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第二章 お嬢様たちは本の虫
第1話 目標は、偏屈おじいちゃん
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「空が澄んでいるわ」
お嬢様は赤い瞳を細めた。
ふわふわとした雲が浮かぶ空。穏やかに肌を撫でる風。さわさわと木の葉がこすれる音が、耳に心地よく届いた。お花見日和だ。前の人生であれば、桜並木を散歩したいと思ったはずだ。この国に桜はないのが残念。
「お嬢様、お茶のご用意ができました。今日はダージリンです。それから、リーフさんと作った外国のお菓子!」
赤毛のメイド、マリーがにこにこと持つ小皿の上には、今朝二人で作った『フルーツ大福』がのっている。
「お嬢様のお口にあうといいんですが……」
たまたま市場で手に入った白玉粉と砂糖と水を混ぜて、蒸し器で蒸す。できあがった生地に包むフルーツは苺と葡萄。あんこはないから、生クリームを入れてみた。前世の私はどうにもお菓子作りに傾倒していたようで、腕がなんとなくレシピを覚えている。
お嬢様は物珍しそうに大福をつまんで、一口食べた。餅の食感が珍しいのか、首を傾げている。十分に味わったあと、頬をゆるめた。
「美味しいわね。リーフはどこでこんなお菓子を覚えてくるのかしら」
「お気に召されたようで何よりです」
お菓子作りは趣味だが、お嬢様に食べてもらうほど自分の腕がいいなんて思っていない。それに、この国では見たこともないお菓子だろうし、お嬢様の口にあうかどうか内心ひやひやものだ。
「もう一つ、いただいてもいいかしら」
「はい、もちろん!」
「――外に出るのも、いいものね」
お嬢様はしみじみと呟いた。
私たちが改めてお嬢様に忠誠を誓ったあの日から、ときどき別館を出てすぐの場所で、ささやかなお茶会を開くようになった。細くなっていた食も戻ってきたし、顔色だって随分よくなった。少しずつ笑顔も増えていくお嬢様をみているだけで私たちは誇らしい。
でも、これからやることはたくさんある。
小さなお茶会を楽しんだあとは、お嬢様の部屋で作戦会議だ。
「言うまでもないことですが、貴族のご令嬢に必要なのは、その方ご自身の資質。そして後見人です」
私は一歩進み出て、切り出した。
資質とは令嬢自身の美しさ、教養、身のこなし、人格など……、令嬢自身のスキルだ。そして、本人の資質以外に必要なのは後見人。多くは、父や兄、夫がその役目を担う。自分を支援する人間がいないと、本人の資質が素晴らしくとも貴族社会では勝ち抜けない。
「まずは後見人ですが――、今のお嬢様はご自分の身一つしかございません」
「そうね」
お嬢様は目を伏せた。後見人がいない事実を認める――父に嫌われ、孤独な身であることを認めるのは、辛いことだろう。私たちが見守る中、お嬢様は深呼吸をする。
「大丈夫。もう逃げないって決めたもの」
そうして向けられた瞳には、強い意志が感じられた。瞳の奥に、静かな炎が揺れる。
――やっぱり、お嬢様とライラ様は似てる。
「今のわたくしには、お父様の力添えがない。これでは貴族社会で生きていけない」
それに、と続ける。
「わたくしは資質だって他のご令嬢に劣っている。もう何年も家庭教師のもとで勉強なんてしていないし、社交界での評価だって低いのは分かっているわ」
きっぱりと言い切るお嬢様に、私とマリーは眉を寄せた。お嬢様には必要なものがなにもそろっていない。一から全てをそろえなければいけないのだ。改めて考えてみると、それはとても難しいことのように思えた。
でも、やると決めたんだ。
「資質も、後見人も、どちらも得ることを目指しましょう」
「でも、どっちもってどうやって?」
マリーが首を傾げる。
「手っ取り早いのは、社交界で認められている人格者を家庭教師に迎えることですね。そうすれば強力な後見も得られますし、教育も受けられます」
「ああ、なるほど! 有名な学者さんや政治家さんを味方につけるってことですね」
マリーは納得したように手を打ち鳴らした。しかし、そう簡単にいく話でもないのが問題だ。
「有名な人であれば、すでにどこかの家と繋がりをもっているでしょうし、味方になってくださる方がいるかどうか、難しいところです。政治家で有名な方というと、ラシエーヌ卿、ファシック卿あたりですが」
「どちらも他のご令嬢についているわね」
お嬢様は首を振る。その後も有名な名前が次々と部屋を飛び交った。そのどれも期待はできそうにない。十数名の名前を出したところで、お嬢様はため息をついた。
「簡単にいくとは思っていなかったけど、難しいわね」
「あのー――」
それまで困った顔で私たちのやり取りを眺めていたマリーが手を挙げた。
「なにかしら」
「このお方なんて、いかがですか?」
マリーは本棚から一冊の本を取り出す。お嬢様の愛読書だった。深い緑の表紙をした本。小難しい理論がつまっていて、私も一度読ませてもらったが内容はとても頭に入ってこなかった。半分ほど読んで降参し、お嬢様に返した苦い記憶がある。
「この本を書いたパッサン・リアル卿って、すごく有名な方ですよね。とても偏屈で、誰も寄せ付けないって聞いたことあります。この人だったら、まだどの家とも関係を結んでいないんじゃないですか? だって、偏屈なんですから」
私とお嬢様はしばし無言で本を見つめた。
パッサン・リアル卿。御年六〇ほど。頭脳明晰で、研究者として多くの功績を残している。哲学、歴史、政治、どの分野でも周りより頭一つ飛びぬけていた。その頭脳は国政にも発揮され、国の危機を救ったこと数知れず……。
ただし、人と関わることは好まず、常に一人で研究室にこもっているらしい。国政に関わる際も、王から直々のお達しがでない限りは宮廷に赴かないようで、天才だが、人嫌いの変人といわれている。
「――そうね、たしかに、パッサン卿はどこの貴族とも懇意にしていないはずだわ」
「では、お嬢様の後ろ盾にピッタリではないですか!」
マリーは微笑んだが、お嬢様は難しい顔で考え込んでいた。
パッサン卿の変人ぶりは私もよく聞いている。お嬢様が「家庭教師になってくれ」と単身頼み込んだところで、頷いてくれるのか? そもそもお嬢様には悪い噂も飛び交っているんだし。
いやでも、他に候補がいないのも事実。ここはもう、やるしかない?
お嬢様も悩んだ末に、決意を固めるように息をついた。
「――ここまできたら、それくらい大胆なことをした方がいいのかもしれないわね」
「はい。同感です」
「決まりですね!」
マリーがぱちんと手を叩く音が部屋に響いた。
お嬢様は赤い瞳を細めた。
ふわふわとした雲が浮かぶ空。穏やかに肌を撫でる風。さわさわと木の葉がこすれる音が、耳に心地よく届いた。お花見日和だ。前の人生であれば、桜並木を散歩したいと思ったはずだ。この国に桜はないのが残念。
「お嬢様、お茶のご用意ができました。今日はダージリンです。それから、リーフさんと作った外国のお菓子!」
赤毛のメイド、マリーがにこにこと持つ小皿の上には、今朝二人で作った『フルーツ大福』がのっている。
「お嬢様のお口にあうといいんですが……」
たまたま市場で手に入った白玉粉と砂糖と水を混ぜて、蒸し器で蒸す。できあがった生地に包むフルーツは苺と葡萄。あんこはないから、生クリームを入れてみた。前世の私はどうにもお菓子作りに傾倒していたようで、腕がなんとなくレシピを覚えている。
お嬢様は物珍しそうに大福をつまんで、一口食べた。餅の食感が珍しいのか、首を傾げている。十分に味わったあと、頬をゆるめた。
「美味しいわね。リーフはどこでこんなお菓子を覚えてくるのかしら」
「お気に召されたようで何よりです」
お菓子作りは趣味だが、お嬢様に食べてもらうほど自分の腕がいいなんて思っていない。それに、この国では見たこともないお菓子だろうし、お嬢様の口にあうかどうか内心ひやひやものだ。
「もう一つ、いただいてもいいかしら」
「はい、もちろん!」
「――外に出るのも、いいものね」
お嬢様はしみじみと呟いた。
私たちが改めてお嬢様に忠誠を誓ったあの日から、ときどき別館を出てすぐの場所で、ささやかなお茶会を開くようになった。細くなっていた食も戻ってきたし、顔色だって随分よくなった。少しずつ笑顔も増えていくお嬢様をみているだけで私たちは誇らしい。
でも、これからやることはたくさんある。
小さなお茶会を楽しんだあとは、お嬢様の部屋で作戦会議だ。
「言うまでもないことですが、貴族のご令嬢に必要なのは、その方ご自身の資質。そして後見人です」
私は一歩進み出て、切り出した。
資質とは令嬢自身の美しさ、教養、身のこなし、人格など……、令嬢自身のスキルだ。そして、本人の資質以外に必要なのは後見人。多くは、父や兄、夫がその役目を担う。自分を支援する人間がいないと、本人の資質が素晴らしくとも貴族社会では勝ち抜けない。
「まずは後見人ですが――、今のお嬢様はご自分の身一つしかございません」
「そうね」
お嬢様は目を伏せた。後見人がいない事実を認める――父に嫌われ、孤独な身であることを認めるのは、辛いことだろう。私たちが見守る中、お嬢様は深呼吸をする。
「大丈夫。もう逃げないって決めたもの」
そうして向けられた瞳には、強い意志が感じられた。瞳の奥に、静かな炎が揺れる。
――やっぱり、お嬢様とライラ様は似てる。
「今のわたくしには、お父様の力添えがない。これでは貴族社会で生きていけない」
それに、と続ける。
「わたくしは資質だって他のご令嬢に劣っている。もう何年も家庭教師のもとで勉強なんてしていないし、社交界での評価だって低いのは分かっているわ」
きっぱりと言い切るお嬢様に、私とマリーは眉を寄せた。お嬢様には必要なものがなにもそろっていない。一から全てをそろえなければいけないのだ。改めて考えてみると、それはとても難しいことのように思えた。
でも、やると決めたんだ。
「資質も、後見人も、どちらも得ることを目指しましょう」
「でも、どっちもってどうやって?」
マリーが首を傾げる。
「手っ取り早いのは、社交界で認められている人格者を家庭教師に迎えることですね。そうすれば強力な後見も得られますし、教育も受けられます」
「ああ、なるほど! 有名な学者さんや政治家さんを味方につけるってことですね」
マリーは納得したように手を打ち鳴らした。しかし、そう簡単にいく話でもないのが問題だ。
「有名な人であれば、すでにどこかの家と繋がりをもっているでしょうし、味方になってくださる方がいるかどうか、難しいところです。政治家で有名な方というと、ラシエーヌ卿、ファシック卿あたりですが」
「どちらも他のご令嬢についているわね」
お嬢様は首を振る。その後も有名な名前が次々と部屋を飛び交った。そのどれも期待はできそうにない。十数名の名前を出したところで、お嬢様はため息をついた。
「簡単にいくとは思っていなかったけど、難しいわね」
「あのー――」
それまで困った顔で私たちのやり取りを眺めていたマリーが手を挙げた。
「なにかしら」
「このお方なんて、いかがですか?」
マリーは本棚から一冊の本を取り出す。お嬢様の愛読書だった。深い緑の表紙をした本。小難しい理論がつまっていて、私も一度読ませてもらったが内容はとても頭に入ってこなかった。半分ほど読んで降参し、お嬢様に返した苦い記憶がある。
「この本を書いたパッサン・リアル卿って、すごく有名な方ですよね。とても偏屈で、誰も寄せ付けないって聞いたことあります。この人だったら、まだどの家とも関係を結んでいないんじゃないですか? だって、偏屈なんですから」
私とお嬢様はしばし無言で本を見つめた。
パッサン・リアル卿。御年六〇ほど。頭脳明晰で、研究者として多くの功績を残している。哲学、歴史、政治、どの分野でも周りより頭一つ飛びぬけていた。その頭脳は国政にも発揮され、国の危機を救ったこと数知れず……。
ただし、人と関わることは好まず、常に一人で研究室にこもっているらしい。国政に関わる際も、王から直々のお達しがでない限りは宮廷に赴かないようで、天才だが、人嫌いの変人といわれている。
「――そうね、たしかに、パッサン卿はどこの貴族とも懇意にしていないはずだわ」
「では、お嬢様の後ろ盾にピッタリではないですか!」
マリーは微笑んだが、お嬢様は難しい顔で考え込んでいた。
パッサン卿の変人ぶりは私もよく聞いている。お嬢様が「家庭教師になってくれ」と単身頼み込んだところで、頷いてくれるのか? そもそもお嬢様には悪い噂も飛び交っているんだし。
いやでも、他に候補がいないのも事実。ここはもう、やるしかない?
お嬢様も悩んだ末に、決意を固めるように息をついた。
「――ここまできたら、それくらい大胆なことをした方がいいのかもしれないわね」
「はい。同感です」
「決まりですね!」
マリーがぱちんと手を叩く音が部屋に響いた。
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