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第3章 邂逅

91話 過去 ~ 混迷

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 ――ナイトギア闘技場

 運営委員会が開始の合図を告げると同時、闘技場の熱狂は最高潮へと達した。見物客の関心は言わずもがな伊佐凪竜一へと注ぎ込まれ、不断の努力で今日この日を迎えたその他大勢など視界の端にすら入らない。

 異様な熱気の中心が自分達でない事実は舞台の中心に立つ出場者の誰もが痛い程に肌で感じ取っており、故に排除しようと試みる。最速で動いたのは2人。開始の合図と同時、まるで示し合わせたかのように伊佐凪竜一へと向かう二つの影。

 洗練された動きは予選敗退者達のそれとは次元が1つ違い、また常人が視認するには余りにも桁が違う速度だった。片方は淀みなく死角へと回り込み、もう片方は愚かな程に真っ直ぐ正面から飛び込む。

「なッ!!」

「馬鹿な!?」

 しかし……いや、やはりと言うべきか伊佐凪竜一の前には児戯に等しかった。真っ先に動いた2人の実力は極めて高く、スサノヲにさえ匹敵するレベルと断言して良かったが、気が付けば2人は仲良く吹き飛ばされ、地面から空を仰ぎ見ていた。

「どうだ?」

 数の不利をモノともしない様子に来賓席に座るブラッドが得意満面に隣を見れば……

「確かに強いわね」

 隣に座る来賓の女性は素直に伊佐凪竜一の力量を評価し……

「でも少し異常ね、ウチの子達よりも強そうだわ」

 更にそう付け加えると自身の側面に直立不動で立つ隻腕の女を見つめた。その判断は疑いようがない。彼女達が値踏みする様に見つめる視線の先では、伊佐凪竜一が数人の本戦出場者の1人を吹き飛ばすと、地面へと叩きつけられた内の1人目掛けて突っ込むと止めとばかりに腹に一撃を見舞う光景。誰も彼もが必然的に本戦へと駒を進めた実力者なのに、彼の前に立てばまるで赤子の様に軽く手を捻られるのだ。

「随分と弱気な事だな。連れて来たのはソッチの最強エースなんだろう?」

「恐らくクロス・スプレッドでも勝てないんじゃない?それに気づいているでしょう?彼、ちょっと異常ですよ」

「分かっているさ」

 流石に有象無象は騙せてもこの2人を騙しきるのは不可能か。伊佐凪竜一が力を振るう度、彼の本質が少しずつ暴かれていく。しかしこの後、様相は一変する。それまで微動だにしなかった本戦出場者の1人、ゆったりとした魔導衣で顔を隠した何者かがまるで準備が整ったかの如く伊佐凪竜一の眼前へと躍り出た直後……大気が震え、地面が鳴動した。

 直後、悍ましい程に黒い魔法陣が闘技場中央に現れたかと思えば、その中心部から黄土色の何かが出現、同時に右腕で地面を叩きつけ傍らに立つ出場者を吹き飛ばす程の衝撃波を発生させ、更に左腕の指先から展開する魔法陣から無数の光線を飛ばし無差別攻撃を行った。

「ヒャハハハハハッ!!」

 癇に障る男の笑い声が響く中、魔法陣から這い出ようとするナニカが巨大な咆哮を上げた。見物客は恐怖で竦みあがり、本戦出場者は想定外の乱入者に身体を強張らせる。来賓席の2人とその護衛達は事の成り行きをじっと見守り……そしてただ1人、伊佐凪竜一だけが黄土色の悪魔の前に立ちはだかる。

 ※※※

 中央の舞台には黄土色の悪魔、そしてソレと相対する一人の男。だがそこには更にもう一人の人物がいた。フードを目深に被りゆったりとした魔導衣を纏った人物は悪魔の頭部に乗っており、そして意味不明な雄叫び声を上げる。正気か狂気かと聞かれれば、誰もが狂っていると答えるだろう。

「こんな馬鹿げたこと、もういい加減に止めろよッ!!」

 舞台中央の悪魔に一人対抗する伊佐凪竜一は腹の底からそう叫ぶ。恐らくこの男は想定していなかったのだろう、伊佐凪竜一なる男が飛び入りで本戦参加する事も、そしてそれ以上にその出鱈目な強さを。故に男は只管に焦る。しかし焦りながらも行動を止める気配は見せない。

「馬鹿がッ、そう言われて止めるヤツが何処にいるんだよボケ!!だが丁度良い、部外者のテメェも纏めて殺してやるよぉ!!」

 何が何やらと言った様子で見つめる数多の視線が降り注ぐ先、黄土色の悪魔の頭部に立つ人物は男とはっきりわかる低い声で絶叫すると同時、今度はブツブツと何かを唱えだした。言葉が紡がれる度に振動が起こり、悪魔から漏れ出る波動は強まり、悍ましい咆哮はより大きくなる。

 それはまるで悪魔を封じる鎖が一本ずつ引きちぎられ、その力を取り戻していくかの如くに感じられる。文言を唱え終わればあの悪魔は確実に現世へと顕現し、そして悍ましい数の死をばら撒き、見渡す限りを破壊し尽くすだろう。その光景を見る全員がその予感を起こり得る未来だと感じ取る。たった1人を除いて。

「ヒャハハハハハハハッ。もう死ねよ人間どもッ。そうだ、全部死ねばいい!!俺達独立種の場所を奪った癌細胞共がッ、この世界から欠片も残さず消え失せろッ!!さぁ行けよォデアボリカァ!!」

 短い文言を唱え終わった後、男は両の手を天に掲げ天を仰ぎ見ながら絶叫した。恍惚とした表情を浮かべる男の狂った笑い声が闘技場に木霊せば、直後に冷たい風が吹き抜け、男が被るフードを大きく揺らす。

「成程なぁ。どんな御大層な理屈をぶち上げるかと思えば、独立種か」

「そう……何処も同じ火種を抱えているのね」

 ブラッドは納得がいったとばかりに吐き捨て、隣に座る妙齢の女性は大きな溜息を洩らした。その2人が見つめる先、自らを独立種と呼称した男のフードは風に靡くと更に大きく揺れ動き、遂には脱げ落ち、その下に隠されていた男の素性を衆目に晒した。

 男の容姿は所謂獣人と呼ばれる分類と一致していた。顔は耳の辺りからもみあげまでが濃い毛で覆われていた。またローブの隙間から覗く両の手にも濃い体毛が生え、更に独自発展を遂げた魔導文明が生み出した刺青が鎖骨の下辺りから覗き見えたが、しかし一方で人間としての特徴も色濃く残っている。歴史を辿れば獣人の肌は全身が濃い体毛に覆われているそうだが、今の男を見れば身体の一部だけにその特色が現れるだけだった。

 獣人と似て非なるその姿は独立種と人が混血した証、つまり融和政策の成果。泥沼の争いを繰り広げていた人間と独立種の対立を解決すべく、連合を支える二柱の神が和平の為に尽力した結果が融和政策であり、漸く平和が訪れたと歴史は語っている。

 だが過激な思想を持つ極一部の独立種はその姿を忌み嫌い、過激な行動を起こす。あの男もそう言った過激な思想を持っているのだろう。融和政策は成功していた。だが人がそれぞれに個別の価値感を持つ以上、争う理由は常に生まれ続ける宿命にある。

 彼等は知ってしまった。連合の知識から遺伝子という存在を、そして遺伝学と進化論の存在を。人と独立種の遺伝子に違いがあるという事を、即ち独立種の遺伝子変異パターンが極めて自然であるのに対し、人類のソレは余りにも安定していたという事実を知ってしまった。

 突然変異の痕跡が遺伝子内に殆ど無かったという極めて不自然な事実は、遺伝学や進化論に対する理解に乏しい世界であったとしても、極一部を更に過激な行動に走らせるには十分だった。

「ヒャハハハハ……ハ、あれ?」

 憎しみに塗れ、歪んだ目的の為に世界を滅ぼすと伝わる悪魔を呼び出した男は笑い続ける。その心中はたった一つの目的に満たされている。人間いぶつを滅ぼし、独立種じぶんたちだけの世界を作り上げる。

 連合に許されるかどうかなど微塵も考えない極めて短絡的な思考。だが男は気付いた。何時の間にか振動は止み、咆哮は静まり、辺りには静寂が訪れている事に。程なく、唯一聴こえていた男の笑い声までも止んだ。

 静まり返る闘技場の中央に立つ男は漸く気付いた、先程から何一つ起きていない事に気付いた。黄土色の悪魔は黒い穴から這い出ようとする素振りさえ見せず、故にその頭部で天を仰ぐ男は"こんな筈では"と言った様子で呆然とする。

 また、それはそれ以外の全員も同じであり、誰も彼もがこの後に起こる悲惨な光景が一向に起きない現実に唖然呆然と舞台中央を眺める。その目は最初こそ緊張していたが、デアボリカの頭部に立つ男が何をどうしようが一向に何も始まらない現状をみるや次第に落ち着きを取り戻し、やがて困惑へと変わった。

「オイ。能力が足りないのか頭が足りないのかどっちだ?」

 一向に何も起きない現状に業を煮やしたのか、来賓席から舞台に向けて辛辣な言葉が投げかけられた。ブラッド評議長はこの状況に対し明確な苛立ちと怒りを持っており、悪魔の頭部に乗る謎の男を挑発した。が、男が何をどうしようが事態は全く進行しない。悪魔はそれ以上ピクリとも動かず、だからその頭上に立つ男はひたすらに焦るばかり。

「だ……黙れッ。今日ここでお前等人間共をブチ殺す為に俺はッ、俺はぁッ!!」

「だったらさっさと始めろ」

「いや。だからッ、そんな筈は……ナンデ?アレ?ドウシテ?」

 舞台中央の男はブラッドに挑発されるまま足元のデアボリカをけしかけようと試みるが、命令しようが足蹴にしようが罵詈雑言を向けようが何をどうしようが足元の悪魔はやはり微動だにしない。

「ハァ、もういい」

 殊更に大きな溜息と呆れる声が聞こえた、ブラッドのものだ。苛立ちが頂点に達した男はそれまで何があろうと決して動かなかった来賓席から立ち上がるや、次の瞬間には悪魔の頭部まで一足飛びに跳躍、呆然自失とする男の頭を鷲掴み力任せに悪魔の頭部へと叩きつけた。

 そんな動き辛いローブでよくもまぁそこまで素早く動けるものだと私は感心したし、恐らくその光景を見た全員が同じ感想を抱いたことだろう。それ程に彼の行動は素早く、正しく電光石火の如くであった。

「失望した。身の丈に合わん力を使いこなせると思い込んだ馬鹿が、これ以上は時間の無駄だ」

 獣人の男は"グエッ"、と情けなく呟くとそのまま意識を手放した。と同時、召喚者の意識喪失に伴いデアボリカが真っ黒な穴の中へと沈み込み始めた。ブラッドは眼下で情けなく気絶する男を睨み付けると"フン"と鼻息を荒げに観客席目掛け放り投げつつ自身も来賓席へと戻っていった。

「何なのよコレ?」

「来たばっかで何が何だかさっぱり分からんが、10年前とは違うなぁ……」

「ンー、あの時よりだいぶ弱いのは理解出来るけど、それ以外はちょっとよく分からないわね。けどまぁ何はともあれ無事に終わってよかったわね。はい、メデタシメデタシー」

「「リリスさぁん、絶対それ駄目ですって!!」」

 一方、かつての脅威の再来を前に奮い立っていた筈のクロス・スプレッドの5人は目の前で起きた出来事に頭が付いて行かず、それぞれの心情を吐露しながら闇へと消えていく怨敵の姿を見つめる以外に何も出来なかった。

 が、直後その視線が何かを捉えると一か所へと向かった。またその様子は来賓席も同じだったし、私もそうだった。極一部の人間だけが気付いた変化、それはデアボリカの頭部が闇の中へと沈み込むその直前に起きた。その赤い瞳が確かに伊佐凪竜一を見つめた。他の誰でもない、不俱戴天の敵であるクロス・スプレッドですらなく、偶然この惑星に降り立った伊佐凪竜一という男を、だ。
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