騎士団長のお抱え薬師

衣更月

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ヴァーダト一族

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 ぎゃあああああ!!
 と、悲鳴を上げられたらどれだけ楽か。口を開けば舌を噛む状況では、悲鳴すらままならない。
 出国の時は途中で気絶したとはいえ、スカートで横乗りの状態だったからお尻の痛みと恐怖心が凄かった。それを踏まえ、ズボンを穿いて来たのが仇となった。
 横乗り以上の激痛だ。
 お尻が痛い以上に、内腿が擦られて火が点いたように痛い!皮が剥けているのは確実だ。
 馬に乗り慣れていないと、股ズレになるのだとマリアが言っていた。股ズレが何か分らなかったけど、今はマリアの忠告を心して聞くんだったと後悔している…。
 涙を流しながらたてがみにしがみ付き、前方を駆ける鹿毛の馬を見据える。騎乗しているのはアーロンで、邪魔な障害物を風の刃で払い除ける役を担っている。
 殿しんがりを努めるのはイアン・メイヤーだ。
 オレンジ色の髪が特徴のイアンは、ジャレッド団長と同期だという。片手で手綱を握り、もう片手で剣を持ち、襲い来る魔物を器用に斃している。
 襲って来るのは、主に中型の魔物だ。小型の魔物は、騒々しい蹄の音で逃げている。大型の魔物は近くにはいないらしい。
 運が良いのか、それともジャレッド団長がアーロンに飛ばす指示にカラクリがあるのかは分からないけど、森の中で大立ち回りになれば私は再び卒倒する自信がある。
 やっぱり休暇を取って、安全な馬車の旅にしていれば良かったと後悔し始めたところで、アーロンが手を上げた。馬が襲歩しゅうほから駈歩かけあしと速度を落とし、常歩なみあしとなって視界が開けた。
 川だ。
 小さく円い石がゴロゴロした川縁を前に、アーロンが馬を降りた。
「馬を渡してから休憩にしましょう」
「そうだな」
 ジャレッド団長も同意して馬を降りた。
 私も降りようとしたところで、「乗っていろ」と言われたので浮かした腰を落とす。正直、馬から降りてお尻をクールダウンしたい。
「ここら辺に魔物はいませんね」
 イアンが鼻をすんすん鳴らしながら、周囲を見渡している。
 安全が確認されてから、手にした剣を鞘に戻した。馬を降りると、労うように首をひと撫でしてから手綱を引いて川に入って行く。
 3人とも躊躇がない。
 馬上から見る限り、川に足が届かないほどの深みはないけど、長身のジャレッド団長が腰まで沈めている。
 死角となる岩に何が潜んでいるのか分からないというのに、3人と3頭は怯むことなく川の中を進む。無駄口を叩かず、四方に視線を巡らせているのは警戒心の現れだ。
 私も馬上から、主に水中に怪しい影がないかを見張る。
 さらさらと穏やかに流れる水の音に、甲高い何かの鳴き声。軽やかな囀りが聞こえるので、獰猛な獣がいないのは分かる。たぶん、魔物もいない…はずだ。
 それでも束の間、痛みを忘れるほどの緊張感が続く。
 無事に川を渡り終えて、ようやく安堵の息が出た。
 それは3人も同じだ。
「ここで休憩だ。馬に水を飲ませてやれ」
「了解」と、アーロンとイアンが口を揃える。
 私はよたよたと馬を降りると、腰砕け状態でへたり込んでしまった。膝や腰に力が入らないし、何より初めての股ズレは拷問のように痛い。
 泣きながら内腿に手を当てセルフ治癒すれば、ジャレッド団長が感心したように眺めているから最高に居心地が悪い。
「便利なものだな」
 セルフ治癒を揶揄するように、ジャレッド団長が口角を吊り上げた。
 本当に、ジャレッド団長は意地が悪くて嫌いだ。
 ジャレッド団長以外の獣人は優しいのに…。
 めいっぱい不満を顔にしながら治癒に励んでいると、「イヴ」とアーロンが歩いて来た。
「本当に道はあっているか?」
 と、地図を広げ、首を傾げながら傍らに跪く。
 地図は大雑把なものだ。
 僅かながらキャトラル王国ゴールドスタイン伯領が掠った、”魔女の森”を中心に作られている。なので、目印となるのは関所と街道くらいだ。
 斜線で囲われた箇所は中立地帯で、×印が大型の魔物の巣が確認された箇所。赤い〇が騎士団の演習で使用する野営地で、今いる川は青いインクで記される。
 改めて地図で見ると、ハノンと街道はゴールドスタイン伯領の端と端に分かれている。街道に至っては、下手をすれば隣の領地に接しそうな勢いだ。
 明け透けな「なるべく獣人は領土に入れたくない」という差別思考が見える。
 私たちは街道を通らず、斜めに突き抜けるようにハノンを目指している。
 が、おばあちゃんの家は町の中にはない。
 とん、とアーロンの指さしたのは、ハノンの外れも外れ。森の奥まった場所だ。
 これにはジャレッド団長とイアンも渋面を作る。
「本当にココなのか?」と、ジャレッド団長。
「はい。家は森の中なんですよ。別におじいちゃんとおばあちゃんが人嫌いだったからじゃなくて、先祖代々の家です」
「魔物が出るだろ?」
 ジャレッド団長が言えば、イアンが「魔導士だったんじゃないですか?」と首を傾げる。
「平民は魔力量が多くはないから、中型の魔物1頭で危険な状況に陥る。イヴの家系に貴族の血が混じっていれば違うんだろうが…」
 アーロンの言葉に、3人は目を眇めたのち、「それはないな」と頭を振った。
 本当に失礼だ。
「うちは代々薬師なんです。森でしか採取できない薬草も多いので、先祖代々家を継いでいると聞きました。おばあちゃんは”帰らずの森”は宝しかないって言ってたくらいです」
 おばあちゃんが亡くなって、自力で稼ぐ必要になった私は、ギルドに近い町中に引っ越してしまった。薬師になれば、いずれ帰ると誓ってはいたけど、目まぐるしい日々に畑の世話を怠り、結局は放置したまま出国したのだ。
 もう畑はダメだろう。
 一から畑を作り直すなら、少なく見積もって5年は薬草採取の見込みはないと思っておいた方がいい。
「魔物はどうした?」
「危険な魔物が出れば、ギルドに討伐依頼を出してました」
「それでは緊急の時に間に合わないでしょう?」
 イアンが右に左に首を傾げて疑問を口にする。
「あ!そうです」
 うっかり忘れていた。
 森の中でも無事な理由は、門外不出のレシピ”魔物除けの香”があるからだ。
 レシピはおばあちゃんしか知らない。いずれは私が受け継ぐように…と言っていた矢先に、おばあちゃんは呆気なく逝ってしまった。前日が普段通りだっただけに、寝ている間に…というのはショックだった。
 ただ、死に方としては理想なのだろう。
 たぶん、そのレシピが手付かずのまま家に眠っている。
「あの…獣人って、ぱっと見は私たちと同じに見えるんですけど…色々と違うんですよね?聴覚とか…嗅覚とか…」
「血統にもよるな。だが、俺とイアンは五感の中では嗅覚が突出している」
 と、ジャレッド団長。
 イアンも同意するように頷いている。
 アーロンは、「私は人族の血が濃いので、ほぼ人族と変わらないと考えてもらって大丈夫だ」と肩を竦める。
「それがどうした?」
「あ…いえ。ジャレッド団長たちが疑問に思ってたでしょ?家の位置。それには理由があって、魔物除けの香を仕込んでいるんです。だから魔物は近寄りません」
「魔物除けの香?」と、3人がハモる。
「先祖直伝門外不出レシピで、どういう調合を行っているかは分からないんですけど、臭いらしいんです」
「臭い…らしい?」
 曖昧な物言いがお気に召さないのか、ジャレッド団長が口角を歪めた。
「私は慣れちゃってたから良く分からなかったんですけど、出入りの商人たちが”独特の臭い”って言ってました。強烈に臭うわけじゃなくて、気が付いたら気になってしまうような…そんな微かな臭気です。香辛料や酢、ハーブ。あと特定の魔物の素材なんかを使っていると聞いてます」
「臭いの種類にもよるんだろうが、ジャレッド団長とイアンにはキツいかもしれないな」
 アーロンは地図を折り畳み、渋面を作っている2人を一瞥して立ち上がった。
「ゴゼット一族が風変りなのは理解した」
「ゴゼットは父の姓で、私は母方に引き取られたんですよ」
「は?」
 これまた3人の声が揃う。
「言ってませんでした?私の両親は、私が4つの頃に事故で亡くなったんです。それまで王都で育ちました。5つの時におじいちゃんが孤児院にいた私を見つけだしてくれて、一緒に住むことにしてくれたんです。両親は駆け落ちだったらしくて、父方については何も知りません。それでも両親を忘れたくなくて、姓はゴゼットのままが良いと…。私の我儘で、そのままにしているんです。母の旧姓はヴァーダトです」
「…ヴァーダト?」
 ぎょっとジャレッド団長が目を丸めた。
 イアンも同様に驚き、アーロンは口角を歪める。
「お前はヴァーダト家の者なのか?」
「え?…あ、はい。えっと…ヴァーダトだと拙いんですか?獣人と一悶着あって、ヴォレアナズ帝国立ち入り禁止になってる…とか?」
 そうであれば、せっかく慣れて来た騎士団での仕事が泡となって消えてしまう…。
 怖々と首を竦めれば、3人は気難しい顔だ。
「本物ですか?」とイアン。
「わざわざ嘘はつかないだろう」
 アーロンは頷きながら、「嘘を吐いてもイヴには得がない」と言う。
「そうだろうな。こいつは根っから平民思考だ。団長である以前に、貴族である俺に嘘を吐く意味があるとは思えない」
 貴族に対して平民が騙ることは罪だ。
 相手が王族なら不敬罪や反逆罪として裁かれてしまう。高位貴族も同様に、騙ることは裁きの対象となる。例えそれが、平民間では他愛ないジョークだとしても…だ。
 シンプルに恐ろしい…。
「ヴァーダトだったら…何か罪になるんでしょうか?」
 祈る気持ちで胸の前で手を組めば、3人が驚いたように目を見合わせる。
「お前、知らないのか?ヴァーダト家を」
 ジャレッド団長の問いに、ますます頭の中が混乱する。
「知ってます。育った家ですよ?ヴァーダト家は、代々薬師の家系なんです。母も薬師でした」
「そうじゃない。ヴァーダトと言えば、誰もが口にするぞ。魔女ヴァーダトと」
 魔女…ヴァーダト?
「俺たちの”魔女の森”という呼称は、ヴァーダト一族が由来なんです」
 イアンが嘆息する。
「過去、キャトラル王国と一触即発の時期があったんですよ。俺たちの生まれるずっと昔に。その冷戦期に、この森を越えることを許さなかったのがヴァーダト一族。俺たちは、そう習います」
「それ以前は、それぞれの領地の名前で呼ばれていたんだ。”クロムウェル森”と言った具合に。だが、ヴァーダト一族の一件以来、”魔女の森”と呼称が変わった」
 アーロンは言って、感慨深げに周囲に視線を巡らせる。
「教科書に載ってはいても、生徒は話半分で聞いていたくらいだ。何しろ、両国間で平和条約が締結された後、”魔女の森”で魔女を見たという話が出て来なかったからだ」
「まさか実在してたとな」
 ジャレッド団長は言って、私の脇腹を掴むと、ひょいっと抱え上げた。
 まるで幼子をあやすような「高い高~い」に、ごっそり表情が抜け落ちてしまう。
 何を思っての「高い高~い」なのかと思えば、馬の背に着地した。
「ヴァーダトを迎えられたことは、この上ない誉れだな」
 ジャレッド団長がにやりと口角を吊り上げ、アーロンが深々と頷く。
「んでも、その魔物除けの香ってのが、ちょっと嫌な感じがしますね。教科書に載ってた、俺たちを退ける的なやつじゃないといいけですけど」
 何気ないイアンの言葉に、ジャレッド団長の顔が面白いくらいに歪んだ。
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