騎士団長のお抱え薬師

衣更月

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懐かしい顔

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 白魔茸の発見で、俄かに第2騎士団が慌ただしくなった。
 公爵家が昨日の内に冒険者ギルドに調査依頼を出したということで、ヴォレアナズ帝国の”魔女の森”を含む、全ての森が調査範囲となったらしい。
 調査は冒険者ギルドに一任されたというが、人手が足りないのか騎士たちも朝から”魔女の森”に駆り出されている。
 結果が出るのは早くて1週間後。
 それまでにスムーズな指揮が執れるように、ハワード団長が公爵代理として領内のお偉いさんを召喚して会議を行うそうだ。
 議題は大雪対策。
 まずは備蓄に対する人員確保。
 討伐に関しては騎士団や冒険者がいるけど、狩った獣や魔物を解体する人員が足りない。解体後の毛皮を鞣し、防寒具を作る人員もいるし、骨や爪、牙で武具を作る人員もいる。
 そもそも臭みが強い獣や魔物は狩ったら終わりではなく、血抜きが必要なのだ。獲物を逆さ吊りにして1回目の血抜き。解体して、肉塊になったら2回、3回と水に漬けて血抜きを繰り返す。これを疎かにすると、臭くて食べられたものではないのだ。この作業だけで数日かかる。
 狩って直ぐに食卓に並べられるのは、臭みの少ない鳥やウサギなどの限られた獣だ。
 内陸に位置する地域は塩が貴重なので、肉は薄くスライスして燻製にするのが主流になる。
 それの作業に、さらに人員が必要だ。
 また、獣や魔物を解体した際に出る大量に出る獣脂は、蝋燭として貧困層に配られるので、その作業員もいる。
 必要な保存食は木の実なども含まれるので、それらの採取、仕込みもある。
 大量の薪も忘れてはならない。
 きこりの人員もいる。
 これらは20年前に公爵家が打ち出した領民を守る法で、備蓄は平等に配布されるらしい。
 とはいえ、個人個人で家屋のメンテナンスなんかの備えも必要になるだろうし、井戸が凍らないような対策も必須になる。
 人手は足りない。
 魔道具があれば、大量の薪も井戸水の凍結対策も必要ないのかもしれない。でも、残念ながら魔力持ちが珍しいヴォレアナズ帝国において、魔力が空になった魔石に魔力を込めてくれる専門店はない。
 この国の魔石は使い捨てなのだ。
 よって、魔石を動力源として動く魔道具の所持率は低い。
 所持しているのは貴族家か裕福な商家くらいだと思う。
 そんな中でトードブルーを拾ったのは幸運だった。オークションの落札額によっては、領民全戸に水属性と火属性の何かしらの魔道具が配布できるはず。
 それでも、大雪の最中に魔石が空になっては立ち行かないので、備えは必要となる。
 毎年大雪の備えができないのは、例え公爵家といえども資金と人員の確保が難しいからだと推測できる。
 そう考えると、冬ごもりの準備期間を与えてくれる白魔茸は偉大だ。
 そんな白魔茸を1本持ち帰ってみたけど、朝になれば淡いピンク色がくすみ、黄ばんだ色に変色していた。柄はしわしわ、火花が散ったようなカサはしおしおとしな垂れている。
「イヴ。すごい薬草の数ね」
 声に振り向けば、マリアがエプロンで手を拭きながらやって来た。
 マリアが見渡すのは、大量のざるに並ぶ大量の薬草だ。
 昨日採取した薬草を洗い、水分を抜くため天日干ししている。もちろん、薬草の種類ごとに分けているので、笊の数は十を数える。
「ニオイは大丈夫?」
「平気よ」
「何か確保していた方が良い薬とか…アドバイスってあります?私に作れれば作るけど、無理そうならハベリット商会に注文しないとだから」
「そうね。前回の大雪はまだここにはいなかったけど、ナタリアに聞いた話では病人が出ると大変らしいわ。鼻水に喉の痛み、咳と熱。風邪の症状ね。あっという間に感染うつっちゃうんだって。あと腹痛とかかしら?」
 対処できる範囲で良かった。
 ほっと胸を撫でおろすと、マリアは「私としてはハンドクリームね」と手を翳す。
 以前は水仕事で荒れていた指が、今はサカムケひとつない。爪もつやつやぴかぴかだ。
「イヴのクリーム最高よ。獣人は治癒力がすごいって言っても、手荒れのような日常的なものは繰り返すのよ。冬に血が滲むほど悪化して、夏にかけてマシになって、治りきる前に冬が来て…。その繰り返し。そういう仕事だから仕方ないんだけど、とても楽になったわ」
 若葉色の猫目が、きらきらと輝いている。
 こうして喜んでもらえると作り甲斐がある。
「麦刈りが終わるまでに、薬草と蜜蝋も採取しておきますね」
「安請け合いするな」
 ぴしゃり、と口を挟んだのはジャレッド団長だ。
 マリアが頬を染め、しげしげとジャレッド団長を見つめた後、「お疲れ様です」と頭を下げて仕事に戻って行った。いや、逃げた。
「蜜蝋はハベリット商会で取り寄せればいい。わざわざ危険を冒そうとするな。今から注文しておけば、秋には必要量が揃うだろう。ドーマーが担当だったか?」
「はい。薬草部門を任されるようになったんですよ」
「ならば、ドーマーに必要量を注文しておけ」
 叶うなら自分の手で採取したいけど、ジャレッド団長は承知しない。厳めしい顔つきで、「分かったな」と念を押してくるので頷くしかない。
「そういえば、オークションの目処は立ちましたか?冬ごもりの足しにできるのか…ちょっと心配で」
「オークションは社交シーズン終了後に最大級のもが開かれる。父上に早馬を飛ばしているから、明後日には届く手筈だ。近いうちに専門家に鑑定を依頼し、最低落札価格を決めることになる」
「それじゃあ、ちょうど良いタイミングなんですね」
 なんでも貴族というのは、春に社交シーズンに入り、帝都に集うそうだ。
 社交シーズンは何かといえば、舞踏会や茶会になる。
 期間は雷乃発声と呼ばれる春の訪れを知らせる雷嵐が過ぎた頃から晩夏まで。皇家が開く夜会がシーズン終了の合図となるらしい。
 社交シーズンには一家総出で帝都に赴く貴族もいれば、成人した子が代理として参加したり、未婚の子が伴侶を探すために参加したりするのだとか。必ずしも強制参加ではないので、クロムウェル公爵家のように国境を守る貴族家は、代理を立てたり、シーズン終盤に顔を出す程度だったりするそうだ。
 法服貴族ならまだしも、多くの貴族家は長期間領地を空けるので大変とのこと。
 それでも、貴族院の議会も開かれているので、誰も行かないという選択肢はないらしい。
 ジャレッド団長とグレン団長は社交というのが苦手らしく、ほぼ欠席状態。
 今回はスカーレンの件もあり、公爵夫妻が早めに帝都に入って忙しくしているとか。
「大雪警報が出れば、早期に社交シーズンが終わるだろうな」
 ジャレッド団長の説明に頷いていると、「イヴ!」と聞き覚えのある声が耳に届いた。
 声を探して振り向けば、屈強な騎士たちに囲まれながら、ぶんぶんと手を振っている男性がいる。
 少し遠くて顔が分からない。それでも、灰褐色の髪と動きやすさを重視した黒い冒険者服には見覚えがある。
 冒険者服というのは、武器の携帯に特化したベルトや隠しポケットが施された衣装になる。高価な冒険者服になると魔力を帯びた糸で仕立てられ、防御力が上がる。
 魔力を帯びた糸というのは、聖魔力で薬を作るように、火魔力が籠る糸は火攻撃に特化した防御素材に、水魔力が籠る糸は水攻撃に特化した防御素材になる。
 ただ、そもそも聖属性以外の魔力持ちが紬職人の道に進むのは非常に稀だ。紬職人になったとしても、一朝一夕で魔力を籠めることはできない。特に火属性は、繭や綿との相性は最悪だ。これは他の属性の魔力にも言えることだけど、何かに魔力を込めるには緻密なコントロールが必要になる。魔力と相反する物では尚更難しい。
 なので、貴重な生地はお値段が張る。
 多くの冒険者は、武器にお金をかけるか、防御に優れた服にお金をかけるかで悩むことになる。
 高価な冒険者服を着るのは上位冒険者のステータスで、主流な服の色合いは森に同化できる茶色や緑色。黒も目立ち難いけど、黒を敵とみなして攻撃してくる獣や虫がいるので、黒を着る人は殆どいない。
 その上で、黒い冒険者服を愛用する人を1人だけ知っている。
 ランス・ペパード。
 冒険者ギルド・ハノンで唯一のAランク冒険者であり、メリンダの旦那でもある。
 ハノンにいた時は、ランスは長身の部類だった。確か、180cm近くあったと思う。
 だというのに、騎士と違って線が細いからか、ここでは埋もれてしまうほど小さく見える。
「知り合いか?」
 ぶす、とした不機嫌な声に、私は頷く。
「ハノンでお世話になってる人です。小さく見えるけど、Aランカーなんですよ」
 誇らしさに口元を綻ばせれば、ジャレッド団長が苛立たし気に歯軋りする。そうして睨みつけるのは、悠々と歩んで来たランスたちだ。
 ランスを連れて来た騎士の1人、ロッドは額に手を当てて緩く頭を振っている。
 他の騎士たちも、ジャレッド団長の機嫌の悪さを悟って、1歩だけ後退した。
 ピリピリと張り詰めた空気の中、ランスは「久しぶり」と口パクしてウィンクを飛ばす余裕っぷりだ。
「ロッド!説明!」
 ジャレッド団長の咆哮に、ロッドが姿勢を正した。
「関所から、人族が単騎で街道を渡って来たと連絡が来たため、我々が赴きました。名はランス・ペパード。イヴとの面会を希望しているとのことで、カスティーロの冒険者ギルドで身元照会をして本人であることを確認。ランクはAでした。本日中にはあちらに戻ると言うので、連れて来た次第です。申し訳ありません」
 ジャレッド団長の舌打ちに、ロッドが畏縮する。
 そもそも、あの街道を使う人は冒険者と限られている。それも入国が目的ではない。街道に出てくる魔物が目当ての、力試しのBランカーパーティーが多いので、単騎で街道を渡って来るなんてありえないのだ。
 怪しさ満載の単騎で乗り込んできた男が入国手続きを始めたとなると、騎士団が身元確認に行くのも尤もである。
 何しろランスの見た目が悪い。
 口を噤んで仕事をする様は、見惚れるような端正な面立ちも、笑うと一転。少年のような幼さが出る。
 要は童顔なのだ。
 年齢は28才と、それなりに年を経ているけど、ぱっと見は単騎で来るような実力には見えない。
「Aランカーには見えんな」
「よく言われるよ」
 ランスは人懐っこい笑みを崩さない。
「ジャレッド団長。ランスは28才なんですよ」
「は?年上なのか?」
 ぎょっとジャレッド団長が目を見開く。
 これでランスがAランカーでもおかしくはないと理解できたはずだ。
「ランス、元気だった?」
「元気元気。めちゃくちゃ元気!」
 ランスはからからと笑いながら、どん、と胸を叩く。
 まぁ、怪我をしてもメリンダがいるしね。
「あ。ランス、剣は?忘れて来たの?」
 見れば、腰にあるはずの剣がない。
「そうだった。一応、剣は預かっていたんだ。すぐに返そう」
 ロッドの目配せに、1人の騎士が走り去って行った。
「というか、剣を忘れるなんてないだろ?」
「ランスならあり得るんですよ。よく物を忘れて討伐に出たりします。剣に、路銀に…」
「ポーションはよく忘れる」
 からからと、ランスが笑う。
 ロッドが「マジか、こいつ」という顔でランスを見下ろしている。ジャレッド団長に至っては苦虫を噛み潰したような顔つきだ。
「心配はいらないと思うけど、メリンダは元気?もう産まれた?」
「おう。元気な男の子。双子だ」
「イヴ。メリンダとは?」
「ハノンの冒険者ギルドでお世話になった人です。烏滸がましいかもしれないけど、私にとってはお姉さんみたいな人ですよ。ランスの奥さんでもあります」
「めちゃくちゃ美人なんだぜ」
 ランスは自慢げにジャレッド団長を見上げているけど、ジャレッド団長はメリンダに興味がないみたいだ。顎に手を当てて思案顔をしながらも、機嫌が持ち直したのか口角が上がった。
 ジャレッド団長の機嫌の切り替わりは謎が多い…。
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