしいわけではないし、庭づくりも妙ちくりんになってしまうわね。だけど一つくらいは芸を磨いていかなければ、魔法の国でなめられてしまうのではないかしら』
『そうだわ、竪琴。おまえ、あれを弾くのは好きでしょう。どのみち下手ならば好きなものの腕を磨いたほうがいい。いくつか曲を滑らかに弾けるようになったら、そうそう馬鹿にしたものでもないわ』
(すっかり忘れていたけれど……)
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