天国か地獄

田原摩耶

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√α:ep.5 『最後まで一緒に』

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 どうやら俺は意識を飛ばしていたようだ。
 気が付いてまず視界に入ったのは志摩の顔だった。
 仰向けになった俺を覗き込んでいた志摩と視線がぶつかり、志摩は「ようやく起きたね」と笑った。
 どうやら志摩が後処理をしてくれたようだ。汗やらなんやらで汚れていたはずの服も下着もなく、代わりに見慣れた服を着せられていた。
 落ちていた俺の服だ。

「ごめん、俺……」
「本当、驚いたんだからね。白目向いてぐったりしたまま動かないんだもん。死んだのかと思ったよ」
「……ご、ごめんなさい……」

 体力が低下していたのだろう。
 夢現の中聞いた志摩の驚いた声が蘇り、更に居た堪れなくなる。
 元はと言えば志摩がやり過ぎたせいな気がしないでもないが、面倒を掛けたのには違いない。

「水、あるけど飲む?」
「……少し貰う」
「コップに注ぐ?それとも、口移しがいい?」
「……ボトルのままでいいよ」
「はい、じゃあこれ」

 手渡された水の入ったボトルを早速開け、俺は乾いた喉を潤した。
 それにしても、まだ、夢を見ているようだった。
 全身が気怠い。熱もまだ残っていて、何事もなかったかのように隣に座る志摩になんとも言えない感情が芽生えた。
 すっかりいつも通りに戻っている志摩。
 志摩との再会、そして勢いに流されつい聞けずじまいになっていたが、志摩には聞きたいことが山ほどある。壱畝のこともだが、何故、ここにいるのかということだ。
 志摩の横顔を眺めていると、志摩がこちらを見た。そして、なんの前触れもなくキスされる。
 唇はすぐに離れたが、突然の志摩の行動に度肝を抜かれた。

「な……なに、してんの」
「キスしたかったんじゃないの?」
「…………」

 違う、と否定する気力もなければ照れる余裕もない。
 けれど、比較的穏やかな志摩に、今なら聞ける。そう俺は拳を握りしめた。

「あの、志摩」
「何?」
「どうやって、ここの部屋に上がったんだ」

 俺がいない間、何をしていたのか。
 単刀直入に聞こうか迷ったが、いくら機嫌がよくてもいつそれを損なうか分からない志摩だ。
 なるべく言葉を選んで尋ねる俺に、志摩は目を細めて笑う。

「どうって……分かってるんでしょ、それくらい。まどろっこしいな、流石齋藤」
「……壱畝君に上げてもらったの?」
「まあね、俺にはマスターキーはないからさ」

 特に気まずくなるわけでもなく、当たり前のことを当たり前のように答える志摩に胸の奥の違和感が微かに膨らむ。

「壱畝君が……」
「まあ、勿論快く上げてもらったわけじゃないけどね」

 強行突破という言葉が脳裏を過る。
 時折無茶をする志摩を知っている俺からして、志摩の含みのある言葉から嫌な予感しかしない。

「壱畝君は?……どこに……」
「……齋藤さぁ、せっかく俺と一緒にいるのに壱畝君壱畝君壱畝君壱畝君壱畝君って流石に酷くない?」
「違、そういう意味じゃなくて……」
「なら、どういう意味?もしかして齋藤、自分がいない間に俺が壱畝遥香と仲良くやってたんじゃないかって妬いてんの?」
「……え?」

 ぎくり、と汗が滲む。
 ここに来る前、阿佐美から聞いた言葉。
 志摩と壱畝遥香がつるんでいると聞いて、妙な胸騒ぎを覚えたのは事実だ。

「……その顔、何か聞いてるみたいだね」

 顔に出てしまっていたようだ。
 全身が強張り、自然にしようとすればするほど表情筋が固くなってしまうのだ。
 そんな俺を見て、志摩は笑う。

「何を聞いたの?」
「聞いたっていうか、その……志摩が、壱畝君と一緒にいるっていうのを、チラッとだけだけど……」
「……誰に?」

 先程までニコニコと笑っていた志摩の目の色が、微かに変化した。
 別に詰られてるわけではない。
 聞かれているだけなのだと頭で分かってても、後ろめたさのせいか責められているように感じてしまうのだ。

「言ってくれないんだ」
「……あ、えと」
「なら、俺も言わない」

 そう言って、志摩はそっぽ向く。
 それは困る。けれど、志摩の言わんとすることは分かった。
 何もせず志摩が大人しく俺に応えてくれると考えていた俺が甘かったのだということも。やはり、一筋縄ではいかない。

「あの、し……志摩」
「……何?」

 一応は答えてくれるようだ。
 目玉だけを動かしこちらを見てくる志摩に、少しだけ安心する。

「詩織……から聞いたんだ、志摩がどうしてるのか気になって、探ってもらって……」
「……阿佐美?」
「ごめん……志摩、嫌がると思ったから言えなかったんだ」
「……」

 せっかく普通に接してくれるようになったのに、もしかしたら怒られるかもしれない。
 そう思うとやっぱり素直に話してしまったことに後悔したが、志摩に嘘を吐くことは出来なかった。

「……俺のこと気になってんなら、なんで直接会いに来てくれなかったの?」
「何度も考えたけど、阿賀松先輩の手前、勝手に動くことは出来なかったんだよ」
「なら、なんでここに戻ってきたの?」
「……それは……」

 阿佐美の庇護があればいい、そう思っていたのは確かだ。
 けれど、志摩を見掛けてから、志摩のことが気掛かりで仕方なかった。
 一応、阿賀松の腹を探るという目的は果たせた。
 それでも感情に流されるがまま突っ走ってしまった自分を考えると、すごく恥ずかしくなってくる。

「……志摩に、会いに行かないとって思ったから」
「は?」
「本当は、もう少し向こうにいるつもりだったけど、志摩を見掛けてから……ずっと志摩のことしか考えられなくなったんだ……それで……阿佐美に手伝ってもらって、逃げてきた……」

 呆れられること百も承知で告げれば、志摩の表情から笑みが消える。
 そして、その代わり、大きな溜息が吐き出された。

「……それ、本気で言ってるの?」
「……俺が、信用できないっていうのは分かるよ……」
「そうじゃなくてさぁ……あー、もう、なんだろ。……ほんっとう、齋藤って馬鹿だよね」

 率直な志摩の言葉の刃はぐさりと深く、突き刺さる。
 何も言い返せない俺に構わず、志摩の毒は吐き出される。

「そんなになるんだったら、なんで最初からそんな真似をするの?余計阿賀松を怒らせるだけじゃん、それじゃ。益々やりにくいったらないよ。ちゃんと後先考えて行動するべきなんじゃない?」
「……ぅ……」
「最後まで出来ないならしないでよ。俺が、どんな気だったのかも知らないで……自分が会いたくなったら戻ってくるって自分勝手過ぎなんじゃない?俺をなんだと思ってるわけ?」

 顧みずな志摩にこう冷静に諭されるとは思っていなかったが、志摩の言葉はもっともだった。
 やっぱり、我慢するべきだったんだ。
 後悔したところで阿佐美を踏み台にした今、元に戻ることも出来ない。
 ぐうの音も出ない俺に、志摩は今度こそわざとらしい溜息を吐いた。

「本当だったら、ぶん殴ってやりたいところだったけどね。……良かったね、齋藤、俺も馬鹿で」

 伸びてきた手に、頭を押さえ付けられる。そして、ぐしゃぐしゃと髪を掻き混ぜられた。
 それが、志摩なりに頭を撫でているのだと気付くのに暫く時間が掛かった。

「志摩……?」
「言っとくけど、全部許したわけじゃないからね。ちゃんと反省して貰うから」
「うん、それは……するけど」
「何?……その目」
「……志摩のことだから、もっと怒るのかと思った」
「あのさ、俺の話聞いてた?怒ってるって言ってるじゃん。馬鹿なの?」
「だって……」

 志摩、笑ってるじゃん。と言いかけて、俺は言葉を飲んだ。
 余計なことを言ってネチネチ詰られてはたまったものではない。
 しかし頬の緩みを隠しきれていない志摩につられて笑ってしまえば、「何ヘラヘラしてるんだよ」と頬を引っ張られた。……少しだけ痛かった。

「壱畝遥香は、隣の物置に閉じ込めてるよ」
「……え?」
「会いたい?」

 それは、突然の言葉だった。
 荒れた部屋を片付けていた俺に、志摩は唐突に壱畝のことを口にした。
 壱畝がこの部屋のどこかにいるということも驚いたが、先程までずっと壱畝のことを話そうとしない志摩がこうして自ら口にしたことに戸惑った。そして、あっけらかんとした様子の志摩にも。

「閉じ込め……て……?」
「ああ、でも安心して。簡単には出られないようにしてるし耳も目も口も塞いでるからいないものと思ってくれて構わないから」
「……」

 いつから、と尋ねる勇気はなかった。
 まるで悪びれた様子のない志摩に何も思うところがなかったわけではない。
 けれど、志摩はそれを聞いて俺が安心すると思ったのかもしれない。渋い顔をする俺に、志摩は「齋藤?」と怪訝そうにこちらを覗き込んでくる。

「あ……ごめん、少し……驚いて……」

 よく、あの壱畝を。
 そう思ったが、芳川会長相手にナイフを手にして脅しかける志摩だ。納得してしまう自分がいた。

「齋藤……壱畝遥香に会いたい?」
「壱畝……君、に……?」
「うん。齋藤あいつのこと嫌いなんでしょ?どうせ何にも使えないし、憂さ晴らしくらいさせてあげるよ」

 それは、先程と同じ問い掛けだった。
 それでも、ニコニコと笑いながらも志摩は瞳の奥で俺の反応を伺ってくる。
 何も使えないしという言葉が嫌に耳に引っ掛かった。
 壱畝がどういう状態なのか分からなかった。分かりたくもなかった。

『憂さ晴らし』
 志摩の言葉がやけに甘く響く。
 それを、俺は振り払った。

「俺は、いいよ……あまり、会いたくないんだ」
「……」
「……ごめん、せっかく気遣ってくれたのに」

 壱畝のことは、今でも好きになれない。壱畝の名前を聞く度に全身の古傷がズキズキと疼いては掻き毟りたい衝動が込み上げてくるのだ。
 腕を掴み、血管を潰し、その衝動を抑えながらも俺は志摩に答えた。
 志摩の表情から笑みが消える。

「……ふぅん、なら、もう要らないね」

 なんの感情も感じさせない声に、俺は志摩の顔を見ることが出来なかった。
 要らない。
 要らないものは、どうするのだろうか。
 声を掛けることは出来なかった。
「何を考えてるんだ」とか、「解放してあげろ」とか、そんな言葉は俺の頭に浮かばなかった。
 ただ、志摩のしたいようにすればいいという気持ちと、あの壱畝でも志摩に敵わないのだと思うと、認めたくはなかったが、胸の奥が軽くなったようだ。
 それは大事な何かを失ってしまったためのものだと分かったが俺は敢えて目を瞑った。

「……志摩」
「何?」
「……壱畝君から、何か聞けたの?」
「別に、何も。あいつ芳川に利用されてたんだよ、本当になーんにも知らないんだから」
「……」

 その言葉をどこまで信じればいいのか分からないが、それでもホッとする。捨てられたことには変わりない、何に対して安心したのか分からないがなんだろうか、ホッとしたのだ。

「……志摩」
「今度は何?」
「壱畝君はそのままにしておいて」

 例え信頼されていないとして、芳川会長に取っての切り札の一つだということには違いない。
 不本意だが、手元においていた方が安全なのだ。
 俺の言葉に少しだけ目を開いた志摩だったが、すぐに「了解」と頬を綻ばせた。

「会わないし出さないし解放しないけど、手元には置いておくんだね、齋藤は」
「……少しでも会長の計画を狂わせることが出来るならそれでいいよ」
「飼い殺しが一番酷なんだってよ。知ってる?」
「……じゃあ、俺にどうしてほしいんだよ」
「ごめん、からかいすぎたね。齋藤が『会って話したら分かってくれるはず!』とか言い出さなくて安心してるんだよ、これでも俺」
「……」

 会って話してもどうにもならない相手だと分かってるからか、志摩の言葉に返す気にもなれなかった。
 もし、これが壱畝ではなく別の人間だったら俺はそうしているかもしれない。
 嫌われたくないから。同じことをするにしても、相手からの信頼を下げたくないから、その場限りの甘言を口にする。
 悪い癖だと分かってはいるが、志摩と一緒にいるせいだろうか此処最近その傾向がよく取れた。それでも、相手がもとより俺を信用していないとなれば話は別だ。

「壱畝君にご飯はあげてるの?」
「あーどうだったかな、しまいっぱなしだったから最近見てないんだよね。あぁ、色々漏らして中が臭くなってなかったらいいけど」
「……志摩って、そういうところいい加減だよね」
「どうでもいいところに時間費やすなんて無駄でしょ。やりたいなら齋藤がしなよ」

 非人道的。
 志摩の性格を今知ったというわけではないが、たまに驚かせられる。
 こればかりは、壱畝に同情した。けれども俺は壱畝の顔も見たくない。俺は志摩にお願いをしてなんとか壱畝にご飯を食べさせることにした。
 結局その時も壱畝の顔を見ていないが、志摩が壱畝の態度が気に入らないと唇を尖らせていたので元気なのだろう。そう判断した。
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