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第8章 運命の時 呪いの儀式

300話 儀 其の3

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『オリンピア大聖堂で待つ』

 空に、男の声が響いた。

 伊佐凪竜一の声だった。大聖堂を周回する大雷は地上に彼の声を響けると、機体前面に赤い光を作り出した。連合内で唯一単独の超長距離転移機能を持つ機体はその機能を十全に使い、転移用の赤い門を生成すると瞬く間に旗艦アマテラスから消え去った。向かう先は言葉通りフタゴミカボシ。

 見失って以降の動きを知る事が出来なかったのだが、まさか大雷を奪うと言う大胆な真似に出るとは想像出来なかった。アイアースらしからぬ愚策により特区警備を含めた大半の戦力が大聖堂に集中していたので難しい話では無かっただろうが、それでもよく奪えたものだと感心した。

「伊佐凪竜一ィ!!良い度胸だッ!!」

 オレステスが上空に咆えた。上空からの声を掻き消さんばかりの怒声には殺意が隠し切れない。儀の主役が儀式用の機体を奪われたというのだから面子は丸潰れ、怒るのも無理はない。が、真に怒る理由は僅か一時とは言え儀を中断させられたという点。儀の成立なしに夫婦にはなれず、夫婦でなければ姫を殺せない。

 同時、大聖堂を取り巻く熱気が急激に上昇した。オレステスに共鳴するかの如く、守護者達の顔に、声に、表情に、殺気がみなぎる。最終的な目的を知っているのか、知らないのか、姫の死が遠のいたからか、それとも単に儀を邪魔されたからか。

 程なく、大聖堂に出現した巨大な灰色の輝きからオレステス専用の黒雷が出現した。男は足早に自機へと向かい、姫を抱きかかえながら操縦席へと乗り込んだ。本来ならば茶化す声が聞こえる一幕だが、生憎と最悪の形で堕ちた英雄が出現してしまったのだからそんな空気はない。

 張り詰めた空気は笑顔も、心の余裕も奪う。やがて操縦席の扉が閉まると黒雷は静かに浮き上がり、夫婦となる2人を乗せ主星へと旅立った。守護者達は全員が直立不動で黒雷を見送る。オレステスの願望成就を、姫と英雄の死を願い。

「ハハッ、来やがった。じゃあ俺ぁ行くぜ」

 また1人、別の男の声を拾った。聞きたくもない声の主は伊佐凪竜一の殺害に燃える山県大地だ。声は、大聖堂からほど外れた位置に配備された黒雷によく似た機体から聞こえた。無骨で直線的な黒雷とは同じだが、例えるなら豪奢な鎧を纏った人と表現するのが一番適切に見える、そんな機体だ。勝つ為には手段を選ばない山県大地と黒雷が向かう先も間違いなくフタゴミカボシだ。

「お、おい。待て、俺は許可した覚えは無いぞ!!」

「俺こそお前の許可を取らねぇと行けないなんてルール、覚えがないんだがな」

「じゃあ私も!!」

 別の黒雷から、同行を申し出る柔らかな女の声がした。

「せめて君だけでも我々と共に此方に残って頂きたいのですが。流石に2人も抜けてしまえばあそこで顔を真っ赤にする総代の頭の血管が切れてしまいます」

「でも!!」

「黙って言う事聞け」

「……分かった」

「では決まりですね。申請は私の方から出しておきましたから、何時でも出発出来ますよ」

「じゃあ、行ってくるぜ」

 幾つもの聞き慣れた声が映像を彩る。ある声は山県大地の独断を否定し、ある声はついていこうと言い出し、また別の声は淡々と転移準備を進める。声の主は山県令子に、後はアルゲースとステロペースだったか。程なく、旗艦側の転移制御システムに割り込みが発生、山県大地を乗せた黒雷は颯爽と赤い光の中に消え去った。

 その光景に守護者達がざわつく。"誰が移動したんだ?"。"勝手真似をしたのは誰た"。漏れ出る至極真っ当な愚痴の数々が、山県大地の行動が想定外と雄弁に語る。が、アイアースだけはこの状況にただ溜息を漏らすばかりで微塵も動じない。あの行動は織り込み済み、という事か。

 だとするならば、この不可解な状況も織り込み済みだというのか。山県大地の独断も、ひいては伊佐凪竜一の大雷強奪も、全ては何かの為に仕組んでいたのか。それならば、戦力の大半を大聖堂に集中させるという奇妙な状況も意図的という事になる。だが、何故?

「ドイツもコイツも……タナトスが居ないとなると直ぐに暴走する。軍紀を何だと思っているんだ!!」

「別に我々は軍ではありませんし……と、それはともかくタナトス不在をどう凌ぐかですが」

「誰が居ないって?」

 刹那、身体が硬直した。またしても聞き慣れた声がアルゲースとステロペースの会話に割り込んだ。女の台詞に、声に、大の男2人が仲良く素っ頓狂な声を上げながら声の方角を見つめ、次に目を丸くした。男達が見つめる先は僅か前に山県大地の搭乗する黒雷型の機体が消えた辺り。その場所に、灰色の残光を纏いながら立つ黒い影を見た2人の男は唖然呆然と見入る。だが、それ以上に私が呆然とした。自然と、口が心中の混乱を吐き出す。有り得ない。

「「えっ?」」

「そんな、アノ時と同じ……」

「い、いや。ど、何処に居られたのです?リコリス司教?」

 女がいた。ステロペースが驚き尋ねる視線の先には黒い妖艶なドレスを身に纏った、目元を隠す仮面を被った、昨日深夜に死んだ筈の女、リコリス=ラジアータが立っていた。姿も、声も昨日のあの時と変わらない。双子?あるいは……混乱しながらも私は生体認証IDを確認した。が、空振りに終わった。全くの空白。つまり、認証上この女は旗艦に存在しない幽霊のごとき存在という事になる。

 本人か、別人か。いや、こんな事を考えるのは異常だ。本来ならば迷いなど生まれる筈がない。あの女は死んだ。映像ではっきりと見た。しかしこの話し方に声質、嫌らしい雰囲気のどれを切り取っても昨日大聖堂で死んだあの女と重なる。

「フフッ。そんな昔の事は忘れたわ」

「い、いやしかしッ……申し訳ありません!!」

「ウンウン、アルゲースは素直ね。ところでの予定はどうなってる?」

「は、はい。実行予定のプラン2つ、共に見送りました。タイミングは追って知らせるとの事でしたが、あれからご連絡が無く……しかし、準備は整えています」

「ありがとうステロペース、それでいいわ」

「承知しました。あの、それで……」

「止しましょう、アルゲース。女性には秘密が多い方が良い、だそうですよ?」

「ウンウン、アナタは女心がよく分かっているわね。でも何でモテないのかしら?」

「女心を理解してモテるというならば、世の半分が心理学者で埋め尽くされていますよ」

「ウフフッ、言い得て妙ね。さぁ皆、準備なさい。もうすぐ最後の幕が開くわよ」

 リコリスはこんな事態なのに全く動じず、飄々ひょうひょうと男達に指示を出す。その言動や声色は間違いなくリコリス本人だが、そんな事有り得るのか。確かに恐怖と嫌悪感からめを覆ってしまい、直接死ぬ瞬間を目撃した訳では無いが、あの状況から生き延びる事など誰も出来ない。

「ヤツめ。伊佐凪竜一と戦うつもりだな。全く、そう言う事は他に任せておけばいいだろうに。後顧の憂いは己で断っておきたいのか、それとも……」

 呆れたような顔で赤い光の先に消えたオレステスを見送ったアイアースは、その視線をリコリスへと移した。

「フフッ、そんな目で見ないでよ?じゃあ私達も準備しましょうか」

「その意見には賛成だよ、もう片方がまだ姿を見せていないからな。ところでリコリス、どうして昨日連絡を……」

 アイアースはそう切り出した。昨日の件、この男は知らないのか?そう言えばアルゲースとステロペースもこの女の最期について何も知らなかった。一体、何がどうなっているのだ。リコリスが伊佐凪竜一と接触、逃げるようそそのかすまでは計画の1つで間違いない。なのにその行動の最期を誰も知らないのは何故?そもそも、なんであの女は死ななければならなかったのだ。計画を主導する1人を殺す理由がどこにある?しかも全く意味の無い状況で、だ。

 何か、チグハグな気がする。緻密な計画の中に、杜撰さが同居しているという矛盾。更に一番理解不能なのは、杜撰な計画の犠牲に計画の中心である守護者達自身も巻き込まれている点だ。一連の出鱈目な状況は、まるで精緻に組み上げた積み木を誰かが無邪気に壊している風に見える。

「……来ましたッ!!出鱈目な速度で此方へ向かってくる反応を確認!!」

「チッ、早いな。話は後だ」

 不審な状況を問うアイアースの言葉は、しかし守護者の怒声に中断された。否応なく、意識が向かう。言葉の先、大勢の視線を集める中心に。大聖堂前に飛び込んで来た1人の女に。
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