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第5章 聞こえるほど近く、触れないほど遠い

153話 永遠の別れ 其の2

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 入口とは逆方向から聞こえる呻き声にルミナの意識は否応なく向かう。視線の先、腹部から血を流すアクィラ総帥の姿を確認した彼女は踵を返し傍に駆け寄った。周囲には夥しい血が流れ落ち、高価な絨毯を真っ赤に染めている。辛うじて息はあるようだが、その傷は致命的だ。

「しっかりしてッ!!」

「こ、ここまで愚かとは、人を導く……難しい……」

「喋らないで、傷が開く!!今レスキューを!!」

「良い……」

 助けを呼ぶ孫の手を祖母は制止した。自らの死期を悟った彼女は今際の際に、助かるよりも孫と語らう事を選んだ。祖母を抱き上げるルミナも意図を察し、臍を噛みながら祖母を見つめる。

「最後に……聞かせておく……アンタに、信頼……きる誰かは、いるか……い?」

 ルミナはその質問に即答で頷いた。

「そう……尊い宝……大事にしなさ……」

「お願いです、もう喋らないで!!」

「よく……聞きなさい、この先に起こ……何か……に、貴女は確実に……巻き込ま……生きて……いい……分に生きた……それに、これでも……幸せ……なん……」

「どこがッ!!」

「アノ子が死んだと……ただただ悲し、親よりも……死ぬ……夫……は気丈……振る舞ったが、2人きりに……互いに大泣き…………が死んで、孫……私を置いていくと思ったら……心が耐えら……あぁもう……済まない、あの子と……ゴメン……」

 死力を振り絞り、孫に心の内を語った総帥は謝罪の言葉を最後に事切れた。彼女はその場に呆然とするしかなかった、血塗れの老婆を抱えたまま動かない、動けない。

「誰かが来る。恐らくセラフか守護天使だ。証拠の銃を持ってイれば無罪を勝ち取ること自体は問題なイだろうが、しかしあの妙な自信が気になる」

 タケルは項垂れる背中にそう声を掛けた。ファルサ達を追いかける予定でいたタケルだったが、何らの連絡さえしていないのにこの場に向かう反応を確認したが故にこの場に留まった。それは正しい選択肢だ。現状で最優先すべきは、漸く心を通わせた祖母を目の前で失ったルミナを守る事。今の彼女に戦えと言うのは余りに酷だ。

「あぁ」

「大丈夫か?」

「大丈夫だ、今そんな余裕は無い」

「そうか。さぁ急ごう」

 タケルはルミナに立ち上がるよう促す。だが彼は気付かない、最愛の肉親と再び離別する事となったルミナが心にどれだけの傷を負ったのか。いや、彼だけでは無く私も理解出来ない。その悲痛な表情を見ればとても立ち上がれそうにない程の痛みを負った事は理解できる。

 だけど、私もタケルもそう言った感情にはまだ疎い。悲痛な思いでその様子を眺める私の中に、"伊佐凪竜一が傍にいれば彼女を救えたのに"という思いが浮かんだ。少なくともそう思える位には彼女は大きな傷を負っている。タケルの言葉に"ちがうよ"と、誰にも聞き取れないか細い反応を返すしか出来ない状況からも明らかだ。最悪、もう立ち上がれないかも知れないという予感が私の中に生まれた。恐らく傍にいるタケルは肌で感じ取っているだろう。

「「いたぞッ!!」」

 立ち止まり、動けない間にも遠くで微かに聞こえていたドタドタと乱暴に床を踏み鳴らす音はどんどんと近づき、遂に目の前に現れてしまった。が、声と共に飛び込んで来たのは……何と数名のヤタガラスと守護者達だった。何らかの理由でホテルに常駐していたのかも知れないけど、幾ら何でも早すぎる。

 今そんな状況を気にしている場合ではないが、部屋に雪崩れ込んで来たヤタガラス達の驚き戸惑う様子に反し、守護者達の余りの冷静さが違和感に拍車を掛ける。

「ともかく今は連らグアッ!!」

 目の前の光景は膨らむ違和感を瞬く間に押しのけた。ヤタガラス達が応援を呼び始めた直後、守護者達は力づくでソレを止めた。背後から不意打ちを喰らった彼等はあっさりと昏倒した。

「お前等、一体……」

「勝手な真似をするな、旗艦における全権限は我々守護者にもある。勿論、捜査権もだ」

「そんな横ぼぐあッ!!」

 必死で食い下がるヤタガラス達に対し守護者は容赦なく追撃を加えた。渾身の一撃を腹部と顔面に貰った彼等は呆気なく意識を手放す。

「漸く落ち着いて話が出来るな。さて、幾ら英雄とは言えこの状況じゃあ言い逃れ出来ないよなぁ?」

「待て、総帥を殺めたのは俺達では無イ。財閥一族の後継者の内の3人だ。名前も控えてイるし殺害に使用した銃から証拠の指紋や皮膚片が検出される筈だ」

 元より公平に接するなど微塵も期待できない守護者達が懐疑の視線に対し、タケルはそう指摘した。守護者達は冷めた視線で銃を見下ろし……

「アレか?」

「そうだ」

「そうか、それが証拠なのか?」

 軽い問答の末に懐から銃を取り出すと、無造作に床に投げ捨てられたソレ目掛け引き金を引いた。パァンと軽い音が部屋中に響き、彼女を無罪に導く証拠が粉々に砕け散った。

 周囲に無数の破片がばら撒かれるその様子は、希望が無残に打ち砕かれた状況と重なる。動けない、2人とも動けなかった。ルミナは肉親の死で、タケルはソレを目撃する事態に陥ったルミナに意識が向いていたが故に想定外の行動への対応が僅かに遅れた。

「なっ!!」

 守護者の突飛な行動にタケルは驚きを隠さなかったが、次の瞬間には彼等を敵と認識し臨戦態勢を取った。瞳と心が不条理への怒りに染まっている。

「つまりこう言う事だよ。後は分かるよな?」

「逃げようなんて思うなよ?万が一逃げちまえば捕まえる為にこの状況を連合中に広めなければならん。そうなっちまえば、なぁ?悪いようにせんから大人しくしてお……」

 ニヤけながらルミナとタケルを見下す守護者達だったが、しかし最後まで言葉を言い終える前に吹き飛ばされた。タケルが再び驚き視線を向けるその先には、守護者の片割れを殴り飛ばした勢いのまま軽く跳躍しながらクルリと一回転、もう片方を回し蹴りで廊下まで蹴り飛ばしたルミナの姿があった。

 激しい衝撃と共に守護者達は壁にめり込み、そのまま力なく床に崩れ落ちた。私は揺らめく銀色の長いポニーテールの奥に見える彼女の目を見た。守護者を蹴り飛ばし着地したルミナの目は、ゾッとするほどに冷静だった。

 彼女は淀みなく次の行動を起こす。着地と同時に銃を実体化させ、執務室の巨大な窓ガラスに向け引き金を引いた。連合最重要クラスの人物が宿泊する部屋の窓ガラスとなれば、セキュリティ対策の一環として強固な防壁が展開されているのだが、彼女が放った銃弾は防壁諸共に強化ガラスを容易く破壊した。

 大きな破裂音と共に部屋の内外を隔てる窓に大きな穴が空くと、彼女はゆっくりとそこに向けて歩き始める。

「こうなっては致し方ない、しかしッ!!」

 有無を言わさず逃げるという彼女の行動の意図を察したタケルはクナドを器用に展開、銃の破片を拾い集めたが、不意にルミナが呟いた"ありがとう"という言葉にその行動を中断させられた。私も聞いた。聞いて、胸が締め付けられた。その声には全く抑揚が無かったからだ。彼がその口調に声の方向を見つめれば、その視線の先には事切れた祖母を呆然と見つめるルミナの姿があった。

 破壊された窓から風が吹き込んでくると彼女の長い銀髪がサラサラと揺れ動いた。その様子はとても美しい光景だったが、しかし同時にとても儚く見えた。まるで風に揺れる髪の様に彼女の存在もサラサラと消えてしまうような、そんな風に見えた。

「急ごう、直に守護者達がココへ大挙して押し寄せてくる。既にこの周囲も包囲されているようだ。この様子から考えれば恐らく……」

 タケルはそう言うとルミナに先駆け窓から勢いよく飛び出し……

「これも全部計画なのか」

 ルミナはそう呟きながら闇の中へと跳躍した。直後、彼女の背後から守護者達が入れ違う形で部屋に雪崩れ込んで来た。が、運が良いとは言い難い。高層から着地した彼女達を出迎えるのは大勢の守護者達と、更に野次馬目的の人だかり。誰が呼んだのか知れないが、余りにも用意周到だ。

 厄介極まりない。無根拠な予測、曖昧な事実は、目の前の光景がセンセーショナルであればあるほど残酷なまでに人を追い詰める。半年前の地球でも似たような事があったらしいが、恐らく同じ現象が旗艦ココでも起きる。

 例え直接殺害した現場を見られた訳ではないとしても、例え無実だとしても、ルミナの行動に根拠も証拠もない尾ひれがつく事は想像に難くない。恐らく、夜が明けきる頃にはザルヴァートル財団総帥殺害の犯人に仕立て上げられる。

「逃げたぞ、追えッ!!」

「あーあ、逃げちまったなぁ!!これで英雄様の威光も完璧に地に落ちた。さて、次は……」

 夜の闇に消えゆくルミナに守護者達はそんな言葉を送った。何もかもが何者かの掌の上。神魔戦役と呼ばれたあの時と同じかそれ以上の絶望が世界を覆い始める。
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