マリンフェアリー

國灯闇一

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Ⅱ章――――俺たちの夏がやってきた

12  空席

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 その夜、俺は家族と夕飯を食べていた。うなぎ丼にみそ汁、シャキシャキサラダ、そして今日もらってきたチャーシューが並んだ。
 目の前にうなぎ丼が出されたら、がっつくほど箸が進んでいただろう。しかし、胃もたれのようなモヤモヤした気分が全身を満たしていた。

「お母さん、水曜日にシャーリーモールに行きたいんだけど、今月ピンチなんだよねぇ」
 穂鷺美の前置きから次に出てくる話は察しがつく。母ちゃんも気づいたようで、すんと真顔になった。

「それで?」
「お小遣いの前借りをしたいなぁー、なんて」
「あなた勉強は?」
 母ちゃんは呆れ混じりに尋ねる。なんとなく、母ちゃんの言葉には心配しているような意味が含まれている気がした。なぜそんな気がしたかと問われれば、俺も経験者だから以外にあるわけがない。
 穂鷺美は中学三年生。今年は受験を控えている。去年は俺も「受験勉強はどう?」とか、「ちゃんとやってるの?」とか、事あるごとに聞かれた。すでに俺と同じ高校に進学することを決めている穂鷺美は、余裕しゃくしゃくだった。

「やってるって。テストだって平均点以上取ってるでしょ。だいたい、お兄ちゃんでも受かった高校だよぅ? 楽勝だってば」
 このように、兄をなめきっているわが愚妹だが、俺は反論できない。まことに受け入れがたいことではあるが、わが愚妹はそこそこ頭がいい。しかも、中学三年生にして、英語を操ってしまうのだ。
「それならいいけど、また来月になって前借りしたいとか言わないでよ?」
「はいはい」
 俺ならこうもすんなりいかない。あの手この手を使い、ようやく前借りの承諾が得られる。これがいわゆる家庭内格差か……。

「お父さんも今日くらい家で食べればよかったのに」
 穂鷺美はいつも父ちゃんが座る席を見つめる。空席の前だけテーブルには何も置かれていない。
「明日の朝には帰ってくるわよ。ちゃんとお父さんの分は取ってあるし」
「あれ、お兄ちゃんお腹減ってないの?」
「え?」
「いつもご飯おかわりしてるのに、今日一杯もおかわりしてないじゃん」
 俺の手に持たれたどんぶりは、まだ半分以上残っている。

「あーいや、『でんでん』でちょっと食べすぎてな」
「あなたまで前借りとか言わないでよ」
「わ、わかってるよ」
 誤魔化すように無理やりご飯を口に押し込んだ。

 ——俺は知ってしまった。なぜ折谷がマリンフェアリーを恨んでいるのか。なぜ俺を嫌うのか。
 俺は父ちゃんが座っているいつもの席に視線を移す。ぽっかりと空いた席。そこだけ、食事が置かれていない。
 マリンフェアリーは、折谷の大切な人を奪った元凶。澪さんは、そう言っていた。



 九年前。折谷家は樫崎島に移ってきた。
 折谷夫妻の長年の夢だったらしい。美しい海がある島で悠々自適な暮らし。なんとなく、憧れるのもわかる気がする。
 小学生となる折谷菜音歌と共に、島の生活に慣れていったそうだ。

 もう一つ、折谷の父ちゃんには夢があった。

 折谷の父ちゃんは、島の観光事業であるダイビングを生業なりわいにしようとした。ちょうどダイビングインストラクターが不足し、廃業の見込みだったダイビング体験の事業を新たに立ち上げた。
 元々ダイビングをたしなんでいた折谷の父親は、苦労しながら即戦力として精力的に活躍していた。そうしてできたのが、あのダイビングスクールとダイビングショップというわけだ。
 
 その合間を縫って、海洋生物の調査をライフワークとしていたらしい。
 一度でいいからマリンフェアリーを見たい。折谷の父ちゃんは、マリンフェアリーが見られると聞く樫崎島周辺の探索に情熱を注いだ。
 ある冒険家に端を発して湧いて出た、不可思議な現象。それは都市伝説みたいなもので、それらしいことが書かれたと思われる文献は、当時確認されているもので三件のみだった。
 しかし一枚の写真が存在していることもあり、これを信じる者もいた。
 その一人に加わった折谷の父ちゃんは、探索に明け暮れた。何日も家を空けることもあったそうだ。

 それが数年続いて————。折谷が十歳の頃だった。

 父の影響でダイビングに興味を持った折谷も、ジュニアのダイビングライセンスを取得し、ダイビングを楽しんでいた。
 当時は折谷も、父ちゃんの夢を応援していたそうだ。いつか自分もマリンフェアリーを探す手伝いをしたいとまで語っていた。
 だが幸せな日々は、突然終わりを告げた。

 遭難事故だ。樫崎島周辺の海域に、満潮時に限って潮の流れが変わり、強くなるポイントがあった。悪天候も災いし、折谷の父ちゃんら数名が、一時行方不明になった。
 連絡が取れないことや、急変した天候で出たままになっていた船のことが気がかりだった漁師が、捜索願を出した。
 捜索は難航。翌日、乗組員三名が海底で発見された。残り一名の乗組員、つまり折谷の父ちゃんは、今も見つかってない。

 遺体が見つかった話も、希望は薄いという話も、小さな折谷に届いてしまった。
 一年の捜索が打ち切られた日の夜、折谷は怒りをぶちまけながら泣いていたそうだ。

 父親を奪ったマリンフェアリーが許せなかった。


 そうして、六年の月日が経とうとしていた。
 澪さんは折谷の父親の形見であるダイビングスクールとショップを引き継ぎ、折谷と二人でやってきた。
 
『菜音歌は今も苦しんでる。前を向かないといけないって、わかってるんだよ。あの子を許してやってくれると助かる』

 最後にそう言って、悲しいアルバムを閉じた。
 湿っぽい話を聞かせて悪かったと言う澪さんに、言葉少なに挨拶をして、教室を後にした。
 教室から一歩出た去り際、振り返ってみると、教室に一人残った澪さんは、机に肘をついた手で目元を覆っていた。
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