女王陛下と生贄の騎士

皐月めい

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吊り橋効果

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 晩餐は和やかに進み、食事が終わろうとした時、ムクルスがこほん、と咳払いをした。

「ジークフリート殿下とジョルジュ殿は、もう明日には発たれるのですか」
「そうなんです。ジークフリート様は目が回るほど多忙の身なので、残念ですが……」
「まあ、そうなのですか……」

 間髪入れずに答えたジョルジュの言葉に、どことなく寂しそうに女王が眉を下げる。自分の願望かもしれない。

 ジークフリートは胸が締め付けられるような錯覚を覚え、彼は唇を引き結んだ。
 そんなジークフリートの心を見透かすように、ムクルスが口を開いた。また歯を剥き出しにして笑う、威嚇にも見えるぎこちない笑顔だった。

「それでは明日、発たれる前に陛下と少し城下を見て行かれませんか?是非他国の方に我が国を見て頂きたい。街の者も皆あなた方を一目見たいと、楽しみにしておりまして」
「願ってもない。是非、ご一緒させてください」

 口を開こうとしたジョルジュを制して、ジークフリートは少し上擦った声で言った。

「私も城下を見てみたいと思っておりましたので。陛下が宜しければ」
「本当に、よろしいの?」

 ぱちぱちと瞳を瞬かせる女王に頷いて見せると、彼女は嬉しそうにはにかんだ。
 固いパンが喉に詰まったような衝撃を感じる。こみ上げる『可愛い』に窒息しそうになりながら、ジークフリートは手元のワインを一気に呷った。
 横のジョルジュの食い入るような視線が、後ろめたい。



 ◇


「食事だけって言ってたじゃないですか……」
「……あまり探れなかったからな」

 ジョルジュの非難がましい眼差しに、少々気まずそうに目を逸らしてジークフリートは答えた。

「どちらにせよ明日、ここを発つ。その前に視察をしたい。深追いをするつもりはないがまだ探りきれてもいないし、国のためにあと少し、耐えてくれ」
「国のため」
「そうだ」
「……さすがは団長、と言いたいところですが……騎士の誇りにかけて本当だと誓えますか……」

 じとりとした視線に、ジークフリートは口籠もった。

(……誓えない)

 嘘ではない。六割は国のためだ。
 しかし突き動かされるような衝動に駆られて頷いたのは、確実に残り四割の理由だった。

 晩餐前は、国のために……というのが理由の九割だった。だから平気な顔ができた。
 しかし今となっては、国のためになるからと正当化して邪な気持ちを誤魔化すのは、人として、騎士として、許されることなのだろうか?……そんな訳が、ない。

 そう思うと後ろめたさが邪魔をして、言い訳すらも上手くできない有様である。

 そんなジークフリートを見て、ジョルジュは「まさかとは思いますが……」と胡乱な目つきを向けた。

「……惚れましたか」
「ま、まだそこまでじゃない!!」

 一気に頬を染めるジークフリートにジョルジュは「うげっ」と呻き、生きた毒蛇にじゃれつく子犬を見るかのような目で彼を見て、「まじすか」と青ざめた。

「やっぱり!女か!国の利のため云々かんぬんかっこつけて結局女か!そういうの良くないです!」
「……す、素敵な女性だと思っただけだ。それに視察に彼女の同行は関係ない。俺は彼女ではなくあの執事が一緒だとしても承諾していた」

 こほん、と咳払いをする。

「それに彼らからは殺意……敵意は感じないし、女王陛下が吸血鬼の末裔だとも思えない。ま、まあ例え吸血鬼であったとしても彼女の麗しさには全く変わりはないのだが……」

 もちろん警戒はしている。しかし女王の愛らしさとは関係なく、彼らは無害だとジークフリートの第六感が告げている。
 もしも友好が結べたのなら、他国に向けてこれ以上の抑止力はないのだが、と頭の片隅で冷静に思う。

「彼らは無害だと、俺は思っている。しかし万が一の時は、当初の予定通りお前だけ……」
「ジークフリート様……恋は目を眩ませます。その気持ちはわかりますがね」

 ジョルジュが憐れみの眼差しを向けて、ジークフリートの言葉を遮り、聞き分けの悪い子供を諭すかのような口調で語り始めた。不敬ではないだろうか。

「女王の吸血鬼アピール、凄かったじゃないですか……。生き血を飲んでは数百年生きてるアピール、あれは力の誇示です。つまりいつでもお前らの血を絞ってやるという脅迫です。初対面で脅迫するとかマナー違反ですよ」

 ジョルジュの言葉に、ジークフリートはため息を吐いて首を振った。

「きっと酒が苦手なんだろう。トマトかザクロかアセロラのジュースを飲んで、若く見られることが多いという、ただそれだけの可愛らしい話じゃないか」
「いや馬鹿ー!絶ッ対それは違います。あれは生き血を集めて若さを保っているという猟奇的な自白です!」
「馬鹿はお前だ」

 嫌悪感を込めた瞳でジョルジュを見つめると、彼は「いや百人いたら百人思うわ俺は悪くない」とキャンキャン吠えた。嘆かわしい。騎士道精神と共に、人道教育と言葉の裏を読みすぎない教育もするべきだった。国に帰ったら、騎士団全員、もう一度精神から鍛え直さなければならない。

「それにあの顔色悪い執事、街の者がみんな俺らに会いたがってるとか言ってますけど、港で見た連中は命知らずがとかすぐ後悔するぜとか何とか言ってましたよ。めっちゃ嘘吐かれてるじゃないですか……ほら、危険」
「街の者は照れ屋なだけかもしれないだろう。もしくは我々に攻撃的な者だけが集まったのかもしれない。海の男は気が荒い者が多いと聞く」
「なぜそんな意気揚々と処刑台に向かうんだ……」

 ジョルジュが頭を抱えて、視察が終わったら絶対に帰りますからね!と宣言した。


 ◇


「……あんな人だったかな……」

 ジョルジュがポツリと呟いた言葉は、黄昏ているジークフリートには届いてないようだった。
 用意された部屋には大きな窓とベランダがある。物憂げにベランダに出て波が蠢く夜の海を眺める彼の後ろ姿は、完全に恋を覚えたての少年だ。二十八の男のくせに……。

 ジョルジュ命と金と女性が大好きだ。
 というか、人生で大切なものはそれだけだと思ってる。

 そんなジョルジュにとって騎士とは、まあまあ高給で女にモテる良い仕事、でしかない。国にも王にも上官にも命を捧げる気なんて毛頭ないし、有事の際には王を置いても逃げると思う。

 しかしそんなジョルジュでも、ジークフリートは特別な上官だった。

 王族でありながら、騎士を志した彼はジークフリートをこよなく愛する父王の強い反対をねじ伏せて騎士となった。だが、ずば抜けた実力を持ちながらも上……王からの圧力で、長らく一階級も昇格することはできなかった。

 しかし彼は弱音を吐かず鍛錬を行い、実力のみで王への忖度を撥ねつけ、近衛騎士団のトップに立った。もはや伝説だ。ジークフリートをモデルにした小説や歌劇や芝居が、庶民の間では人気を博しているらしい。

 格好いいな~と、ジョルジュも思う。鍛錬は地獄みたいだしこちらにまで高潔さを求めてくるので、上官としては最悪だったが。騎士の精神で飯が食えるか。
 女にモテるところも羨ましい。そのくせ浮いた噂の一つもない。

 ーー目の覚めるような美女でも、有力な貴族の娘でも、金塊風呂ができるようなやり手の富豪女性でも、誘いらしき誘いは全て断っていたのになあ。

 この世で彼の手に入らない女性はほぼいないだろうなと思うのに、彼はよりにもよってヤバい女に惚れてしまった。
 確かにびっくりするくらい美人だが、数百年以上生きてるっぽいババアである。年上が好きとかいう次元じゃない。冴えない壺でも国宝に変わる年だ。

 何故、彼女だったのか。
 ジョルジュはその答えを知っている。

 ーー吊り橋効果、という奴だ。

 吊り橋のような不安や恐怖を煽る場所で過ごした異性には、恋愛感情を抱きやすくなってしまう。
 命の危機のドキドキを、恋のドキドキと錯覚したのだ。恋愛初心者のジークフリートなら全然あり得る。

(……その勘違いの恋愛感情で、これ以上巻き込まれたら嫌だなあ……)

 金に釣られてここに来たが、受け取った大金はまだ使っていなかった。名だたる美女を集めた酒場に行き、俺はヴラドに行ったんだと武勇伝を話して尊敬を集めた上で颯爽と高級シャンパンタワーをして飲めや歌えや酒池肉林、をしていない。ジョルジュは飲めないのだが、狙いは美女達からの尊敬の眼差しなのだから問題がない。
 しかし、これで死んだら怖がり損だ。

 もしも明日、彼が帰らない素振りを見せたら、首に手刀を落としてでも、連れて帰ろう。
 重くて運べなかったら、置いて帰ろう。仕方ない。大事なのは俺はやれることはやったんだという確たる証拠だ。
 黄昏ている上官の後ろ姿を眺めながら、彼は決意した。

 ジークフリートの背中を取れる者はアビニアにはいない、無論ジョルジュにも無理である、という事実は、忘れていた。



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