二面性(リバーシブル)女との恋愛は期間限定

國灯闇一

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Lesson4 重なる二人の想い出

STEP⑤ 恋のち雨

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 今日も仕事をこなした俺は同僚と別れ、濡れた街で傘を差して歩く。仕事帰りのサラリーマンや部活を終えた高校生達で混み合った電車を乗り継ぎ、駅を出て歩く。
 人気ひとけのまばらになった広い道。雨は強くない。午後から雨は弱くなると聞いていたが、どうやらその通りになりそうだ。小雨を受け止める街の中を進み、俺は居酒屋に来た。焼き鳥がメインの店だ。ボックス席に入り、彼女を待つ。
 おひやを持ってきた店員に飲み物をかれた。海香ちゃんが来るまで待つと決めていたので、連れが来たら注文すると店員に告げた。店の中は庶民的な雰囲気で時折賑やかな笑い声が聞こえる。炭火で焼かれた鶏肉の匂いが食欲をそそる。口の中に溜まってくる唾液が欲していることを知らせていた。

 待つこと数分。海香ちゃんが店のドアを開けてやって来た。海香ちゃんは変わらぬ元気そうな笑顔で俺のいる席へと歩いてくる。
「お待たせしました! 亨二さん!」
「お疲れ」
 海香ちゃんはおなじみの白いブラウスに群青色の膝丈のスカート姿だった。
「亨二さん、もう頼みました?」
「あ、いや、海香ちゃんが来てからがいいかなと思って」
「待ってくれてありがとう」
 なにげないお礼だが、こういう風に言ってくれるとやっぱり嬉しかったりする。
「うち、お腹減ったわ」
 そう言うと、海香ちゃんはメニュー表を取った。
 頼んだ料理がテーブルに並び、ビールが揃って大人の元気注入の儀式の準備ができた。
 儀式の呪文はもちろん……。
「「乾杯!」」
 俺と海香ちゃんはビールを喉に通していく。ゴクゴクと喉を豪快に鳴らして、肘の角度は四十五度。
「ぷはーっ」
「ああっ!」
 俺と海香ちゃんは大きな息をつく。
「やっぱり仕事帰りのビールはうまいわー!」
 海香ちゃんはあまり似合わないジョッキを置いて感想を漏らす。
「そうだね。今日は大変だったの?」
「いや、そんな忙しかったわけやないけど、やっぱりずっと人と対面してるのって疲れるやん? うちら受付嬢って、会社の窓口やから変な顔できへんし」
 俺はちょっとからかいたくなった。
「いつもは変な顔してるの?」
「物の例えやから拾わんとって!」
 海香ちゃんはちょっと怒って睨みつけた。
「亨二さんの所も受付はあるんやないの?」
「まあ、受付嬢じゃないけど事務員がね」
 俺は鹿賀里さんのことを思い浮かべる。
 なんだかんだでpaletteの会社の窓口は大概あの人だもんな。
 ほんわかした雰囲気だが、経費の算出なんかは計算が早いから、社長の右腕は鹿賀里さんなんじゃないかとさえ思う。
 社長が学業に専念できているのも鹿賀里さんのおかげだろう。
 社長の執事達は鹿賀里さんを一目置いているらしい。たまにpaletteに宅急便が届くのだが、それが潤川家からだったりすることがある。執事達から届いた宅急便の中には粗品と手紙が必ず一通入っていて、それはほとんど鹿賀里さんや満志まんじさんへの感謝であふれており、俺や小坂達従業員は最後の方にちょろっと感謝されるくらいで、扱われ方が全然違うのだ。まだ執事達からだったらいいのだが、宮路製菓の社長から来る時は事務所内の空気が変わる。そのせいで俺達従業員は恐れ多い感じになってしまうため、その菓子の処理に大変だったりする。

 俺と海香ちゃんは二時間ほど飲み、店を出た。
「ちょっと寄り道しましょうかー」
 ほどよく酔った海香ちゃんはテンションが高くなっていた。
「そうだね」
 俺は少し酔っているが、海香ちゃんの飲むペースが早いなと思い、少し抑えていた。
 どちらもへべれけになるわけにはいかないからな。
 俺はこけたりしないか心配になりながら海香ちゃんの隣を歩く。水たまりがちらほらと見える道をゆっくり進む。
 海香ちゃんは鼻歌を歌っている。なんの曲なのかは分からなかったが、楽しそうに歌っている海香ちゃんの頬はほんのり赤く上気させていた。酔いが回っているせいだろう。突然、海香ちゃんが俺にぶつかり、腕に抱き付いてきた。
「うぉっ! 大丈夫?」
「うん、大丈夫」
 海香ちゃんは俺の腕を掴んだまま歩きだす。海香ちゃんの体に密着する腕が騒がしく刺激を脳に伝えてくる。ただでさえ薄い生地の服装だから余計に感触が伝わってきてしまう。さすがにこれは俺も動揺を隠せない。
 こんな時、どういう会話をすればいいのやら……。
「亨二さん……」
 海香ちゃんの方から声をかけてきてくれた。
「大好きですよー。亨二さーん」
 俺を見上げながらそう言われてしまった。海香ちゃんは緩み切った顔だった。
 もう完全に酔ってるな。
 それでも、海香ちゃんの真っすぐな言葉がスッと心の中に入り込んで、嬉しさが胸に広がっていく。誰かに好きと言われたこと自体初めてだった。その余韻を楽しみたい所だったが、俺も言わなきゃならない。
「俺もだ。大好きだよ。海香ちゃん」
 俺は照れながらそう返した。明日、この言葉を海香ちゃんが覚えているかどうか分からないけど、それでも言いたかったんだ。海香ちゃんは嬉しそうな顔で、猫が甘えるように頬を俺の腕に摺り寄せてくる。
 俺達は寄り添いながら彼女のマンションの前まで歩いた。海香ちゃんは俺の腕を離して、俺の前に立った。
「じゃあ、またね」
「うん! 今日はおおきに~! 亨二さーん!」
 海香ちゃんは俺に体を向けて、ヒラヒラと手を振りながらマンションの中に入っていく。
 俺は手を振り返す。すると、ニコッと笑みを輝かせ、海香ちゃんは俺に背を向け歩きだした。俺は夢心地のような感覚を持ちながら、彼女の後ろ姿が見えなくなるまで見送った。

 俺は帰り道を一人歩いていた。また雨が降ってきた。
 夜の空からぽつぽつと降る雨粒が背景に線を引く。外灯に照らされた雨粒達はよく見える。宙で地面に落ちていく雨粒の姿は綺麗な直線だ。線の色は外灯の光が彩りを与え、重力が線を引いていく。彩りを得た線は一瞬で消えていく……。ただその一瞬の彩りを得た雨粒が、きっとこの街にいくつもの彩りを与えている。
 なぜこんなことを考えているのか分からない。気づいた時にはそんなことを考えていた。俺もだいぶ酔っているみたいだ。
 グリーンロードという木々の植えられた小道を抜け、駅までもう少しという場所。グリーンロードを抜ければ、大きな広場に出る。何度も海香ちゃんとデートを重ねて覚えた道だ。
 広場はちょっと粗目な表面の白い石が敷き詰められていた。俺は広場の横から入る。花壇が広場の両サイドにあり、真ん中に大きな階段があった。花壇の上には小学校名と寄贈の札が花壇の土に刺さっている。花壇の端にある二股のライトが、雨粒を乗せる紫陽花の花びらを可憐に魅せていた。
 雨音に紛れる人々のかすかな話し声が届く。広場にいる人はまばらで、こんな雨の夜に紫陽花の花などに足を止めて眺めているのは俺くらいだろう。
 自嘲するように笑みを浮かべ、そこから駅へと向かおうとした時、ふと女性グループの集団が階段の下に見えた。顔はよく見えないが今別れる所らしく、集団から離れて階段を上がってくる女性が一人。俺は階段を上がってくる女性の雰囲気をなんとなく感じたことがあるように思い、誰だっけと考えながら見ていた。階段の壁に備え付けられた電灯がその女性の顔を照らした。
 館花さんだった。
 俺は久しぶりに見た顔に声を出さないで驚く。すると、視線に気づかれたのか、傘の下から館花さんの顔がこちらに向いてしまった。
 ばっちり目が合う。館花さんは俺をしっかり見据えて足を止めていた。少し驚いたような顔にも見える。徒然つれづれと降っている雨が描くブラインドの中でも、俺と館花さんの視線は間違いなく見えない線となって結ばれていた。
 俺は思わず視線を逸らした。この視線を結んではいけない気がした。
 俺は紫陽花に視線を戻す。雨が傘に当たる音が鳴っている中で、靴の音が徐々に近づいてくる。俺は動揺する。なぜ近づいて来るのか分からない。足音が俺のそばで止まった。
 俺は静かに息をする。視界の端で暖色のフリルスカートがたおやかに揺れる。
「綺麗ね。紫陽花……」
 俺は唾を飲み込む。俺は慎重に口を開いた。
「そうだね……」
「久しぶり」
 俺は隣にいる女性へ控え目に視線を振った。
「……うん。久しぶり……」
 傘の下から見える彼女の顔は微笑んでいた。これが八ヵ月ぶりに会って、俺達が最初に会話した言葉だった。


 雨が水たまりに落ちて、波紋が幾度となく作られては消えていく。水たまりを避けて歩く二つの傘。
「元気そうだね」
「当たり前でしょ」
 ぽつぽつと言葉を交わしていく。
「そっちは?」
「彼女ができた」
「そう」
 館花さんは微笑する。
「……おめでとう」
「ありがとう。でも、そっちの方がおめでたいんじゃない?」
「誰から聞いたの?」
「蘭子からだよ」
「……おしゃべりだな、蘭子は」
 館花さんは呆れた様子で笑っていた。
「おめでとう」
 俺はそれだけ言った。
「ふふっ、ありがとう」
 見ない間に大人になってしまった気がする。館花さんの顔を見てそんな風に思ってしまった。

 駅に着いて館花さんと同じ電車に乗った。座席に隣り合って座っていた。
 特に会話は無かったが、流れもあり一緒に行動していた。この空気を探るように、水滴のついた窓の外を見たり、スマートフォンをいじったりして過ごす。揺れる電車が音を立てて走る。車内は音声アナウンスが流れるだけだ。
「そういえばさ……」
「え?」
 俺は気になったことをいてみる。
「料理は上手くなったの?」
「突然何よ!?」
 不意に尋ねられた質問に予想以上の驚きを見せる館花さん。
「いや、あの仰天料理を縣さんはお目にしたのかなぁと」
「変なこと思いださないでよ……」
 館花さんは顔を赤くしてボソッと呟く。
「……ちゃんと料理の勉強してるわよ」
「上手くなったの?」
「……ちょっとは」
 歯切れ悪いな。
「発展途上?」
「うっさい」
 館花さんは俺の問いに素っ気なく返答する。

「お姑さんに習いに行ってるとか?」
「料理教室のアシスタントしてる子に教えてもらってるわ」
「よく引き受けてくれたよね。その子」
「どういう意味よ?」
 館花さんは睨みつけながら俺の意図を問いただす。
「え? そこく?」
 俺はからかうような笑みを向けた。
「予想以上に私が下手すぎで、やっぱ引き受けるんじゃなかったって後悔しただろうなぁーとか思ってんでしょ……」
 館花さんは拗ねてそっぽを向く。
「あははっ、当たりだよ。心を読む超能力でも手に入れたみたいだね」
「本当に、そういう能力があったらいいのにね……」
「え?」
 館花さんが呟いた一言は願いにも似た呟きだった。悲しく儚げな表情に沈む館花さんに、なんて声をかければいいのか戸惑っていると。
「そしたら、あんたの恥ずかしい話とか読み取ってやろうと思ったのに」
「えぇっ!?」
 すごくどす黒いことを言いだした。
「それであんたの彼女にリークするぞって脅してこき使いまくってやるのに」
「お前は俺を奴隷にさせることにしか興味が無いのか。こっちは結婚を祝ってるってのに」
 俺は呆れながら不満を漏らす。
「料理がどうとか言いだすからよ!」
 こんな人に超能力が無くて良かった……。
 俺はちょっとだけ神様に感謝した。

 電車がホームに停車した。
「じゃ」
「うん」
 俺達はそう言って別れた。
 館花さんは電車を降りていく。俺は電車の窓越しに館花さんを目で追った。館花さんはエスカレータで構内へと下りていき、見えなくなった。電車のドアが自動で閉まり、笛の音が鳴った。電車はゆっくり動きだす。窓の外の景色がホームから離れていく。オレンジの外灯が線路脇に並び、電車が走る道を照らしてくれる。オレンジの光が差し込む窓から夜の街を眺める。
 電車は線路の上を走り続けていく。それは最初から決まっていて、時間という軸を元に予定された事象なのだ。行き先も、時間も、決まっていた。
 そう。決まっていたんだ。こうなることも。たとえそこにどんな感情があったとしても、予定は決して、変わらない。
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