20 / 20
第四章 やはり、何者にもなれず。
第20話 やはり、後日談と言えず。
しおりを挟むあれから一年が経ち、数ヶ月前から薬を服用することもなくなった。
とはいえ苦しい時は未だにあるし、子育てを楽しむことは出来ていない。
しかし、心の距離の取り方、バランスの取り方を覚えたのか、あの夜のような状況にはなっていない。
今までは仕事も全力投球だったが、今は力を抜くところは抜くようにしている。
アイドルキングダム3のダウンロードコンテンツも発売となり、徹が作曲した曲が無事に世に放たれた。
そうして徹のフォロワー数も驚くほど伸び、少しずつ音楽の仕事の依頼も入るようになった。
しかし、自分の精神のことを考えて、曲作りに時間がかかるということを先方に伝えている。
休日はほとんど曲作りに打ち込んでいるが、平日は寝る前の30分間だけ曲作りにあてている。
仕事も休むことなく、家族との時間もしっかりと確保している。
これで良い、全てにおいて丁度良い距離感を保つんだ。
自分の精神の状態を常に吟味し、最優先に考える。
少しでもバランスが崩れると、精神が崩れ始める。
そしてあの夜が訪れて、また心療内科を通院することになる。
そう考えるとハードな毎日である。
しかし、上手く乗りこなせるようになった。
意識して、そう生きられるように練習したのだ。
雪乃とも信頼関係を築くことが出来ているし、子供達からも頼られるようになった。
そして数ヶ月後には三人目が生まれる。
新たな試練として自分の目の前に立ちはだかることだろう、しかし乗り越えられる。
乗り越えてみせる、徹はそう決意していた。
「パパ!出来たよ!」
灯はPC画面を指差し、徹を呼んだ。
「どれどれ、、、お~やるじゃん!そうそう!ちゃんと曲になってるよ」
あれから灯は音楽制作に興味を示し、自分で曲を作り始めた。
もちろん世に放つ曲としてはまだまだだが、五歳にしては上出来だ。
灯は保育園の友達に父親自慢をしているらしい。
「うちのパパは凄いんだよ!音楽を作ってるの!ユウメイジンなんだよ!」
そう言いふらしていると雪乃が笑顔で話していた。
娘に父として誇られることほど光栄なことはない。
最近ようやく、自分なりの、山下徹なりの父になれた気がする。
もっと父親らしく、もっと男らしく、もっとお金を稼いで、もっと、もっと、、、、
たまにそういった切迫感が頭をよぎるが、振り払うようにしている。
そんな時は仕事終わりに一人で海へ行き、深呼吸をするのだ。
それだけでスッと心が軽くなる。
自分とは違い、さっぱりとした性格の雪乃は未だに病気のことを理解していない様子だが、徹の調子が悪い時は、一人の時間が必要なんでしょ?と言わんばかりに娘たちを連れて友達の家に遊びに行ったりする。
おそらくそれは雪乃なりの優しさなのだろう。
優しさを受け取ったら、徹はコンビニへ歩いて行き、雪乃の大好きなスイーツを買ってくるようにしている。
徹は自分の人生を軽く見ていた。
あとは消化試合のように生きていくのだと思っていた。
子育てを耐え凌ぎ、仕事をこなし、夢も叶わずに趣味として扱って、死ぬまでダラダラと過ごすのだろうと本気で思っていた。
でもやはり人生は分からないものだ。
精神病になり、お先真っ暗だと思っていたが、今は逆に視界が開けている。
たとえ暗くとも、ゆっくり自分なりに蝋燭に火を灯しながら歩いて行こうと思っている。
暗闇で座り込んでいては、その場で屍になるだけだ。
自分なりで良い、急がなくても良い、それでもゆっくりと確実に、この人生という名の洞窟を歩き続けるんだ。
それがどこに繋がっているかは行ってみなければ分からない。
後日談を語るにはまだ早い、何故なら徹の物語は、まだ始まったばかりなのだから。
応援ありがとうございます!
20
お気に入りに追加
8
この作品の感想を投稿する
みんなの感想(1件)
1 / 5
この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
このユーザをミュートしますか?
※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。
初めまして。
家庭を持つことで生じる夢との齟齬がとてもリアルに描かれています。
こんなに作曲の様子を詳しく表現できませんでしたが、私もシンガーソングライターが出てくる物語を書いたので親近感が湧きました。
おお!!コメントありがとうございます!!
たらこ飴さんも作家なのですね!
この物語は私の実体験を元に書いているので、半分くらいノンフィクションなのです。
だからリアリティがあるのかもしれませんね、、、
この物語を読んでくれた友人に「読むのがシンドい、エグい」と言われました。
それくらい人間のリアルを書いたつもりなので、刺されば刺さるだけ作家としてはありがたいですよね。
読んでくれて、本当にありがとうございます!
コメントまでくれて、心から感謝です👍