最後の騎士 ~第六聖女遠征の冬~

寸陳ハウスのオカア・ハン

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第一章 冬の訪れ

1-1 月盾の兄弟  ……ミカエル

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 粉雪舞う空の下で、十字架が燃える。

 北の〈帝国〉の片隅、北陵街道から枯れた森を抜けた先にある集落で、火を放たれた木造の教会が燃える。北限の峰より吹きつける北風に煽られた炎は、教会の尖塔にそびえる十字架像をほとんど呑み込んでいる。

 燃え上がる炎を前に、二人の騎士が向かい合う。〈教会五大家〉筆頭の血筋を示すロートリンゲン家の金色の髪と青い瞳が、ロートリンゲン家の軍事的象徴である月盾騎士団ムーンシールズの月盾の徽章が、冬の色に白む。
「兄上が気に病むことはありませんよ」
 燃える十字架を見上げるミカエルの前で、弟のアンダースが長つばの騎兵帽を軽く傾け一礼する。
黒死病ペスト患者がいた以上、我々では手の施しようがありませんでした。残っていた領民もろくに動けぬ病人や老人ばかりでしたし、これが最善の慈悲でしたよ」
 手で雪を払いながら、やたらと騎兵帽の被りを気にするアンダースがその口元を歪める。炎を背に、月盾騎士団ムーンシールズの誰よりも派手な装具が、冬の白に鮮やかな色を浮かべる。

 兄弟の青い瞳が、粉雪の間に交じり合う。

 燃える十字架を遠巻きに、〈教会〉の十字架旗と、ロートリンゲン家の月盾の軍旗が北風にはためく。
 月盾騎士団ムーンシールズの多くの騎士はミカエル同様浮かぬ表情をしていた。しかしそれとは対照的にアンダースは明るかった。部下を連れ、自らの手で教会に松明を投げ入れたときでさえ、その表情は笑顔だった。
 その笑顔は見慣れてはいたが、しかし今は見たくなかった。
「アンダース。忘れてはいないだろうが、我らはグスタフ三世に〈黒い安息日ブラック・サバス〉の報いを受けさせ、〈帝国〉を真の正道に導くために来たのだ。大義と正義はこちらにあるとはいえ、〈神の依り代たる十字架〉と、我が家の家訓モットーに誓い、民へのこのような仕打ちはなるべく避けねばならん」
「……では、どうしろと? それとも我らの第六聖女様に頼んで、死人を蘇生させる魔法でもかけてもらいますか?」
 その言い分を理解しつつも、騎兵帽の奥に潜む笑みが意味するものを察し、ミカエルは弟に釘を刺した。だがアンダースは、まるで面白い冗談だと言うようにせせら笑う。
「生きたまま民を焼き殺すのは残酷だと仰りたいのでしょうが、どうせほとんど死んだようなものでしたし、どうでもよくないですか? それに、今は戦時です。憎むべきはこの戦争の引き金を引いた皇帝グスタフであり、恨むべきはいたずらに時間稼ぎに徹する帝国軍です。兄上の気持ちもわかりますが、私に八つ当たりしないで下さいよ」
 注意しても、アンダースは煩わしそうな表情を隠そうともしなかった。
「それに、これまで何度も父上に進言してきましたが、やはりこの遠征は性急に過ぎたのです」
 そして炎に煽られてか、その語気は荒くなっていく。
「確かに一戦交えればさっさと片はつくでしょう。ですが会戦もせず逃げ回る帝国軍にその気はなく、もはや早期決着の当ては外れ、敵地での越冬すら考えねばなりません。それに〈黒い安息日ブラック・サバス〉の報復を急かす民衆や、それを煽動するだけの教皇猊下や聖職者連中は、所詮は声がでかいだけの戦の素人。そんな連中に押し切られ、数的優位だけを頼みに軍を動かすなど、無計画にもほどがありますよ」
 アンダースは口を尖らせ、教会遠征軍の元帥であり、この〈第六聖女遠征〉の実質的な総司令官である父ヨハンを詰った。日頃から父と折り合いが悪く、お世辞にも態度がいいとは言えない弟の悪態は、いつも以上に口汚かった。

 弟の態度にミカエルは眉をひそめた。その態度は、〈教会五大家〉の貴族としても、軍の将官としても、月盾の騎士としても、あまりに目に余った。
 誰よりも派手な装具ゆえに、その言動は余計に悪目立ちした。青羽根の飾られた長つばの騎兵帽、髑髏どくろの紋章が刻まれた一点物の胴鎧、きめ細かな意匠が施された歯輪式拳銃ホイールロックピストル、艶めく赤銅を湛えた刺剣レイピア……。弟自身がデザインし、名だたる工房の武具技師たちに作らせたそれらは、しかし身の丈に合っているとは思えなかった。
「思っていても、部下の前ではそのような不満を口にはするなよ。父上はともかく、我らはその子供に過ぎない。国家の大計に口出しできる立場ではない」
「兄上は月盾の長を襲名し、名実ともに我が家の後継者になったのですよ? いつまでも父上に遠慮せずとも、言いたいことは言うべきですって」
「少しは元帥である父上の立場も考えたらどうだ? 父が苦しい立場に立たされているからこそ、子である我らがそれを支えねばならないのだ」
「……はいはい。ですが現状、我が軍は時機を逸していると言わざるをえません。何より、こんな片田舎まで来て何の収穫もなしでは、部下たちが気の毒でなりませんよ」
 言いながら、アンダースは燃える十字架を眺め、また口元を歪める。
「たまには、このように火遊びをするのも悪くありますまい。一足早い〈冬の聖餐日〉だと思えば、少しはみなの気晴らしにもなるでしょう」
 そして〈神の依り代たる十字架〉を貶めるかのように、小さく嘲笑した。
「いい加減、不良気取りは止めろ。〈教会〉に仕える騎士の自覚はないのか? 国や家名を辱めるような言動は慎め」
「そんな父上みたいな言い方しないで下さいよ。『高貴なる道、高貴なる勝利者』でしょ。……ったく、そもそも敵は軍民問わず逃げているのですから、悪評だとしても広まりませんって」
 ミカエルは不謹慎な発言を繰り返す弟を窘めたが、思いも虚しく、アンダースは溜息をつくばかりだった。

 兄弟の間に、風が流れる。

 父ヨハン・ロートリンゲンから月盾騎士団ムーンシールズを賜って五年、ミカエルは二十歳に、アンダースは十八歳になっていた。兄は騎士団長として、弟はその配下の上級将校として、これまで共に戦ってきた。しかし、〈教会五大家〉ロートリンゲン家の子として、〈教会〉の臣民として、月盾の騎士として道を修めてきた兄弟の視線は、今はもう別の方向を向いていた。

 ミカエルは将校用兜バーガネットを小脇に抱えたまま、腰に佩く古めかしい直剣の柄に手を置くと、小さく息を吐き、もう一度、教会の尖塔を見上げた。

 確かな冬だけがそこにはあった。

 暗い空の下、〈神の依り代たる十字架〉が炎の中に消えていく。

 巻き上がる黒煙が雪雲を濁らせ、色を失った冬の陽を覆い隠す。燃える十字架は何も語らず、舞い落ちる雪はただひたすらに静かだった。
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