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第7章 平穏は遥か遠く

242話 接触 其の2

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「我々は貴方と話がしたいだけと、そう申した筈ですよ」

 仲間を呼ばれる。そう悟り、背を向ける伊佐凪竜一は背後から制止する声に驚き足を止めた。

「遅れて済まない」

 が、次の瞬間にもう一度驚かされる。ほんの僅か意識を眼前から逸らした刹那、彼の前方に男が立っていた。まるで逃走を阻止するかの如く立ちはだかる男はセラフの頂点、ミカエル。時間が惜しいと、そう前置きした男は困惑する伊佐凪竜一を他所に一方的に語り始める。

「挨拶抜きで本題に入らせて貰う。新総帥の命を受けた我らセラフは君を捉える為に動いている訳だが、全員がその指示に疑問を持っている。更に言えば新総帥決定に至る全過程にも、だ。君も既にその結論に至っているだろうが、明日執り行われる"婚姻の儀"で何かが起ころうとしている。何が起こるか分からないが、ココまで強引に事を進めるのならば碌でも無い可能性は十分にあり得る。だから知りたいのだ、君が信用に足る人間か、ルミナ=AZ1を支えるに相応しい人間か、この事態を治めるに足る精神と力を持つ人間か。無論、拒否しても構わない。但しその時は全力で君を捕縛させて頂く」

 驚いた。ザルヴァートル財団により創造されたミカエル達は主たる財団総帥の意向に反した行動を取ろうとしているどころか、敵である伊佐凪竜一と手を組もうと持ち掛けた。

 こんな事態、恐らく今まで一度として無かっただろう。その言動から事態の深刻さと、それ以上に新総帥への露骨な不信と危機感が浮かび上がる。同時、成程と納得した。伊佐凪竜一の捕縛に動き出した真の理由は、彼と独自に接触して協力を仰ぐ為だった。

「君には二つの選択がある。我らを信じ協力するか、さもなくば……」

「分かった」

 ミカエルの語りを遮る様に伊佐凪竜一は即答した。目的を共にするならば争う理由は無いと、その目に宿る強い決意の輝きは雄弁には語る。

「驚いた。随分と決断が早い」

「信じようと決めただけだ」

「感謝します。しかし失礼を承知で申し上げますが、無謀か無知ではないでしょうか?」

 が、余りにも早い決断にガブリエルの目は濁る。その目は彼とは対照的で、現状を覆し得る伊佐凪竜一の態度への不信が隠し切れない。

「その気ならとっくに捕まえていただろ?この位の判断なら誰でも出来るさ」

「その認識は正しい。己惚れる訳ではないが、我らが全力を出せば君の捕縛は可能だ。しかしもう片方の認識は間違っている。どうやら君は己以外への評価が甘いようだ」

 ミカエルもまた水を差す。しかし彼が反応したのは伊佐凪竜一の発した"誰でも"という一言。

「残念だが合理的、理知的、そして冷静に物事を判断できる人間は多くはない。誰もが自らの信じたい物事を信じ、その為にあらゆる情報を自らに都合よく捉える。いわゆる偏見や先入観で、君を苦境に貶める原因だ。今、大多数の人間が何者かが巧妙にばら撒いた偽の情報の洪水に呑まれ、正常な判断力を失い、騙され、流される。自らが直接見た訳でも無いのに、良いように踊らされている。嘆かわしいが、しかしコレが現状なのだ」

 ミカエルの言葉に傍と気付いた伊佐凪竜一は反論を飲み込む。ここ数日で旗艦アマテラスと地球の情勢、何より英雄である伊佐凪竜一とルミナへの評価が劇的に変化する様を彼は確かに目撃していた。

 僅か半年前の出来事は既に遠い記憶の彼方とばかりに忘れ去られ、今や憎悪と侮蔑でもってその評価は塗り潰された。英雄の人となりを知っている訳では無いのに、今2人の置かれた苦境を直接見た訳では無いのに、報道され、あるいは人づてに聞かされた情報を真実と誤認した人々は英雄を唾棄し、憎む。かつての戦いを命懸けで止めたと言う事実などもはや存在しない、ただ血に塗れ罪に塗れ、夥しい死骸の上に立つ悪鬼として認識されてしまった。

 否定的な意見は最初こそ少なかった。だが歪曲された情報が絶えず報道された結果、人はそれを真実だと思い込んでしまった。もしかしたらそうかも知れない、そんな疑心暗鬼は日を追うごとに膨れ上がり、そして何も変わらない現状が人の中に蠢く闇を焚きつける。

 ――何も変わらないのは英雄が足を引っ張っているからだと、そんな荒唐無稽な噂が流れ始めた。

 そこから先は瞬く間だった。賛成反対、否定肯定、様々な意見はやがて殊更に大きな声に集約され始めた。その様はまるで餌に群がる蟻の如く、誰も止めようがなかった。しかし、伊佐凪竜一はそれでも迷いを見せない。

「間違うなんて誰にでもある」

 熟考の末、彼は頭一つ分ほど高いミカエルを見上げながらそう語った。追い詰められ、否定されても、それでも彼は誰も責めない。ソレは明確な意志、戦うべき者を間違えないという決意。

「そうか。どうやら君は信ずるに値する人物のようだ。実は、君は自発的に此処へ来たと思っているだろうがそれは私の意向だ。君の行動を追いかけるのは極めて困難で、此処まで時間が掛かってしまったがね。だがその甲斐はあった、君と接触できたのは最大の幸運だ」

 その言葉に伊佐凪竜一は驚き、私は酷く納得した。施設を案内する式守の僅かな異変、放置されたミスなど確かに施設の様子が少しおかしかったが、ミカエルの意を汲んだガブリエルが介入した結果だとすれば納得がいく。

「物事の真偽を見極めることは難しい。誰かに操られる、あるいは誘導されている可能性もある。現況が正しくそうだ。誰かが何かの目的で人々を一方向に誘導し、一方で誘導されない君の様な人間を排除しようとする。実に嘆かわしいが、我がザルヴァートル財団も一枚噛んでいるようだ」

「疑問を持つって言ったのはそう言う理由なのか?」

「恐らく総帥が殺害された理由も明日起こるであろう何かの邪魔になると判断したからに違いない。あの方がご存命ならば君達の行動を強く後押した確信が私にはある」

「だけどその総帥を殺害したのはルミナだって言っただろう?」

「実は、誰もその現場を目撃していないのだ。確かに彼女は武器を携行しており、総帥のご命令で取り上げもしなかった。それ故にルミナがアクィラ総帥を殺害したとの情報が疑いようの無い事実として拡散されてしまった。まさか総帥のご厚意がお孫さんを窮地に追い詰めることになるとは……無念だよ」

 総帥の殺害を止められなかったミカエルは"無念"と話を締め括ると暫し静寂に身を委ねた。無表情な鉄面皮には僅かではあるが苦悶に歪んでおり、抑えきれず溢れる感情が表出するその様子にはセラフのアクィラ=ザルヴァートルへの評価と、そんな彼女を救えなかった心中を如実に物語る。

「しかし状況がどうであれ、我々は別の人間に疑いを、具体的には副総帥フェルムが殺害したと考えております。総帥と副総帥のご命令は絶対でして、当時あの男は込み入った話をすると言う理由でセラフの介入を禁止しました。状況証拠でしかありませんが、恐らく間違いないでしょう」

「しかし、一方で確たる証拠は何もないのだ。旗艦アマテラスを管轄するヤタガラスと、実効支配する守護者が口を揃えて"ルミナ=AZ1が犯人"と証言する以上、その事実を覆せない我らに従う以外の選択肢は無い」

「ですが我々には自由意志が与えらえれています。自らで考え、状況を判断し、行動する権利。今、我々は暫定新総帥の指示を受けつつも自由意志を用いて独自に動いています」

「大丈夫なのか?」

「今のところは、とだけ言っておこう」

「つまり、何れは敵に回ると言う事か?」

「スサノヲに"鎖"が有る様に、我らにもその行動を縛る"神託"という枷が存在する。情けない話ではあるが、新総帥の性格から判断すれば遠からず発動されるだろう」

 セラフと伊佐凪竜一の会話を通し、あの夜の状況とセラフの置かれた状況がほんの僅かだけ明らかとなる。

 アクィラ総帥を殺害した新総帥は、同時にセラフを何らかの形で縛る神託の使用権も手に入れた。何の躊躇いも無くルミナに罪を擦りつける悪辣な性格からすれば、どのような形で使用されるか分かったものではない。だから伊佐凪竜一に接触、現状を伝え協力関係を結んだ。鉄面皮の下に隠れているが、セラフ達も相当に切羽詰まっているようだ。
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