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第4章 凶兆

121話 キカン 其の1

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 連合標準時刻、火の節86日。現地時間6月26日深夜。周囲一帯は湿った風が立ち込め辺りを潤し、水面には月光が落ち淡い光が静かに揺れる船影を浮かび上がらせる。

『セオ、聞こえるか?時間が無いから単刀直入に状況を伝える。神父が監視システムを乗っ取って得た情報によれば護衛の数は100を超えるが大半は国家連合軍の連中だ。だがスサノヲが混じってる、数は5。一騎当千の宇宙サムライが5人、それにヤタガラスの腕章を付けた連中も数人。このままじゃ幾ら何でも分が悪い』

 海に面した空港を改造する形で作られた宇宙空港の玄関口を一望できる場所に女の声が響いた。やや低いハスキーな声の主は魔女だ。

「何か策がある様な物言いですね?」

『ハイドリを開く中央ブロック以外の施設を連鎖的に乗っ取って人手を分散させる。悪いが出来るのはこれ位だ』

「ありがとう」

『いや、コッチこそ済まねぇ。こんな程度じゃあ時間稼ぎにもならないだろうけど、無事を祈るよ』

 映像に映った浅黒い肌の女は眼鏡を外すと申し訳なさそうに伊佐凪竜一を見つめ、通信を切断した。潮風に揺れる髪の奥から見える彼の目は闇夜に浮かんだディスプレイが消失する余韻から、海上にそびえる真っ暗な建造物群へと向かう。

 羽田宇宙空港。視線の先に点々と灯る幻想的な灯りが、夜の闇にその施設の姿をうっすらと浮かび上がらせる。

「じゃあ手筈通り先ずは俺が先行する、2人は俺の連絡を待ってから行動開始。じゃないと多分死んじゃうだろうし」

 伊佐凪竜一は背後のセオとアレムに声を掛けた。振り向かないのは2人の心情が表出した顔を見てしまうからだろう。

 ココに来てからもうずっと2人共に苦悶の表情を浮かべっぱなしな理由は言わずもがな、己の力不足故だ。しかし、残酷だが地球人程度ではスサノヲの前では何の役にも立たない。その事実は半年以上前に起きた神魔戦役と名付けられた悪名高い戦いにおいて、スサノヲですらない新兵同然のクズリュウでさえ為す術が無かった事実が証明している。

「納得はしています」

「申し訳ありません、結局頼る事になってしまって」

「いや、戻る算段を立ててくれただけでも十分だよ。じゃあ行ってくる」

「はい、お気をつけて」

 淀みなく回答するセオとアレムだが、視線は対照的に闇夜を泳ぐ。地球に限れば恐らく上位に入るであろう戦闘能力も銀河最強たるスサノヲ相手では無いも同然、出会い頭に両断され即死するのは想像に難くなく、だから2人は断腸の思いで伊佐凪竜一を先行させた。

 スサノヲとはそれ程の存在であり、一騎当千、敵対者に絶望を与える、旗艦アマテラスとアマテラスオオカミの守護者など様々な呼び方で呼ばれる存在なのだ。

『準備は出来てるよー。監視映像は全部弄ったから敵にさえ見つからなければだーいじょうぶ!!』

 当人達の深刻な思いとは真逆に気の抜けた連絡が来た。今度は神父だ。車中のセオとアレムは祈る様に眺める中、監視映像の改竄が完了した合図を受け取った伊佐凪竜一は夜の空港へと駆け抜け……程なく宇宙空港への侵入に成功した。

 時を同じくして施設内部が混乱し始めた。神父が出鱈目に機器を操作し始めたのだ。落ちている筈の電源が付き、彼方此方に光が灯る。連合軍とヤタガラスは慌ててその場へと向かい、伊佐凪竜一は人が少なくなったその隙を縫いハイドリを目指す。

 ……が、そこにはスサノヲが居る。彼は勝てるだろうか。スサノヲに、己の心に。スサノヲを殺してでも宇宙に戻るという選択肢が生む罪悪感に勝てるだろうか。

 ※※※

 ――宇宙空港地上側施設内部

 宇宙空港とは地上側と宇宙側の2つの施設の総称。その地上側から宇宙側の施設への転移用の門を生成する巨大な中央ブロックへと侵入した伊佐凪竜一は、そのまま広大なフロアを数分歩き続けた末に一際大きな扉がそびえ立つ場所へと到達した。扉の向こうはハイドリが生成されるドーム状の空間。彼は労せずに目的地まで到着した事になるのだが……しかし此処までだった。

 入口の前にはスーツ姿の男達が控えている。言わずと知れたスサノヲだ。地球製の黒のスラックスに白シャツ、黒ベストを羽織り、ショルダホルダーを下げた5人の男達は伊佐凪竜一の姿を見るや、一切の躊躇いなく武器を実体化させた。

「待ってくれ、戦いに来た訳じゃない」

 私がその行動に違和感を覚えた直後、伊佐凪竜一の声がフロア全体に反響した。

 そう、本来ならば彼らは同じスサノヲ同士。戦わずに済めば越したことは無い。確かに黙って伊佐凪竜一を素通しすれば彼等の命は無い。現状で彼等が想定する最悪の可能性は宇宙に上げた伊佐凪竜一が守護者に捉えられた場合であり、そうなってしまえば生体認証を偽造した偽物か正真正銘の本物かなんて些末な問題、スサノヲの立場は劣悪極まりない程に悪化する。

 現状で取り得うる選択肢は極めて少ない。が、いずれにせよ両者は協力せねばならない筈だ。スサノヲならば守護者達が不穏な行動を取っている事実を知っているのに、なのに誰もが躊躇いなく武器を取り出すと射殺さんばかりの鋭い視線で仲間を睨み付ける。尋常ではない、それだけは確かだ。

「旗艦アマテラスに戻りたいだけなんだ!!」

 先程よりも大きな声が再びフロア全体に反響した。しかし睨みつける視線は彼の問いかけに何らの反応も返さない。その異様な雰囲気は映像越しでもはっきりと伝わる程に重い。

「事情は知っている。でも同じスサノヲどう……」

「誰が同じだァ!!」

 再三の問いかけに無言で答えたスサノヲ達だが、"同じ"という単語に露骨な怒りと不快感に顔を歪めると、声高に叫び、否定した。抑えきれない程に膨らんだ殺意が彼らの表情を歪める。怒り、憎み、侮蔑に支配された表情はおおよそ仲間に向けるモノではない。

 ……彼らは伊佐凪竜一の存在が疎ましいのだ。殺したい位に、死んで欲しい位に。

「俺達はお前がスサノヲになるのに反対だった!!」

「旗艦出身でも無いよそ者の分際でッ!!」

「俺達がどれだけ苦労したか知りもせず、同胞達が血反吐を吐きながらそれでも昇格が許されずに苦悩しているのに貴様はァ!!」

「世界を救ったと言うそれだけであっさりと俺達の頭上を越えやがって!!」

「俺達も最善を尽くした、なのに誰もがお前だけを誉めそやす。俺達は見向きもしないか、さもなくば無能と唾棄だきされる。お前、そんな俺達の気持ち考えた事あるか?無いだろ、だから俺達は側に付いたんだよ!!」

「お前、今防壁持ってないんだってなぁ?天命だ、そのまま裏切り者として死んでおけクソド田舎者がッ!!」

 そう言うや5人は何の躊躇いも無く且つての英雄に刃を向けた。刃と刃が激突する音が幾つも重なり、銃声が轟く度にフロア全体に反響し、揺るがす。

 人の意志は制御し辛い、そんな事は分かり切っていた。あの時、500年前もそうだ。だから鎖を作った。弱い意志を縛る鎖は多い方が良い、とうの昔に出した結論だ。

 だけど今その鎖は無く、且つて不信に駆られたスサノヲと同じ様に彼らは英雄を憎悪し、刃を向けた。伊佐凪竜一が居なければ助からなかった事実から目を逸らしながら。いや、その目はもう正気ではない。厳しい試験を通過しスサノヲへと昇った誰の目にも殺意がたぎり、歪み、濁った意志と共に刃を振り下ろす。

 死に物狂いでその座を手にしたスサノヲ達が殺意に駆られる光景は500年前のあの時と全く変わらない。

 人は同じ過ちを繰り返す。

 神が退く前まではこんな事態は一度しか起こさず、鎖で縛って以降は二度と起こさなかったのに……神が退き、鎖から解放された僅か半年後にこのザマだ。鎖から解放された彼らは容易く暴走した。

 人が神から解放されるにはまだ早かったのだろうか?まだ人には神という揺り籠が必要なのだろうか?鎖で雁字搦がんじがらめにしなければ暴走を許してしまう程に弱いのだろうか。

「このまま見ているおつもりですか?」

 ふと、隣からしゃがれた老人の声が聞こえた。私が驚き振り向けばいつの間にやらN-10が背後に立っていた。驚かせないで欲しい、私はそう訴えたが彼はどこ吹く風と言った様子だ。

「宜しければ私がお手伝いしましょうか?」

 驚いた。彼がそんな提案をするとは思いもしなかった。というよりも、もしやそうする為に態々ファイヤーウッドからここに来たのだろうか。だが、これは旗艦アマテラスでも無ければファイヤーウッドでも無い、地球の問題なのだ。私に許可を求めるのはお門違いだし、何よりそれは私達監視者に定められたルールに反する。

「でもA-24カレには無理でしょう?そして貴女は未だに主の言葉に縛られている」

 N-10は私の説得など聞く耳持たず、完全に無視すると一方的に自分の主張を述べる。しかしそれでも私は諦めない。
縛られるとはどういう意味だ、そんな事は無い、寧ろアナタ達が間違っているのだ。そうだ、私は間違っていないと……そう強く主張すると彼はほんの少しだけ悲しげな表情を浮かべた。

 だが、それは私の神経を逆撫でした。その顔色に私への哀れみを感じたからだ。

「怒らないで頂きたい。しかしもし貴女が動かないとして、このまま状況を静観すれば確実に旗艦も、地球も、それ以外も滅ぶでしょう。それは主の願いでは無い、違いますか?……今の貴女に答えを出す事は難しい様だ。では私は失礼しますよ」

 彼はそう言うと何処かへと向かい、私はそんな彼の背中を黙って見送った。仕方がないじゃないか。コレは私の役目だし、私達の役目じゃないかと、私はそう強く思い込んだ。

「私は……卑怯だ」

 気が付けば私は絞り出すようにそんな言葉を呟いており、同時に自らが発した言葉に驚いた。どうしてそんな言葉が口を突いたのだろうか私はどうしたいのだろうか。

 自分が正しいと信じるならば、ならばどうして今の私はこんなにも混乱しているのだろうか。私はどうしてしまったのだろうか。だがそんなどうでも良い事に思考を逸らす暇は無い。映像の向こう羽田宇宙空港内での戦いは、ほんの僅かの間に状況を大きく悪化させた。

 私の目の前に突きつけられたのは、残酷な現実。
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