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第二十九話 割り切れない気持ち 〜sideアルト〜
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フロー公爵令嬢に婚約破棄を告げてから数日後、予想通りにジェネヤード帝国との戦争が始まった。
王国と帝国の戦力差は大きい。騎士団が帝国との国境地帯に出張って頑張っているらしいが、勝てるかどうか、僕にはわからない。
我が侯爵家にできることは少ない。せいぜい、攻め込まれないように最大限守りを固め、じっと耐え続けるだけだ。
戦争はどれほど長引くのだろう。もちろん悪いのは隣国と密通していたフロー公爵令嬢ではあるが、僕にも大きな責任はあるので胸が苦しくなる。
どうにかならないのだろうか。そう思って行動を起こすことも考えてみるが、僕には力不足過ぎた。
そんな状況の中でチラチラと頭に浮かんでしまうのは、エメリィ・アロッタの顔。
(未練がましい僕は、こんな時でさえ彼女のことを考えてしまうのか)と自分を責め立てても何も変わらない。
僕とはもう無関係な人間のはずだ。心配する必要がない。それはわかっているのに、どうしても気になってしまう。
特にアロッタ公爵の訃報を受けた時はひどかった。
一人きりになったであろう彼女を迎えに行こうとしている自分に気づき、唖然とした。
彼女は未亡人だ。そんな女性とたった一人で会おうとしているだなんて、どうかしている。
きっとこの戦争のせいだ、なんて言い訳をしたいけれど、これが僕の本心であることなんてわかり切っていた。
みっともなさ過ぎて反吐が出る。どうしたらいいのかわからなかった。
だから僕は彼女が訪れた時、素直に喜ぶことができずにいた。
銀髪に菫色の瞳。以前の夜会の時より少し疲労の色が見えるがそれでもなお損なわれない美しさを誇る少女――否、女性。
エメリィ・アロッタが僕の前で微笑んでいる。幻でも何でもないことは、こうして応接間で対峙していることからも明らかだ。
「……どうして」
情けなく僕の口から漏れ出す声。
それにエメリィはくすくすと笑い、「さて、どうしてでしょう?」と首を傾げる。その仕草はとても可愛らしく、目が釘付けにならざるを得なかった。
「ごめんなさい。冗談です。私がここへやって来た理由、それは、あなたとこうして言葉を交わすためですよ。――アルト、本当に本当に、会いたかった」
その笑顔に嘘はないように見えた。
僕に会いたかった? そんなまさかと思う一方で、やはりと納得してしまう。
エメリィはまだ僕を、好きなんだ。
僕がエメリィを好きなままであるように――。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「僕に会うためって。でも君は、アロッタ公爵家の夫人、いや、未亡人じゃないか。どうして僕なんかに……」
「聞いてください。私はアルトに話さなければならないことがたくさんあるのですよ。
アルトからすれば迷惑な話だと思うし、私がわがままのはわかっています。それでも聞いてほしいのです」
エメリィがそう言った語り出したのは、あまりにも非現実的で、信じられない話ばかりだった。
結婚したばかりの夫――アロッタ公爵に愛さないと告げられたこともそうだし、それからのエメリィの行動の数々、果ては僕を手に入れるためにこの戦乱を巻き起こしたとまで言うではないか。
聞きたくないと思うのに、夢中で聞き入ってしまう。
エメリィがそんなことするはずがない。でも、他ならない彼女が自白しているし、よく考えてみれば全て辻褄が合うのだ。否定のしようが何もなかった。
「私、悪女なんです。あなたのためなら他の全てを捨てても構わないとさえ思っています」
「なぜ、そこまで」
「私にはあなたしかいないから。美味しい食べ物もある。お金もある。自由もある。でもそれだけじゃ満足できません。この胸が満たされることはありません。
私は、あなたを……アルト・ウィルソンを、愛しています。ずっとずっと、好きでした。今は婚約者でなくとも、これが許されざる想いであったとしても、遠目から見つめるだけなんて嫌。あなたと結ばれたい。それだけが私の願いです」
意志の強い菫色の瞳で僕を射抜き、熱く一途な愛を告げたエメリィ。
彼女はとても輝いて見えた。美しい、それだけの言葉では足りないほどに美しい。そんな彼女が僕を愛していると言ったのだ。
それはとても嬉しいことだし、夢のような話だとも思う。もしも先ほどの話を知らなければ、僕は一切躊躇うことなく受け入れてしまっていただろう。
――しかし、もしも本当にエメリィが僕のために多くの人命を犠牲にしたのだとしたら?
そう考えると、僕は肯定を返せなくなった。
僕だって本心では今すぐに彼女の手をとって口づけを落としたい。だが、だが……。
簡単な倫理や理屈では割り切れないような感情の波が僕を襲う。
正しさを選ぶか愛を選ぶか。そんなの前者を選択すべきに決まっている。何しろ僕は貴族、しかもウィルソン侯爵家の次期当主なのだ。個人的な意見より、政治的な、最も己の利となる行動をすべきなのは明白であり、今ここで感情に流されてエメリィを受け入れてしまうのは、より良い手とは思えなかった。
(どうしたらいい。どうしたら……)
欲しい物はすぐそこにあるのに手が届かないかのようなもどかしさが胸を満たす。
ああ、苦しい。全てのしがらみから抜け出して、昔のように二人で笑い合えればいいのに、なんて考えてしまう、自分の心の弱さが苦しい。
そうしてもがく僕に、静かにエメリィは微笑んだ。
「もちろん優しいアルトが私を認められないこと、わかっています。
あなたに嫌われてもいい。ただこれだけは覚えていてください。いつか必ず、また好きにさせてみせます。――私は絶対諦めたりしませんから」
覚悟を決めたような、強い声音。
それに僕は心動かされる。なんだか涙が出そうになってしまって、顔を背けることしかできなかったのだった。
王国と帝国の戦力差は大きい。騎士団が帝国との国境地帯に出張って頑張っているらしいが、勝てるかどうか、僕にはわからない。
我が侯爵家にできることは少ない。せいぜい、攻め込まれないように最大限守りを固め、じっと耐え続けるだけだ。
戦争はどれほど長引くのだろう。もちろん悪いのは隣国と密通していたフロー公爵令嬢ではあるが、僕にも大きな責任はあるので胸が苦しくなる。
どうにかならないのだろうか。そう思って行動を起こすことも考えてみるが、僕には力不足過ぎた。
そんな状況の中でチラチラと頭に浮かんでしまうのは、エメリィ・アロッタの顔。
(未練がましい僕は、こんな時でさえ彼女のことを考えてしまうのか)と自分を責め立てても何も変わらない。
僕とはもう無関係な人間のはずだ。心配する必要がない。それはわかっているのに、どうしても気になってしまう。
特にアロッタ公爵の訃報を受けた時はひどかった。
一人きりになったであろう彼女を迎えに行こうとしている自分に気づき、唖然とした。
彼女は未亡人だ。そんな女性とたった一人で会おうとしているだなんて、どうかしている。
きっとこの戦争のせいだ、なんて言い訳をしたいけれど、これが僕の本心であることなんてわかり切っていた。
みっともなさ過ぎて反吐が出る。どうしたらいいのかわからなかった。
だから僕は彼女が訪れた時、素直に喜ぶことができずにいた。
銀髪に菫色の瞳。以前の夜会の時より少し疲労の色が見えるがそれでもなお損なわれない美しさを誇る少女――否、女性。
エメリィ・アロッタが僕の前で微笑んでいる。幻でも何でもないことは、こうして応接間で対峙していることからも明らかだ。
「……どうして」
情けなく僕の口から漏れ出す声。
それにエメリィはくすくすと笑い、「さて、どうしてでしょう?」と首を傾げる。その仕草はとても可愛らしく、目が釘付けにならざるを得なかった。
「ごめんなさい。冗談です。私がここへやって来た理由、それは、あなたとこうして言葉を交わすためですよ。――アルト、本当に本当に、会いたかった」
その笑顔に嘘はないように見えた。
僕に会いたかった? そんなまさかと思う一方で、やはりと納得してしまう。
エメリィはまだ僕を、好きなんだ。
僕がエメリィを好きなままであるように――。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「僕に会うためって。でも君は、アロッタ公爵家の夫人、いや、未亡人じゃないか。どうして僕なんかに……」
「聞いてください。私はアルトに話さなければならないことがたくさんあるのですよ。
アルトからすれば迷惑な話だと思うし、私がわがままのはわかっています。それでも聞いてほしいのです」
エメリィがそう言った語り出したのは、あまりにも非現実的で、信じられない話ばかりだった。
結婚したばかりの夫――アロッタ公爵に愛さないと告げられたこともそうだし、それからのエメリィの行動の数々、果ては僕を手に入れるためにこの戦乱を巻き起こしたとまで言うではないか。
聞きたくないと思うのに、夢中で聞き入ってしまう。
エメリィがそんなことするはずがない。でも、他ならない彼女が自白しているし、よく考えてみれば全て辻褄が合うのだ。否定のしようが何もなかった。
「私、悪女なんです。あなたのためなら他の全てを捨てても構わないとさえ思っています」
「なぜ、そこまで」
「私にはあなたしかいないから。美味しい食べ物もある。お金もある。自由もある。でもそれだけじゃ満足できません。この胸が満たされることはありません。
私は、あなたを……アルト・ウィルソンを、愛しています。ずっとずっと、好きでした。今は婚約者でなくとも、これが許されざる想いであったとしても、遠目から見つめるだけなんて嫌。あなたと結ばれたい。それだけが私の願いです」
意志の強い菫色の瞳で僕を射抜き、熱く一途な愛を告げたエメリィ。
彼女はとても輝いて見えた。美しい、それだけの言葉では足りないほどに美しい。そんな彼女が僕を愛していると言ったのだ。
それはとても嬉しいことだし、夢のような話だとも思う。もしも先ほどの話を知らなければ、僕は一切躊躇うことなく受け入れてしまっていただろう。
――しかし、もしも本当にエメリィが僕のために多くの人命を犠牲にしたのだとしたら?
そう考えると、僕は肯定を返せなくなった。
僕だって本心では今すぐに彼女の手をとって口づけを落としたい。だが、だが……。
簡単な倫理や理屈では割り切れないような感情の波が僕を襲う。
正しさを選ぶか愛を選ぶか。そんなの前者を選択すべきに決まっている。何しろ僕は貴族、しかもウィルソン侯爵家の次期当主なのだ。個人的な意見より、政治的な、最も己の利となる行動をすべきなのは明白であり、今ここで感情に流されてエメリィを受け入れてしまうのは、より良い手とは思えなかった。
(どうしたらいい。どうしたら……)
欲しい物はすぐそこにあるのに手が届かないかのようなもどかしさが胸を満たす。
ああ、苦しい。全てのしがらみから抜け出して、昔のように二人で笑い合えればいいのに、なんて考えてしまう、自分の心の弱さが苦しい。
そうしてもがく僕に、静かにエメリィは微笑んだ。
「もちろん優しいアルトが私を認められないこと、わかっています。
あなたに嫌われてもいい。ただこれだけは覚えていてください。いつか必ず、また好きにさせてみせます。――私は絶対諦めたりしませんから」
覚悟を決めたような、強い声音。
それに僕は心動かされる。なんだか涙が出そうになってしまって、顔を背けることしかできなかったのだった。
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