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第一章 愛の証明

12月24日の告白

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 十二月二十四日は朝から雨が降っていた。

 だが天候などクリスマスを幸せに過ごせる者たちには関係ないらしい。街を歩くカップルたちは寄り添いながら、子ども連れの家族は楽しそうにショッピングセンターを歩き、ケーキ屋をはじめどの店でも忙しそうに店員が動き回っていた。

 そんな彼らにも、クリスマスどころではない受験生にも、無縁を決め込んでいる人にも、誰にでも平等にイルミネーションは煌びやかに輝いている。

 晴陽は一日中外にいて、街全体の様子を瞼に焼きつけていた。凌空が生まれてから十七回目のこの日の光景を、目を閉じて見ようともしない彼に余すことなく伝えようと思っているからだ。

 部活のない日は毎日凌空の下校にお供しているため彼の住むマンション自体は見慣れているが、実際に中に入るのは初めてだ。

 エントランスに足を踏み入れた晴陽は、深呼吸をしてからインターホンを押した。

 無機質な音が耳に届く。普段の凌空なら絶対に出てくれるはずもないが、晴陽には自信があった。

 今日は必ず出てくれる、と。

『……何しに来たんだ?』

 予想的中。インターホン越しに聞こえる愛しい人の声に、テンションが跳ね上がった。

「もちろん、凌空先輩に会いに来たんですよ! お誕生日おめでとうございます! 直接この気持ちを伝えたくて、私は――」

『……そこであんまり大きい声を出すな……今、開ける』

 オートロックが解錠され、自動ドアが開かれた。赤い洋服に身を包み、白い付け髭をつけた晴陽は誰がどう見てもサンタクロースに見えるはず……である。マンションのコンシェルジュに二度見されながらも揚々とロビーラウンジを突っ切って、エレベーターに乗り込んだ。

 ここに来るまでに多くの人々に凝視されたり笑われたりしたが、今日という皆が浮かれがちな一日だからこそ許される格好だ。凌空だって少しくらいは笑ってくれるに違いないと思っていたのに、玄関のドアを開けた彼は不審者を見る目つきで呟いた。

「噓だろ? その格好でここまで来たのか?」

「だって今日は凌空先輩の誕生日アンド、クリスマスイブですから! 自分で言うのもなんですが、私結構似合っていると思いませんか?」

「……とりあえず中に入れ。ご近所さんに見られたら恥ずかしすぎる」

 初めて足を踏み入れることを許された凌空の家に対して、晴陽が率直に抱いた感想は「テレビの中で見るお金持ちの人の家みたい」だった。

 ごく普通のサラリーマン家庭で育ち、ごく普通の木造一軒家に住む晴陽は、想像を遥かに超える室内の広さに圧倒された。唖然としながらフローリングを歩いて到着したリビングは大きなソファーとテレビがあるくらいで、あまり生活感が感じられない空間だった。

「もう満足しただろ? 余計なお世話かもしれないけど、普段着持って来ているなら着替えてから帰りな」

 凌空の要件だけを伝える発言のテンポが、晴陽の脳味噌に刺激を与えた。ぼんやりしている場合ではない。

「今日はクリスマスイブですよ? 良い子にしていた凌空先輩には、サンタさんからプレゼントをあげましょう」

 今だけ、あえて凌空の誕生日ではなくクリスマスを強調したのには理由がある。

 背負っていた白い布袋の中から包装された四角い箱を取り出し、蓋を開けて凌空に差し出すと、彼は目を見開いた。

「これって……」

 箱の中に入っていたプラチナのネックレスは、晴陽には手も足も出ないハイブランドのものだ。煌びやかなそのネックレスは、凌空が手に取ることでもう一段階美しくなったように見えた。

「このネックレスは『今年の分』らしいです。……申し訳ないんですけど、これは私からのプレゼントではないんです」

 すでに凌空は誰からのプレゼントなのか察しているようで、複雑な表情を見せていた。

「凌空先輩、昔お母様に言ったそうですね。『お父さんがつけているのと同じネックレスが欲しい』って。お母様、ちゃんと覚えていましたよ」

「……偶然だろ、こんなの」

「いいえ。お母様はどれだけ忙しくても、先輩との時間が減っても、誕生日プレゼントだけは先輩が口にしていた欲しいものを思い出しながら毎年用意していたみたいです。ほら」

 袋の中から一つずつ丁寧に取り出したものは、母親が凌空に渡せずじまいだった、十三歳から五年分の誕生日プレゼントだ。

 凌空の足元に並べられたそれらは、例外なく綺麗に包装されている。

「家には帰って来ないと聞いていたので、お母様が勤めている会社に会いに行って、少しだけですけど話をしてきたんです」

「いつの間に、そんな……」

「お母様、言ってましたよ。『無理に話しかけようとしてもっと嫌われるのが怖いから凌空と距離を置くことを決めた』、『それは凌空からしたら育児放棄と見做されても仕方がない、弱い母で申し訳ない』……って」

 そんな大切な言葉は他人に託さず直接凌空に伝えるべきだと晴陽は説得したが、警備員に押さえつけられて彼女の言い逃げを許してしまった。

 凌空の負担が大きくなってしまって心苦しい。だけどここからは完全に凌空次第――彼に選択肢が委ねられたと考えれば、精神的に楽になったともいえるのではないだろうか。

 凌空が母親の弱さを許せるならば一言話しかければいいし、怒りが増したならこれからも無視を続ければいい。凌空がどんな選択をしたとしても、晴陽はこれからも変わらず、凌空の側で鬱陶しがられながらも愛を伝え続けようと決めている。

「……俺なんかのためによくここまで面倒臭いことできるよな。わざわざ会社まで行って、知らない大人と話そうだなんて普通は思わないだろ」

「それです。私は、私の大好きな凌空先輩に自分を卑下するような発言をしてほしくないから、ここまでできるんですよ」

 凌空の大きな瞳が晴陽を見据えた。

 まるで、晴陽が信用に足る人物かどうか見定めているかのようだった。

「私は凌空先輩に振られまくっているおかげで、メンタルが鍛えられていますから! ちょっとやそっとの出来事では心折れたりしませんので!」

「……『おかげ』、じゃなくて『せいで』、だろ。……晴陽がポジティブすぎて、俺の方が卑屈なのかもって思えてくる」

 そう口にする凌空の頬が少しだけ緩んでいるのを見た晴陽は、自分の行動は彼にとって迷惑になっていないのだという自信と、この先の言葉を口にする勇気をもらった。

「お母様は凌空先輩のことを大事に思っていますよ。だから一度、ご自分から歩み寄ってみたらどうですか? 好きの反対は無関心だっていうじゃないですか。凌空先輩がお母様に向ける嫌悪の感情は、自分に関心を向けてほしいって気持ちの裏返しだと思うんです」

 凌空がどんな選択をしても受け止めると決めている。ただ、やらないで後悔するよりはやって後悔した方がいいというのは、晴陽の個人的な意見の一つだった。

「俺の気持ちを勝手に推測して話すのはやめろ。それに愛情なんて、他人の言葉一つでそう簡単に信じられると思うか? あいつは俺を放置して、いろんな男と関係を持っている。そんな奴にどうして俺から歩み寄らなきゃいけない?」

 怒らせると覚悟して伝えた意見は、予想通り凌空の怒りを買った。緩みかけていたその表情は一瞬にして怖いものに変わり、瞳には憤怒の色が現れていた。

「第三者からの無責任な意見としては、お母様は先輩のことが大好きだと思うんです。ただ、残念ですがお母様は、先輩からの愛を受け止められる器を持っていないとも思います」

 凌空が期待する信頼や安心感という、家族としての愛。それらを受け止めて応えられる器がないうえに、彼女が器の脆弱さをいろんな男に分散することで強度を上げようとするのも、凌空にとっては耐え難いほど不快なことだろう。

「でも安心してください。私がいます。私が、凌空先輩へ超大きな愛を捧げます。絶対に寂しい思いなんてさせません! だから……誕生日だけは、どうでもいいなんて言わないでください。凌空先輩がいない世界なんて、想像もしたくないですから」

 凌空の怒りも寂しさも虚しさすら、すべてを受け入れて一緒にいたい。

 今日は徹頭徹尾凌空のためだけに行動したいと思っていたのに、最後の最後で、彼の隣にいるのは自分でありたいという我儘が顔を出してしまった。

 少しの静寂が室内を包んだ。心臓の音が耳から聞こえてくるようだった。
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