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Ⅵ 迷う魔女

iii 王弟の仕事

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「全く。羨ましいものだよ」


 長い交渉を終え、元気よく部屋を駆け出していくカルロスを見送って、トレルダルは短い感傷に浸っていた。

 ゲームは終わり、勝者は決まった。
 そしてカルロスは、失ったはずのとっておきの駒をしっかり取り戻していった。


「そう思わんか?」


 トレルダルが気だるげに問いかけると、彼の執務室ゲームルームの端、目隠しの飾り棚の後ろからジェームズが顔を出す。


「よろしかったのですか?」


 その声には少なからず不満が乗っている。


「じゃあ君はチャールズがアレに勝てると思うかい?」


 楽し気に聞き返したトレルダルに、ジェームズが悔しそうに口をへの字に曲げた。


「チャールズ様にあの魔女を御するのはムリにございます」


 この男のこんな顔を見られたのも、今回の役得だ。

 そんなことを考えてニヤけているのであろう自分の主君を見て、ジェームズが深く嘆息する。


 我ながら、本当に酷い主君にお仕えしているものだ。


『フーン。じゃあ君が自分でアズレイアを見てチャールズにと望むなら、しかるべく取り計らってよ』


 チャールズとレイモンドの画策を耳にし、主君に注進したジェームズに、淫紋の注文と一緒にトレルダルからもらえた言葉はこれだけだった。

 この方はいつだってそうだ。
 家臣や周りの者は、彼の言葉の端から自分の役割を心得て、その意をくむために奔走するしかない。

 最初、たかが農民のしかも噂の良くない娘をなぜ自分の主君がこうも気にかけているのかジェームズには理解できなかった。

 だが、淫紋紙の注文のやりとりを通して、いやが上にも理解してしまった。

 依頼に忠実な彼女は、こともあろうにあの大司教の施した加護を破ってしまったのだ。
 今まで誰一人として破ることのなかった、この国随一の加護を、だ。

 破れること自体、あってはならない国の加護。
 それをただ純粋に、研究を重ねることで破ってしまったのだ。
 その根気と才能はまことに素晴らしい。
 だが同時に、国を覆しかねない危険な才能だ。

 しかも渡された金子は、すべて研究に費やしてしまったらしい。
 金に執着があるならまだ良かった。
 だがあれは、どうにもしがたい純粋な研究バカである。

 王弟が彼女に手綱をつけたがる理由が嫌というほど身に染みた。

 いっそチャールズの妾どころか、細君にして飼い殺したい……いや、飼い慣らしてほしい。
 ほんのりそんなことも思ったかもしれない。

 だが、塔の門で目を光らすのはあのカルロスだ。
 一筋縄でいくわけもなく。

 王弟の気まぐれを汲み取って、なんとかチャールズに最大のチャンスを振ってみたわけだが。

 蓋を開ければ塔の主はすっかりカルロスに落ちていた。

 これでは自分は単なる道化使いではないか。
 ……まあ、事実道化よろしく裸で王都を練り歩かされたチャールズよりはマシではあるが。


「結局、奴はあの魔女を諦めるつもりなどさらさらないのさ」


 そんなジェームズの胸の内の葛藤を、無論この王弟は把握している。
 把握したうえで、それすらもせせら笑って自分たちの終わったゲームの盤上を思い返す。

 残念ながら、トレルダルの手にカルロスという駒は握られていない。

 チェックメイト。
 そのはずだった。

 だが最初からこのゲーム盤の片側には、カルロスの知らない彼の好敵手プレーヤがとうの昔から座っていたのだ。

 転がりこんだように見えたその駒は、ただの残像に過ぎなかい。
 空の手を握って今回の真の勝者に思いを馳せるトレルダル。

 いや、多分。
 勝者は勝者で、まだまだ苦しむのだろう。
 この結末は、多分それほど甘いものではない。

 そんな思考を最後に、彼の興味は薄れていく。

 先ほどまで読んでいた本に視線を戻したトレルダルが、ふと思い出したようにクスクスと笑いながら付け足した。


「いいじゃないか。これでもうあの二人はチャールズの犯したやんちゃなど、念頭にも浮かばないだろうよ」


 確かに。

 己の立場をわきまえすぎるカルロスは、昨夜あの場でジェームズが呼んだ正式な敬称なしの呼びかけ一つで追及を今回の取引に切り替えてきた。
 何のかのと言いながら、彼もまたこの主君が育てた次世代を背負う一人なのだ。


 馬鹿らしい。主君の手の内で踊るのは自分も同じか。


 気持ちを切り替えたジェームズは、まるで子供のようにクスクスと笑い続ける主君のために、今日は彼の苦手な苦い茶をたっぷり準備しようと心に決めた。
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