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第1章 思い出は幻の中に

思い出は後悔の中に

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 館に戻り、アエリアを連れてキッチンに入れば、そこは溢れんばかりの食料品と何に使うのか分からない料理の道具らしきものが空いた空間を埋め尽くすように所狭しと並べられていた。

「……あいつ、暇なのか?」
「ここまで準備してくださったメッシーさんになんってことを!」

 俺が呆れてこぼしたらアエリアが間髪入れず訳の分からない返事をする。追及すればそれがどうやらピピンの事なのだけは分かった。腹の底から何かドス黒い感情が湧きあがる。

 ……俺のことは形ばかり師匠、師匠と軽く呼ぶ癖に。

 相手はあのピピンだ。ピピンなのだ。なのに俺の神経がピリピリと逆立つ。
 自分の中に膨れあがったドス黒い感情を持て余し言葉も出せないでいる俺に、アエリアが慌てて言葉を続けた。

「いや、あの、馴れ馴れしいかとは思ったんですが、その、名前がですね、分からなかったので仕方ないかと、いや、無論私の心のうちだけですし」

 俺の中で何かがブチ切れそうになってる。脳内でピピンが数回死んだ。
 だがその他愛無い言い争いの末、俺は大切なことに気づいてしまった。そう、アエリアは、あの日の事を覚えていた……

 改めて話をしようと俺たちが向かったのは、またもいつもの応接間だった。まるでこの大きな屋敷の中でここだけが俺たちの居場所のようだ。
 俺は持ってきた酒をグラスに注いでグイッとあおる。酒なしで話すにはちょっと苦しい。紡ぎ出す言葉を選びつつ、暖炉に薪をくべて火かき棒で意味もなくかき回す。

「お前はよく覚えていないかもしれないが、あれは今から八年前の冬だった」

 やっと覚悟を決めた俺はアエリアに向きなおり、俺の後悔と懺愧ざんきの記憶を紡ぎ始めた。


    ▽▲▽▲▽▲▽


 当時俺は都合よくピピンにルトリアス公国大公の養子になる件を押し付けて自由を満喫してた。
 ルトリアス公国はもともとアレフィーリア神聖王国から領地を割譲かつじょうされた公国だ。継子がいなくなれば直ぐにアレフィーリアに吸収されてしまう。その為、継子の数が少ない代にはアレフィーリアから適当な養子を受け入れて継子を絶やさないように備えるのが常だった。

 わずらわしい王室での一年を過ごし、邪魔者を追い出すように隣国の養子に送り出された時には流石に焦ったが、一緒に送り出されたピピンをうまく替え玉にして難を逃れた。俺はやっと以前のように自由気ままな旅に出たばかりだった。

 王都から目立たないようにこの辺境の峠を抜けて隣国のアレフィーリアに戻るつもりだった。一日中町をぶらつき峠越えに必要なものを物色した。通りは人で沸き返っていて、久しぶりの旅情をかきたてる。
 どこかで子供の親を呼ぶ泣き声が響く。

 ……迷子か。うるさい。早く誰か面倒を見てやってくれ。

 俺は大して気にも止めず、その日は町中の宿で一泊した。

 次の日、峠超えの支度を終えて国境に向かって歩いていると、国境門近くの兵舎からやはり子供の声が響いて来た。やけに耳につくその声につられてそちらを振りむき見れば、幼い子供が外牢に入れられていた。
 大方、親が見つけやすいように保護した迷子を一時的に入れたのだろう。乱暴な扱いだが辺境警備では仕方あるまい。中に一緒に入っている兵士の困り果てた様子からして迷子の世話を押し付けられたのだろう、直に子供を置き去りにして自分の仕事に戻っていく。
 残された子供は暗がりにぽつんと座ったままだ。俯いていて良く見えないが、珍しくやけに黒っぽい髪をしている気がした。
 横目でそれを見るともなしに見てはいたのだが、まさかアイツがこんな辺境にいる訳もない。ただの迷子だろうとそのまま通り過ぎた。

「まって、そこの人まって!」

 聞き覚えのある声に呼び止められ、驚いて俺が振り返るよりも早く、誰かが俺のローブの端を掴んで引っ張った。
 振り返り目があった途端、ローブを引っ張った本人は、顔を真っ赤にして火がついたように泣き出した。
 驚いたことに、それは間違いなくアエリア本人だった。
 一体なにがあったのか、どうしてここにいるのか。
 なんとか話を聞き出そうとどんなに宥めても全く効果がない。慌てた俺はまるで場末の人さらいのようにアエリアの口を塞いで人気の少ない物陰に走りこんだ。

「おい、泣くな」

 そう言って頭を撫でても一向に泣き止む気配がない。
 ふと、さっき気まぐれで買ったリンゴを思い出した。崩れた石塀の上にアエリアを座らせ、取り出したリンゴをナイフで半分に割ってアエリアに差し出した。
 だがアエリアはそれでも全く反応を返さない。しびれを切らした俺は、代わりに自分が座ってアエリアを抱きかかえ、再度リンゴをアエリアの小さな口に押し当てた。

「ほら、いいから食え」

 おずおずとリンゴにかぶりついたアエリアにほっと胸をなでおろし、アエリアが食べやすいように角度を変えながらリンゴを食べさせる。
 目にいっぱいの涙を貯めながらも一生懸命リンゴをかじるアエリアの横顔に、自然と微笑みがこぼれた。

 ……また会えるとは思わなかった。そして今度こそ離したくない。

 そんな思いが俺の胸を満たし、締め付けた。


    ▽▲▽▲▽▲▽


「お前はリンゴを食べ終わると途端にまた泣き出し、今度は家に帰りたいと騒ぎ出した」

 あとからあとからこぼれ落ちる涙をそのままに見上げてると、アーロンが少し辛そうな面持ちで私の隣に腰掛けた。ポロポロとあふれる私の涙を拭いつつ、目を細めて思い出を語る。

「当時の俺はまだ15の小僧で魔力も大してなかった。だから『お前に深く関わりのある場所』から小さなものを空間魔法で引き寄せるのが精一杯だった」

 そう、アーロンは私をあやすように色々なものを取り出してくれた。私の指人形、友達のくれた手紙、金平糖の包み、お母さんのくれた髪留め、そしてあの古びた鍵。今思えばどれも小さなものばかりだ。
 アーロンが見覚えのあるものを取り出してくれるたび私は癇癪をおこし、なぜ自分を元いたところへ送ってくれないのだとアーロンをなじってしまった。

「送り返すことは出来ないが、今母親に会わせてやろう」

 アーロンは癇癪を起こし泣く私を膝の上に抱えなおし、私の目を隠すように手をかざした。
 途端ストンと落ちたような感覚のあと、再び目を開いた私は元いたあの世界で、父と母と、そして祖母の面影を見たのだった。それはまるで夢のような、まるで現実のような時間だった。祖母と母と父が一緒に笑いながらいつものキッチンで一緒にご飯を食べてた。私は今日学校であったことを話し、祖母はそれを嬉しそうに聞きながら食後のお茶をすすってた。

 祖母が死んだのはその年の夏だった。おばあちゃん子だった私は突然祖母がいなくなったことをどうしても受け入れられず、学校でも人と話を出来なくなっていた。あの頃のことを思い出すと、今でもちょっと心が痛い。

 でもアーロンのくれた夢の中で、私はずっと話したかった祖母と思う存分話し、甘え、そして諭された。そう、あれがきっかけで私は祖母がもう返って来ないと納得できたのだ。
 それがアーロンの意図したものだったのかどうかは分からない。多分違うのだろう。でもそんなことはどうでもいい。あれを切っかけに私はあちらで『普通』に戻ってこれたのだ。

「お前は何をしても泣き止まず、途方にくれた俺は母親に会わせてやると言って一時だけのまやかしの安らぎを与えて誤魔化した」

 アーロンは私の大切な思い出を、まるで過去の汚点のように言う。

「結局眠りについたお前を辺境警備の連中にもう一度引き渡して、修道院へ入れるよう手配するくらいしかあの時の俺には出来なかった」

 それは初耳だ。私はてっきりアーロンは母の姿を見せてくれたあと自分の場所に帰ってしまったのだと思ってた。

「修道院へ入る手続きをして下さったのが師匠だとは知りませんでした。私はてっきり、あれは師匠にとっては些細な出来ごとだったのだろうと」
「……本当はあのあとあのまま姿をくらます予定だったんだがな。お前のお陰で色々と俺の人生計画が狂った」

 そう言いながらも優しく私の頭をポンポンと撫でてくれる。そうか、あの時の出会いは私の人生だけじゃなくてアーロンの人生にも少なからず影響を及ぼしてたのか。

「修道院に迎えに行くのに結局八年も掛かってしまった」

 こんなことがなければもっと遅くなったかもしれんが、とブツブツ呟いている。ああ、第二研究所のお陰で早く会うことが出来たってことかな?
 アーロンはそこで一息ついて私を見つめて問いただした。

「改めて聞く。お前は何がして欲しい? 何を望む?」

 思いがけないアーロンの申し出に私は少し考え込む。
 確かにあの時の私はアチラの世界に戻ることで頭が一杯で、アーロンにいっぱい無理を言った。
 でも結局、アーロンが取り寄せてくれた鍵のお陰で今ではアチラの世界とコチラの世界を行き来することが出来ていた。ただ、この屋敷に閉じ込められて以来、アチラの世界に戻ることが出来なくなっていた。多分、アーロンの張った結界に阻まれてるんだと思う。

「じゃあ、結界を解いてください」
「それは駄目だ。お前は全く自覚がないようだがお前の魔力は非常に価値が高い。今後もお前の身の安全の為に俺の結界から出ることは許さない」

 え? じゃあ結界は私を外界に出さない為じゃなくて私を守る為だったの?!

「師匠、じゃあ私が強くなったら問題ないってことですか?」
「……それはお前が充分に強くなったらその時考えよう」

 アーロンが歯切れの悪い返事を返してくる。
 うーん、アーロンから見て充分に強いって、一体どれくらい頑張ればいいんだろう?

「じゃあ奴隷契約を解いてください」
「……そんなものは最初っからない。お前と交わしたのはお前が俺の庇護下に入り、俺の許可なくこの屋敷から出入りしたり外の者と交流を持ったり俺が危ないと判断した行動を制限するための契約だ」

 あれ、私奴隷じゃなかったよ! ん? でも今アーロンが説明した内容は取り方によっては隷属と余り変わりないような……

「他にはないのか?」

 ちょっとイライラした様子でアーロンがかぶせるように尋ねてくる。

 うーん、どうしよう。私思ったより大事にされてたらしい。

 アチラに帰れないのは少し困るけど、アチラのことをアーロンに説明するのも難しい。まあ、コチラにいる限りアチラでの時間はほとんど過ぎないのだし、アチラではもう成人しているんだから少しくらい留守にしても大丈夫だろう。
 仕方ない。自分が充分に強くなったら結界を出られるのなら折角の機会だ。アーロンに再会するという目標は達成してしまったけど、アーロンの指導で初心通り魔術師になる為の修行を続けよう。

「あ、そうだ。師匠、あの、新しい毛布が欲しいです」
「……お前、そんなもんでいいのか?」
「あ、そうですね、そうだ! 意地悪するのをやめてください」
「却下だ。意地悪されるお前が悪い」

 私のせい!?

 何だか拗ねたような調子で答えたアーロンが、自分のグラスに酒を継ぎ足して改まった口調で続けた。

「今後もお前は俺の庇護下で魔術訓練を続けてもらう。俺の許可なしにこの敷地を出ることは今後も禁止する。だがこの屋敷の管理はそう遠くないうちに引き継ぐ者を入れる予定だ。お前は自分の訓練に専念しろ」

 テキパキと私に言い渡しつつも、私から視線を逸らして手元のグラスをクルクルと回す。

「俺もなるべくこちらに滞在して面倒を見るつもりだ。だからまあ、そのなんだ。これからもよろしくな」

 そうぶっきらぼうに言ってアーロンは自分のグラスを一気にあおった。
 アーロンの言葉にちょっとドギマギとしながら、私もアーロンを真似て自分のグラスを一気にあおる。

「あ、待て! お前はあおるな!」

 時すでに遅し。

 お腹がボンっと熱くなったかと思うと頭がクラリとして数秒で暗転する。
 空腹に今まで飲んだこともない度数の高い酒を一気飲みした私は、そのまま気持ちよくスゥーと気を失った。
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