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お披露目 ※
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エーデルシュタイン伯爵家邸宅の大広間には、着飾った大勢の貴族たちが集っている。
山海の珍味を集めた豪華な料理が立食形式で供され、高級な葡萄酒や洒落た混合酒のグラスを手にした人々は、噂話に興じていた。
「あの冷血伯……いや、ユリアン・エーデルシュタイン伯爵が婚約とは」
「特定の異性との浮いた噂は無かったが、既に決まった相手がいたということでしょうかね」
「お相手は……アインホルン伯爵令嬢とか」
「待て、アインホルン伯はエーデルシュタイン伯と同い年の筈……妹がいたという話も聞かないが」
「アインホルン伯爵令嬢とは言っても養子だそうだ」
「アインホルン伯の養子となった令嬢の『お披露目』と、エーデルシュタイン伯の婚約の発表を兼ねているという訳ですね」
「エーデルシュタイン伯なら、どこの貴族令嬢でも選び放題でしょうに、そんな事情のありそうなお相手を選ぶなんて……」
「余程の美女か、あるいは男誑しか……」
「あまり下品なことを仰らないほうが……壁に耳ありですよ」
喧噪の片隅で、マウアー子爵令嬢ベルタは苦虫を嚙み潰したような表情を見せていた。
流行に合わせた煌びやかなドレスに身を包み、きちんと化粧を施した彼女は、にっこりと微笑んだなら大多数の男が振り向くと思われるが、その美しさを顰め面が台無しにしている。
「これはベルタ殿。ごきげんよう。今夜は、お一人で?」
顔見知りの青年貴族が、ベルタに声をかけてきた。
「はい。父は病で臥せっておりまして、今日は、その名代ということで参りましたの」
慌てて愛想笑いをしながら、ベルタは答えた。
――そうでもなければ、ユリアン様の婚約発表など、出席したくなかったわ……
ベルタが心の中で毒づいていると、会場の高座に、ユリアン・エーデルシュタイン伯爵とクラウス・アインホルン伯爵の二人が連れ立って現れた。
共に美男子と名高い二人の姿を見た女性たちの溜め息をつく声が、あちこちから聞こえてくる。
――ああ、やはり美しいわ、ユリアン様……
ベルタもまた、ユリアンの姿を目にして、無意識に溜め息を漏らしていた。
――初めてお会いしたのは、私が社交界に出た時……一目で心を奪われて……
ユリアンは、ベルタの初恋の相手であり、今でも彼女の想い人だった。
口を利いたことは数えるほどしかなく、向こうはベルタのことなど覚えていないかもしれない。
家の格も違うし、彼の妻になるのは無理かもしれないと思いながらも、ベルタはユリアンを忘れられず、言い寄ってくる男たちを袖にしてきた。
そんなベルタは、ユリアンの婚約の報せを聞いた時、文字通り膝から崩れ落ちた。
誰にも心を許さず、冷血伯とまで言われる彼が選んだのなら、その婚約者は素晴らしい女性なのだろう、とベルタは思い、恋心に蓋をしようとした。
――それなのに……わざわざ貴族の養子になるということは、元は平民の女ということでは? 曲がりなりにも貴族である私が諦めていたのに……これでは、遠慮していた私が愚か者のようではないか……
胸の内に噴き上がる黒い炎に心を焼かれながら、ベルタは高座にいるユリアンを見つめた。
少し遅れて、ユリアンたちの後から、二人の美しく着飾った女性が現れた。
そのうちの一人には、ベルタも見覚えがあった。クラウスの妻となったゾフィである。
そして、もう一人の女性が、ユリアンの婚約者だろう。
ユリアンとクラウスの挨拶で「お披露目」が始まり、人々が高座に注目した。
「……こちらが、ローゼ・アインホルン伯爵令嬢、私の婚約者です」
誇らしげな顔のユリアンが、婚約者だという女性、ローゼを紹介した。
年の頃はベルタより少し下……十七、八歳というところだろう。
やや小柄で華奢な、儚げな雰囲気を持つ美少女だ。
ローゼは、やや緊張した様子ではあるものの、淀みなく挨拶を済ませると、ほっとした表情でユリアンの顔を見上げた。
その初々しく可憐な様子は、人々の微笑みを誘った。
男を誑し込む妖婦のような女を想像していたベルタにとっては、意外だった。
「艶々とした黒髪に真っ白な肌が映えますね……」
「あの大きな青い宝石のような目で見つめられただけで、僕も篭絡されてしまいそうだ」
「小鳥のさえずり、それとも鈴を転がすような声……私も、あんな声に生まれたかったですわ」
「あれなら、冷血伯の血も熱くなるというものですな」
ローゼの美しさ、可憐さは、人々の心を捉えたようだった。
やがて、ローゼはユリアンに付いて、客たちへの挨拶に回り始めた。
ベルタも、ユリアンとローゼに挨拶をした。
「ご婚約おめでとうございます。私はベルタ・マウアーでございます。父のマウアー子爵が病に臥せっておりまして、本日は、その名代で参りました。今後とも、よろしくお願いいたします」
「大変な中、ありがとうございます。……お父上のご快癒をお祈りします」
ベルタの挨拶に、ローゼは少し心配そうな顔で答えた。
それは上辺だけのものではなく、彼女の心からの気持ちであるのが分かったものの、ベルタにとっては、余計に腹立たしく感じられた。
――卑しい女のくせに、私に同情なんてしないで……!
そして、いつも陰鬱な表情をしている印象の強かったユリアンが幸せそうに微笑んでいる姿も、ベルタの心を抉った。
――私が……私の方が……ずっと前から、お慕いしていたのに……!
もはや、周囲の喧噪も、楽団が奏でている優美な音楽も、ベルタの耳には入っていなかった。
山海の珍味を集めた豪華な料理が立食形式で供され、高級な葡萄酒や洒落た混合酒のグラスを手にした人々は、噂話に興じていた。
「あの冷血伯……いや、ユリアン・エーデルシュタイン伯爵が婚約とは」
「特定の異性との浮いた噂は無かったが、既に決まった相手がいたということでしょうかね」
「お相手は……アインホルン伯爵令嬢とか」
「待て、アインホルン伯はエーデルシュタイン伯と同い年の筈……妹がいたという話も聞かないが」
「アインホルン伯爵令嬢とは言っても養子だそうだ」
「アインホルン伯の養子となった令嬢の『お披露目』と、エーデルシュタイン伯の婚約の発表を兼ねているという訳ですね」
「エーデルシュタイン伯なら、どこの貴族令嬢でも選び放題でしょうに、そんな事情のありそうなお相手を選ぶなんて……」
「余程の美女か、あるいは男誑しか……」
「あまり下品なことを仰らないほうが……壁に耳ありですよ」
喧噪の片隅で、マウアー子爵令嬢ベルタは苦虫を嚙み潰したような表情を見せていた。
流行に合わせた煌びやかなドレスに身を包み、きちんと化粧を施した彼女は、にっこりと微笑んだなら大多数の男が振り向くと思われるが、その美しさを顰め面が台無しにしている。
「これはベルタ殿。ごきげんよう。今夜は、お一人で?」
顔見知りの青年貴族が、ベルタに声をかけてきた。
「はい。父は病で臥せっておりまして、今日は、その名代ということで参りましたの」
慌てて愛想笑いをしながら、ベルタは答えた。
――そうでもなければ、ユリアン様の婚約発表など、出席したくなかったわ……
ベルタが心の中で毒づいていると、会場の高座に、ユリアン・エーデルシュタイン伯爵とクラウス・アインホルン伯爵の二人が連れ立って現れた。
共に美男子と名高い二人の姿を見た女性たちの溜め息をつく声が、あちこちから聞こえてくる。
――ああ、やはり美しいわ、ユリアン様……
ベルタもまた、ユリアンの姿を目にして、無意識に溜め息を漏らしていた。
――初めてお会いしたのは、私が社交界に出た時……一目で心を奪われて……
ユリアンは、ベルタの初恋の相手であり、今でも彼女の想い人だった。
口を利いたことは数えるほどしかなく、向こうはベルタのことなど覚えていないかもしれない。
家の格も違うし、彼の妻になるのは無理かもしれないと思いながらも、ベルタはユリアンを忘れられず、言い寄ってくる男たちを袖にしてきた。
そんなベルタは、ユリアンの婚約の報せを聞いた時、文字通り膝から崩れ落ちた。
誰にも心を許さず、冷血伯とまで言われる彼が選んだのなら、その婚約者は素晴らしい女性なのだろう、とベルタは思い、恋心に蓋をしようとした。
――それなのに……わざわざ貴族の養子になるということは、元は平民の女ということでは? 曲がりなりにも貴族である私が諦めていたのに……これでは、遠慮していた私が愚か者のようではないか……
胸の内に噴き上がる黒い炎に心を焼かれながら、ベルタは高座にいるユリアンを見つめた。
少し遅れて、ユリアンたちの後から、二人の美しく着飾った女性が現れた。
そのうちの一人には、ベルタも見覚えがあった。クラウスの妻となったゾフィである。
そして、もう一人の女性が、ユリアンの婚約者だろう。
ユリアンとクラウスの挨拶で「お披露目」が始まり、人々が高座に注目した。
「……こちらが、ローゼ・アインホルン伯爵令嬢、私の婚約者です」
誇らしげな顔のユリアンが、婚約者だという女性、ローゼを紹介した。
年の頃はベルタより少し下……十七、八歳というところだろう。
やや小柄で華奢な、儚げな雰囲気を持つ美少女だ。
ローゼは、やや緊張した様子ではあるものの、淀みなく挨拶を済ませると、ほっとした表情でユリアンの顔を見上げた。
その初々しく可憐な様子は、人々の微笑みを誘った。
男を誑し込む妖婦のような女を想像していたベルタにとっては、意外だった。
「艶々とした黒髪に真っ白な肌が映えますね……」
「あの大きな青い宝石のような目で見つめられただけで、僕も篭絡されてしまいそうだ」
「小鳥のさえずり、それとも鈴を転がすような声……私も、あんな声に生まれたかったですわ」
「あれなら、冷血伯の血も熱くなるというものですな」
ローゼの美しさ、可憐さは、人々の心を捉えたようだった。
やがて、ローゼはユリアンに付いて、客たちへの挨拶に回り始めた。
ベルタも、ユリアンとローゼに挨拶をした。
「ご婚約おめでとうございます。私はベルタ・マウアーでございます。父のマウアー子爵が病に臥せっておりまして、本日は、その名代で参りました。今後とも、よろしくお願いいたします」
「大変な中、ありがとうございます。……お父上のご快癒をお祈りします」
ベルタの挨拶に、ローゼは少し心配そうな顔で答えた。
それは上辺だけのものではなく、彼女の心からの気持ちであるのが分かったものの、ベルタにとっては、余計に腹立たしく感じられた。
――卑しい女のくせに、私に同情なんてしないで……!
そして、いつも陰鬱な表情をしている印象の強かったユリアンが幸せそうに微笑んでいる姿も、ベルタの心を抉った。
――私が……私の方が……ずっと前から、お慕いしていたのに……!
もはや、周囲の喧噪も、楽団が奏でている優美な音楽も、ベルタの耳には入っていなかった。
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