天国か地獄

田原摩耶

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六月一日目【催事】

03※嘔吐

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 クッキーはチョコチップが入っていて、控えめな甘さが丁度よかった。
 甘いものを食べるとリラックスするだとか色々言われてるが、その効力は本当なのかもしれない。お風呂から上がったばかりというのもあるだろうが、なんだか胸の奥がポカポカと暖かくなるのだ。
 髪を乾かし終え、テレビを見ていたときだ。
 最初は熱っぽいな、と思った。けれど、すぐにそれがただの火照りではないということに気付いた。
 頭の奥までもじんと痺れるように熱くなり、全身の熱が下腹部に集中するのが自分でもわかった。
 ……ムラムラする、なんてこと、なかったはずなのに。それも、こんなに前触れもなく。
 硬くなり始める下腹部に恐る恐る手を伸ばそうとしたとき、突然脱衣室の扉が開く。飛び上がりそうになり、俺は咄嗟に膝掛けで自分の下半身を隠した。
 風呂上がりのホカホカとした阿佐美がそこにいた。タオルを首に掛け、既にいつもの部屋着に着替えた阿佐美は俺の姿を見るとほっと安心したように口元を緩ませるのだ。
 けど、それも一瞬。表情を強張らせた阿佐美は心配そうに俺の側へとやってくる。

「ゆうき君、大丈夫? ……なんか顔が、すごい赤いけど」
「っ、あ、の……俺……ごめん、大丈夫……だから、多分ただ逆上せただけで……」

 シャンプーの良い匂いがふわりとして、緊張する。
 俺と同じものを使ってるはずなのに、なんでこんなにいい匂いなのだろう。
 思いながら、俺は笑って誤魔化した。いくら同じ男相手とはいえど、こんなところを見られたくない。
 笑って誤魔化せば、阿佐美は益々心配そうな顔をするのだ。

「ちゃんと暖かくしないと……」
「う、うん……ごめんね」

 ……どうやら俺の言い分を信じてくれたようだ。
 阿佐美は心配そうに、それでもそれ以上追求するわけでもなく冷蔵庫の方まで歩いていく。飲み物を取りに行ったようだ。この隙きにこれを鎮めよう、そう恐る恐る便所へ向かおうとしたとき。
 ゴトリ、と物音がした。どうしたのかと思えば、阿佐美がゴミ箱の中の紙袋を取り出しているところだった。
 ゴミ箱から一回取り出したことに気付いたというのか、中身が空になってることに気付いた阿佐美がこちらを向いた。

「……ゆうき君、アレ、食べたの?」

 僅かにトーンが落ちるその声に、前髪で見えない表情に、背筋が凍る。怒られる。そう肌で直感したからだ。
 全身が硬直する。歩み寄ってきた。足が竦んで動けない。
 そんな俺の前までやってきて、阿佐美は視線を合わせるようにその背中を丸めてこちらを覗き込むのだ。

「俺、怒らないから、正直に言って。……食べたんだね?」

 それは、まるで小さな子供に言い聞かせるような優しい声だった。安心させるようにそう小さく問いかけてくる阿佐美に、俺は恐る恐る首を縦に振った。

「っ、ご、め……勿体無いと、思って……」

 そう言い掛けたときだった。阿佐美は俺の腕を掴んだ。そして、そのまま歩き出すのだ。

「っし、詩織……っ待って……」

 いきなりの阿佐美の行動に心臓がバクバクと高鳴る。それ以上に、勃起しかけてるのを見られてしまったらという焦りに足が縺れそうになり、阿佐美はそんな俺の背中を軽く抑えるように歩くのだ。
 そして、やってきたのは男子便所だ。狭くはないが、一人用の空間に二人、それも阿佐美のような長身と一緒にいるというだけでいつぞやの阿賀松とのことを思い出し自然に体が強張る。

「し、詩織……?」
「……少し、我慢してね」

 背後に立つ阿佐美の手が顎を掴む。一瞬、何が起きてるのか、何をされているのか頭が追いつかなかった。

「っ、ぅ、え」

 便器に向かって頭を押さえつけられたかと思えば、そのまま口の中に入ってくる指に驚いた。
 慌てて頭を上げようとするが、敵わない。それどころか、太い指先に喉の奥、口蓋垂の辺りを指の腹で刺激されればそれだけで喉の器官が大きく収縮する。

「まっ、ぇ、し、ほり」

 やめてくれ、こんな真似。そう藻掻くが、阿佐美はやめない。
 やがて込み上げてくる唾液がじわりと溢れ、そして何度もえずいたとき、とうとう迫り上がったそれは口から溢れ出した。

「ぅ゛ぉ゛えッ」

 ビチャビチャと跳ねる水。まだ消化しきれていないクッキーだったものが落ちるのを見て、それでも何度か俺を吐けせようとしてとうとう何も出なくなったのを確認してから阿佐美は指を引き抜いた。そして、俺を立たせてはトイレの水を流すのだ。
 何がなんだかわからないまま、俺は洗面台へと阿佐美に引っ張られ、そして口を濯がれる。
 気分がいいわけはない。阿佐美がわからなくなって、体がただ震えた。抵抗することもできなかった。

「……ごめん、苦しかったよね。でも、こうしないと怖かったから……」
「っ、こわ、かったって……」
「あいつが、何かしてるんじゃないかって……。ごめん、いきなり、こんなことして……」

 ようやく安堵したのかもしれない。鏡越し、写った阿佐美は表情は見えないものの、声が僅かに震えていた。俺の口元をタオルで拭った阿佐美は、すぐに手を離す。
 何かしてる、何か入れたということか。俺は、そこまで考えられなかった。それと同時に、阿佐美があんなに態度を変えたの理由に納得する。
 それと同時に、阿佐美の気持ちも知らず呑気につまみ食いした自分が恥ずかしかった。

「ごめん、こんなこと……させて」 
「俺も、ちゃんと言わなかったのが悪かったんだ。……具合はどう?」
「……ぐ、あい……って……」
「……いいはずないよね。他に、異変はない?」

 言われて、心臓がドキリと反応した。
 性格に言うなら、具合と言っていいのかもわからなかった。あくまでもそれは俺の体調というよりも……。

「……ゆうき君、やっぱり良くないの?」
「そ、れは……」
「取り敢えず、暫く横になって様子見よう。まだ消化されてないはずだから大丈夫だとは思うけど……何が起きるかわからないし」
「だ、いじょうぶ、俺、一人で歩けるよ……っ」
「ぁ、ごめん、……それなら……」

 阿佐美に肩を支えられそうになり、咄嗟にその腕から離れた。嘔吐すれば萎えると思っていた、けれど、それどころか腹の中の熱は収まらない。まるで腹の中で無数の虫が這い回るような気持ち悪さだった。阿佐美に触れられることで、その虫たちは一斉に騒ぎ出すのだ。
 阿佐美の腕から逃げるように、自分のベッドへと向かって、下半身に布団を掛ける。熱い。首や頬の周囲に熱が溜まっている。

「……とにかく、そこで楽にしてて。……俺、水とってくるから」
「……ご、ごめん……なさい」

 阿佐美は大丈夫だよ、の代わりに俺の頭を軽く撫で、そしてベッドから離れる。その手の触れられた箇所が甘く疼く。なんだ、これは……。落ち着け、そう思うのに、明らかにさっきよりもテント張った下半身に絶望した。
 駄目だ、こんなんじゃ……。落ち着け、落ち着け俺。そう必死に鎮めようとしたとき。

「ゆうき君」

 名前を呼ばれ、体が跳ねる。

「これ、水持ってきたから……よかったら飲んで」
「ぁ、あ……ありがと……」

 そう、阿佐美からグラスを受け取ろうとしたとき。緊張で感覚を失った指先は、うまくグラスを受け取ることができなかった。膝の上に落ちるグラス。そして布団の上にひっくり返る水に、血の気が引いた。

「っ!」
「っ、ごめん、大丈夫っ?」

 待って、という暇もなかった。青褪めた阿佐美に膝の上の布団を引き剥がされ、全身の温度が一気に上昇する。目の前が赤く染まる。
 咄嗟に服の裾を引っ張り、それを隠そうとするが、遅かった。

「み、ないで……っ」

 恥ずかしい。恥ずかしい。死にたい。こんなところ、見られるなんて。
 咄嗟に閉じた股の間、それでも隠れきれていない膨らんだそこに、阿佐美も気付いたはずだ。普段血の気を感じさせないその表情に朱が指すのを見て、俺は顔を上げられなかった。

「っ、ゆうき君、これ……」
「ご、め……なんか、ずっと……おかしくて……全然そんなつもり、ないのに……収まらなくて……っ、俺……」
「……っ、落ち着いて、ゆうき君、君はなんも悪くないから。大丈夫だよ、……恥ずかしくなんてないから」
「……っ、し、おり」

 パニックに陥りそうになる俺の頭を抱きしめ、阿佐美はそう耳元で言い聞かせるように続ける。その優しく低い声は呪詛のように脳裏で反芻される。
 そして。

「……なるほど、そういうことか」

 阿佐美がぽつりと、そう呟いた。そして、すぐに阿佐美から離される。

「ゆうき君、これ……その、処理したの?」
「……しょ……?」

 そして、阿佐美の言わんとしてることに気づいた俺は言葉を飲む。自慰はしたのか、ということなのだろう。恥ずかしかった。けれど、誤魔化せるほど頭は回っていなかった。恐る恐る首を横に振れば、阿佐美は「わかった」と頷いた。
 そして、ベッドが軋む。隣に腰を下ろした阿佐美に、条件反射で体が強張った。

「それ、俺が手伝うから……少し我慢して」
「っ、待っ、手伝う、って……」
「あのお菓子に盛られたのは、多分、媚薬だよ」
「……ッ、び、やく……」
「……すぐ楽にさせるから。悪いけど、ここまま……じっとしてて」

 視界に入らないようにするためか、横に座る阿佐美の手が俺の下腹部に伸びる。混乱するが、それ以上に胸の奥が反応してしまうのも事実で。必死に視線を合わせないようにするが、それが余計隣にいる阿佐美の存在を意識させられるのだ。

「……っ、……」

 嫌だといえば、阿佐美はやめてくれるだろう。それでも、俺は動けなかった。
 骨張った指先が部屋着のウエストを引っ張るように中へと滑り込む。下着越し、直接触れないようにしてるのかもしれない。阿佐美の指先が勃起したそこに触れるのを感じて、息を飲んだ。

「っ、……ッ、ふ……」
「…………………………」
「……ぅ、ん……っ」

 声を出さないようにと思うのに、指の腹で輪郭をなぞるように全体を撫でられるとそれだけであっと言う間に性器に血液が集まるのだ。窮屈な下着の中、直接触らないその指の感触が余計生々しくて、腰がふるりと揺れる。
 阿佐美は俺から顔を逸らしたまま、手のひら全体で浮き上がるほど勃起したそこを柔らかく包み込み、全体を刺激するのだ。

「っ、ふ……ッ! ん、ぅ……ッ!」

 咄嗟に阿佐美の手首を掴む、けれど、阿佐美は止めない。それどころか、手のひらごとやわやわと全体を扱かれればそれだけで腰が揺れ、全身に汗が滲んだ。
 一人でするときと全然違う。直接触れられていないのに、阿佐美に触られてるというだけで余計感じてしまいそうになるのだ。亀頭の部分を執拗に撫でられれば、下着の中でぬるりとした感触が触れた。
 緩急つけてねっとりと全体を指先で愛撫される。それだけで既に射精寸前まで追い込まれた俺は、気付けば阿佐美の腕に縋り付くかのように前のめりになっていた。

「っ、は、ん、ぅ……ッ! ふ、ぅ……ッ、く、ンんぅ……っ!」

 阿佐美の指が動く度に下腹部でくちゅくちゅと濡れた音が響き、腰がビクビクと震えた。直接、触ってほしい。ごしごし全体を扱いて、射精させてほしい。それなのに、阿佐美はそれをしない。
 大きくゴツゴツとした手のひらで包み込んでは、快感を逃さないように執拗に、優しく、責め立ててくるのだ。
 それが余計俺の劣情を煽るのだ。

「っ、ひ、ぅ……んん、ぅ……く、ひ……ッ!」

 太腿が震える。脳天から爪先にかけて流れる快感の電流に目の前が眩んだ。粘着質な音が増し、前のめりになったまま俺は阿佐美に体を預けた。呼吸が浅くなる。
 阿佐美にこんな風に触られて馬鹿みたいに先走り流してる。引かれてもおかしくない、そう思うのに、気付けば阿佐美に押し倒されるようにベッドに仰向けに倒れていた。

「っ、し、ぉり、……っ、待、ぁ、っ、待っ……ンん……ッ!」
「……っ、……」

 グチャグチャと粘着質な水音が響く、覆い被さる肩越し、長い前髪の下こちらを見下ろすその目と視線があった瞬間、全身にその鼓動が大きく響いた。憐れむような、可哀想なものを見るようでいて、そして、得体のしれないものを孕んだその細められた目に、酷く喉が焼け付く。
 次の瞬間、俺は下着の中で射精していた。



 ……。
 …………。


 死ぬほど気持ちよかった。
 それが志摩の用意したという妙な薬のせいなのか、相手が阿佐美だからかなんて俺にはわからないが、二回立て続けに射精した俺の頭では何も考えることができなかった。
 ただ、風呂上がりにも関わらずまた汗だくになってしまったななんて思いながら俺は下着を替えた。
 脱衣室から戻ってきたら、どこを向いているのか、虚空を見つめたまま阿佐美は「ゆうき君」と緊張した声で俺を呼ぶのだ。

「っ、もう……大丈夫そう……?」

 微かにその声が震えてることに気付いた。
 いくら俺のためとはいえ、阿佐美には酷なことをやらせてしまったと思う。お陰で収まったが、やはり、まだその顔を直視することはできない。

「……ぅ、うん。……あの、ごめん……こんなこと、させて」
「……それは、寧ろ俺が勝手にしたことだから」
「で、でも……俺の方が詩織に、嫌なことさせちゃったし……」
「……ゆうき君」
「ご……ごめん、なさい……俺のせいで……」

 元はと言えば俺が何でもかんでも拾い食いしたからだ。
 恥ずかしくなって、申し訳なさでいっぱいになる。うつむいたとき、阿佐美は立ち上がった。

「っ、ゆうき君のせいじゃないから」

 そして、それだけを言えば、阿佐美は玄関の方へと歩いていく。

「し、おり?」
「……ごめん……俺、頭冷やしてくる」

 そう、俺に視線を合わせないまま、阿佐美は扉を開けてあとにした。そしてすぐ、オートロックの扉はすぐに施錠された。
 …………詩織。やっぱり、怒ってるだろう。少なくとも確実に嫌気は差してるはずだ。
 居た堪れなかった。本来ならば俺が部屋を出ていくべきなのに、最後まで阿佐美に気遣わせてしまうなんて。
 今更になって羞恥と自己嫌悪の波でどうにかなりそうだった。暫くぼんやりとしていたが、ふいに、サイドボードに阿佐美の部屋のキーが残されたままになってることに気づく。

「詩織……」

 普段ならこんな忘れものしないのに、やはりそれほどまで早く俺と離れたかったのだろうか。
 そう思うと胸が痛くなる。
 阿佐美には、嫌われたくない。それなのに、今回のことで嫌気差されたかもしれない。
 高揚しきっていた頭は次第に冷静になり、そうなると今度は気分が落ち込んでくる。
 ……このままでは阿佐美が閉め出されてしまう。阿佐美が戻ってきたら鍵を開けれるようにしなければ。
 そんなことを思いながら俺はぼんやりとテレビを見つめていた。
 油断すれば、今度は阿佐美の手の感触を思い出してしまう。いつからこんなにふしだらな人間になってしまったのだろうか。阿佐美をそんな風に見たくないのに、どんどん阿賀松たちに毒されていく自分が嫌だった。
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