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甘い夢と苦い現実と
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ユリアンは、自宅と職場である貴族監督省を往復する生活に戻った。
ローゼに詳しい事情は分からなかったが、何か難しい仕事があるということで、ユリアンが帰宅できない日々が続いた。
その間、ローゼは家庭教師たちの授業を受けたり、読書に勤しんだりという日々を送っていた。
最近は、楽器の演奏や舞踏会で踊る為の舞踏などが授業に加えられた。
基礎的な知識のみでなく、教養も身につけたほうが良いだろうという、ユリアンの指示によるものだ。
それなりに忙しい筈だが、何をしていても、ローゼは胸の内に空洞ができたような気持――寂しさを抱えていた。
デリウス子爵の屋敷で奴隷のように働かされていた時、彼女は、そのような感情の存在すら知らなかった。
だが、ユリアンに拾われ、人間らしい生活を送れるようになってから、ローゼの心には様々な感情が蘇った。
その中には、喜びだけでなく、寂しさや孤独といった負の感情も含まれている。
両者は表裏一体なのだと、ローゼは思った。
そんな中、ユリアンから時折入る「魔導通話」――魔導具の一つである「魔導通話機」を用いて、遠隔で行う通話――が、ローゼの楽しみであり癒しだった。
「――変わりはないか」
「私は、大丈夫です。……ユリアン様も、お元気でしょうか」
「ああ、身体は元気だ。お前の顔が見られないのが辛いだけだな」
そういうユリアンの声は、ローゼには心なしか元気がないように感じられた。
「私も……ユリアン様にお会いしたいです」
「もっと頻繁に連絡したいのだが、今は忙しくてな……この仕事が落ち着いたら、また長めの休暇を取るつもりだ。そうしたら、一緒に、どこかへ出かけたいものだな」
「はい、楽しみにしています」
短い通話ではあるが、ユリアンの声を聞くことができたローゼは、胸の中の空洞が少し埋まったかに思えた。
ユリアンとの通話を終え、ローゼは寝支度をしようと自室へ向かった。
ローゼの世話係であるエルマが、洗濯の済んだ寝間着を持ってローゼの部屋へやってきた。
ユリアンの屋敷に来た当初、ローゼは一日に何度も服を着替えることに驚いたが、今では、幾分か慣れてきた。
着替え自体はローゼ一人でもできるのだが、エルマによれば、それは「はしたない」ということで、彼女に任せている。
着替えを終えたところで、エルマが何か言いたそうにしているのに、ローゼは気付いた。
「あの、エルマさん……何か?」
ローゼが声をかけると、エルマは少しの間逡巡した後、口を開いた。
「私は……ローゼ様と若さ……旦那様との間のことに口を挟むことのできる立場ではありません……でも、差し出がましいのは承知で申し上げますが、ローゼ様は、これから先のことを、お考えになっていらっしゃるのでしょうか」
「これから、先……」
「旦那様は、エーデルシュタイン伯爵家の当主です。いずれは、お世継ぎを生む為に正式な奥方様をお迎えになるでしょう。その時、ローゼ様のお気持ちがどうなるかと思って……」
エルマの言葉に、ローゼは、これまで目を背けてきたことを突き付けられた気持ちだった。
「わ、私は……ユリアン様の正式な妻になれないことは分かっています。でも……許されるなら、どんな形でも、お傍にいさせていただきたいと思っています」
ローゼは、そう言って俯いた。
「ローゼ様がいらしてから、ユリアン様は明るいお顔をされることが多くなりました。幼い頃に難しい事情を抱えてらしたのもあって、気難しい方だったのですが、それが嘘のように……ローゼ様の存在は、ユリアン様にとっても重要なのだということは承知しています。でも……」
エルマは、ため息をついた。
「愛する方が、たとえ形だけでも別の相手と夫婦になるのを見るのは……貴族の社会では普通にあることでも、ローゼ様にとっては、お辛いと思います」
「…………」
「傷が浅いうちに、先のことをお考えになったほうがよろしいのではないかと。王都に私の親類がいます。そこで生活しながら、学校へ行ったり仕事を探したりするという道も……」
エルマの言うことは正しいのだと、ローゼは思った。
それでも、ユリアンと離れることを考えただけで、胸が詰まり、涙がこぼれそうになった。
「……申し訳ありません。出過ぎたことを……」
ローゼの顔を見たエルマが、狼狽した様子で言った。
「……大丈夫です。私、考えないようにしていました……」
ローゼは、顔を上げてエルマを見た。
「……私には子供がいませんが……妹の子である姪を、自分の子のように可愛がっていました。でも、妹の一家は、事故で全員亡くなってしまって……その姪が、生きていればローゼ様くらいになっていた筈なのです。だから、どうしてもローゼ様と姪の姿が重なってしまって」
言って、エルマは目頭を押さえた。
「私のこと、気遣ってくれているんですよね」
ローゼは、エルマの手を取って、弱々しく微笑んだ。
「ローゼ様の幸せは、ローゼ様がお決めになることだと分かってはいるのです。でも、それで傷つかれるようなことがあってはと思うと……」
「ありがとうございます。いつかは、考えなければいけないことでした。ユリアン様が戻られたら、話し合ってみようと思います」
――ユリアン様は私を離さないと仰ったけれど、現実問題として、難しい事情がありすぎる……エルマさんが示してくれた選択肢も、頭に入れておかなければ……
ローゼは、窓から見える夜空を見上げて思った。
ローゼに詳しい事情は分からなかったが、何か難しい仕事があるということで、ユリアンが帰宅できない日々が続いた。
その間、ローゼは家庭教師たちの授業を受けたり、読書に勤しんだりという日々を送っていた。
最近は、楽器の演奏や舞踏会で踊る為の舞踏などが授業に加えられた。
基礎的な知識のみでなく、教養も身につけたほうが良いだろうという、ユリアンの指示によるものだ。
それなりに忙しい筈だが、何をしていても、ローゼは胸の内に空洞ができたような気持――寂しさを抱えていた。
デリウス子爵の屋敷で奴隷のように働かされていた時、彼女は、そのような感情の存在すら知らなかった。
だが、ユリアンに拾われ、人間らしい生活を送れるようになってから、ローゼの心には様々な感情が蘇った。
その中には、喜びだけでなく、寂しさや孤独といった負の感情も含まれている。
両者は表裏一体なのだと、ローゼは思った。
そんな中、ユリアンから時折入る「魔導通話」――魔導具の一つである「魔導通話機」を用いて、遠隔で行う通話――が、ローゼの楽しみであり癒しだった。
「――変わりはないか」
「私は、大丈夫です。……ユリアン様も、お元気でしょうか」
「ああ、身体は元気だ。お前の顔が見られないのが辛いだけだな」
そういうユリアンの声は、ローゼには心なしか元気がないように感じられた。
「私も……ユリアン様にお会いしたいです」
「もっと頻繁に連絡したいのだが、今は忙しくてな……この仕事が落ち着いたら、また長めの休暇を取るつもりだ。そうしたら、一緒に、どこかへ出かけたいものだな」
「はい、楽しみにしています」
短い通話ではあるが、ユリアンの声を聞くことができたローゼは、胸の中の空洞が少し埋まったかに思えた。
ユリアンとの通話を終え、ローゼは寝支度をしようと自室へ向かった。
ローゼの世話係であるエルマが、洗濯の済んだ寝間着を持ってローゼの部屋へやってきた。
ユリアンの屋敷に来た当初、ローゼは一日に何度も服を着替えることに驚いたが、今では、幾分か慣れてきた。
着替え自体はローゼ一人でもできるのだが、エルマによれば、それは「はしたない」ということで、彼女に任せている。
着替えを終えたところで、エルマが何か言いたそうにしているのに、ローゼは気付いた。
「あの、エルマさん……何か?」
ローゼが声をかけると、エルマは少しの間逡巡した後、口を開いた。
「私は……ローゼ様と若さ……旦那様との間のことに口を挟むことのできる立場ではありません……でも、差し出がましいのは承知で申し上げますが、ローゼ様は、これから先のことを、お考えになっていらっしゃるのでしょうか」
「これから、先……」
「旦那様は、エーデルシュタイン伯爵家の当主です。いずれは、お世継ぎを生む為に正式な奥方様をお迎えになるでしょう。その時、ローゼ様のお気持ちがどうなるかと思って……」
エルマの言葉に、ローゼは、これまで目を背けてきたことを突き付けられた気持ちだった。
「わ、私は……ユリアン様の正式な妻になれないことは分かっています。でも……許されるなら、どんな形でも、お傍にいさせていただきたいと思っています」
ローゼは、そう言って俯いた。
「ローゼ様がいらしてから、ユリアン様は明るいお顔をされることが多くなりました。幼い頃に難しい事情を抱えてらしたのもあって、気難しい方だったのですが、それが嘘のように……ローゼ様の存在は、ユリアン様にとっても重要なのだということは承知しています。でも……」
エルマは、ため息をついた。
「愛する方が、たとえ形だけでも別の相手と夫婦になるのを見るのは……貴族の社会では普通にあることでも、ローゼ様にとっては、お辛いと思います」
「…………」
「傷が浅いうちに、先のことをお考えになったほうがよろしいのではないかと。王都に私の親類がいます。そこで生活しながら、学校へ行ったり仕事を探したりするという道も……」
エルマの言うことは正しいのだと、ローゼは思った。
それでも、ユリアンと離れることを考えただけで、胸が詰まり、涙がこぼれそうになった。
「……申し訳ありません。出過ぎたことを……」
ローゼの顔を見たエルマが、狼狽した様子で言った。
「……大丈夫です。私、考えないようにしていました……」
ローゼは、顔を上げてエルマを見た。
「……私には子供がいませんが……妹の子である姪を、自分の子のように可愛がっていました。でも、妹の一家は、事故で全員亡くなってしまって……その姪が、生きていればローゼ様くらいになっていた筈なのです。だから、どうしてもローゼ様と姪の姿が重なってしまって」
言って、エルマは目頭を押さえた。
「私のこと、気遣ってくれているんですよね」
ローゼは、エルマの手を取って、弱々しく微笑んだ。
「ローゼ様の幸せは、ローゼ様がお決めになることだと分かってはいるのです。でも、それで傷つかれるようなことがあってはと思うと……」
「ありがとうございます。いつかは、考えなければいけないことでした。ユリアン様が戻られたら、話し合ってみようと思います」
――ユリアン様は私を離さないと仰ったけれど、現実問題として、難しい事情がありすぎる……エルマさんが示してくれた選択肢も、頭に入れておかなければ……
ローゼは、窓から見える夜空を見上げて思った。
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