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第5章 聞こえるほど近く、触れないほど遠い

148話 ディオスクロイ教 其の1

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 続きを話す前に、そう前置きした総帥はカップに紅茶を注いだ。アンティーク調のテーブルを挟む2人の前に小さな湯気が立ち昇る。

「では続きを聞こう。ヤハタ坊やはどうなったのかね?」

「先ず、彼はタナトスと接触し協力した振りをして情報を引き出したらスサノヲに流す、最初から旗艦を混乱させるつもりは無かったと弁明しましたが、裏付ける証拠は見つかりませんでした。本来ならば重罪で黄泉に長期間拘束される筈。ですが、、司法局は彼の行動に悪意はないという理由で全財産没収と個人所有の全権利剥奪、判決以後から10年の無給奉仕活動、そして処分に関する情報の秘匿を命じました」

「罪状から判断しても明らかに軽すぎるね」

「司法局側の言い分は"改革の旗手として若年層から大きな支持を得るヤハタが事件の元凶と露見すれば、若年層を纏める人間が居なくなる"でした。私も関宗太郎も総帥と同じ考えでしたが、司法局の言い分も分からない訳ではないと最終的に判断を尊重すると返答を出しました」

「そうかい。まぁ、その是非は何れアマツミカボシが決めるじゃろう。それで?」

「彼がタナトスから受け取った情報は出鱈目との事でしたが、それでも無関係とは思えない情報を幾つか確認しています。"太陽神アマテラスオオカミの完全封印"、"銀河の果てに逃れた月神ツクヨミの奪取"、"旗艦の壊滅"、"新たな神による支配体制の確立"、"次の計画発動にはまだ時間を要する"。これらの断片的な情報が今のところ残された手掛かりですが、全ての真偽が不明で確かめようもありません。地球と旗艦の神はいまだ健在、旗艦も壊滅していない、今日起こった騒動が"次の計画"だとするならば時間が掛かるというのも嘘になりますが、取り分けこの中で不明なのが"新たな神による支配体制"で、この神が誰を指すのか分からない有様です」

 長々とした話を聞き終えた総帥はカップに口を近づけた。

「現状で神と呼べる者はそう多くはない。フォルトゥナ=デウス・マキナ、それから我がザルヴァートル一族もそう呼ばれているね」

 そう。"神"と聞けば大抵その二つとアマテラスオオカミを思い浮かべる人間は多い。後は特定の宗教における最高神とか唯一神、ソレに半年前の神魔戦役以後はツクヨミも加わる。しかしこのドコにも含まれない、私達監視者だけが知っている"神"も存在する。あの方も、我らが主もまた神と呼ばれる。果たして神とはその何れを指すのか、はたまたそのどれでもないのか……

「財団に近づいたのもそれが目的なのでしょうか?」

「現状では何とも。だが、まぁ少なくとも私達では無いだろう。担ぎ上げるならばもう少し露骨な勧誘があって然るべきだ。となると……」

「フォルトゥナ=デウス・マキナですか?確かに現状を見れば実質連合を支配しているに等しいですが」

「確かに現状を見れば現人神たるデウス家当主がお一人で連合を支えておるが、ならばこんな面倒な真似をせずとも支配体制など幾らでも確立出来よう。となればソレとは別の何か、という事になるかの」

 2人は其処まで話を進めると黙り込んでしまった。選択肢は少ないが手掛かりが無さすぎて、"神の支配"という言葉の真意には到底辿り着けない。ルミナもアクィラ総帥も黙り込んだ後はまるで示し合わせたかの様にテーブルの紅茶を口に含んだ。空のカップがソーサーに触れる小さな音が立て続けに2つ鳴った。

「もう一つ」

 空のカップを置いたルミナは思い立ったかのようにそう続けた。

「それは?」

「ディオスクロイ教」

 その名を聞くや総帥の目の色が変わった。

「ソレは……名前程度しか知らぬが、確か新興宗教の一つだったか?」

「はい。何時とも知れぬ内に誕生し、そして何時の間にかその勢力を拡大させた……由来不明の神を信仰する宗派です」

「由来不明の神か。これでも方々を巡り知見を得たつもりでいたが、しかしそんな名前の宗教は聞いた事が無い。ならば旗艦の神という絶対的支柱を失った民が新たに生んだ拠り所と考えるのが普通か。しかし……普通ならば、な」

 話を聞くに連れ総帥の目に鋭さが増す。由来も素性も不明の新興宗教が半年前のゴタゴタに乗じて勢力を拡大させていると聞けば、誰だって怪しむ。だが彼女達は知らない。同名の宗教が地球にも根を張っているという事実を。旗艦を巡る情報の全ては守護者達の思いのままに操作されているからだ。

「やはりそう思われますか?」

「ヤハタ坊やが聞いたという"新たな神"という単語が無ければ私も無視しただろうね。その新興宗教については何処までわかっているのかね?」

「現状では大した動きはありません。"正しき祈りに答え、神は愚かな人々を救う為に現世に降臨する"という漠然とした教えを信じ、祈っているだけのようです。しかもそれ以外は非常に緩く、例えば祈り方に時間も回数も形式も決まっていないみたいです」

「新興宗教にありがちな違法行為は?」

「強引な勧誘も監禁や資産の強制徴収等の犯歴も一切なく、全くクリーンでした。旗艦法に違反しない以上、彼らの存在は許されます」

「司祭の様に誰か仕切っておるのか?」

「調査では判明しませんでした。信者の話を総合すると、黒いローブを着た老女であるとか柔和で優しい女性だとか言われているそうですが、一方で誰もその顔を見た事は無いそうです。ですが名前だけは判明しています。リコリス=ラジアータ。但しこの名前は偽名です。その様な人物が旗艦にいる、ないし来艦したと言う情報は一切確認出来ませんでした」

「そうか……その教え、危険だと思うがどうかね?」

「危険、ですか?」

 ルミナはアクィラ=ザルヴァートルの言葉に戸惑い、口をつぐんだ。彼女が語った情報に偽りが無い事は報告書を見た私も知っている。

 由来不明の神を信仰するディオスクロイ教に限らず、世界が不安定になれば心の安定を願い神に縋る者が増えるのは何処にでも見られる光景であり何も異常はない。人が単独で成し得る事には当然ながら限界がある。それが世界の安定となれば尚の事で、何の力も無い人間はただ祈るしか出来ない。そう言った心情に(悪く言えば)付け込む形で各宗教はその勢力を拡大させてきた。コレも又、自然の流れであり何も異常はない。

 だから私もルミナも、アクィラ=ザルヴァートルが何を持って危険とするのか理解出来ないでいた。

「要はね、一度は否定した神をもう一度信仰しようと考え始めているのだよ。神は自らが管理する世界が歪だと考えその身を引いて、民も一度はその考えを受け入れ神からの自立を試みた。しかし現実はどうか?民は再び人知を超えた何かに縋り始めようとしている」

「それは……アマテラスオオカミの考えと私達の行動が否定されるという事でしょうか?」

「私の見立てではディオスクロイ教とやら、その土壌を作っている様に見える。神の懺悔を聞き、貴女達の行動を見た事で人の中に芽生えた強さを刈り取り、代わりに弱さを与える。弱くても良い、弱い事を肯定する場所と考え方。それは間違ってはいないが、しかしとても歪だ。自ら考え行動するのは困難で勇気がいるが、楽な道を提案されれば人は簡単にそちらに転げ落ちる。世の常じゃよ」

 冷静に、淡々とアクィラ総帥は自らの考えを述べた。再びカップがソーサーとぶつかる子気味良い音が重なり響いた。
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