女王陛下と生贄の騎士

皐月めい

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ウォルフの作戦(ジョルジュ&アメリア視点)

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「一週間で八十通!?そりゃすげえな……」
「文通以上筆談未満ですよね。団長の情緒、アビニアでは死んでたのにこんなに働かされてそろそろ過労死するんじゃないかな」

 さんさんと輝く太陽の下、ジョルジュは城の中で唯一安心できる男・ウォルフと一緒に水やりをしていた。
 ウォルフの側は安心する。例え彼が人間じゃないとしても、彼の感性は間違いなく人間なのだ。

「直接話せばいいのにって思うんですけど、ムクルスさんが二人きりで会話をするのは良くないって渋っているそうです」
「あー……ムクルスか……あいつはなあ」

 ウォルフが渋い顔をする。

「まあ、ムクルスはムクルスなりに陛下をお守りしたいと思ってるんだ」

 その言い方に、意外だなとジョルジュは眉をあげた。ムクルスはただの過保護バカだと思っていたし、ウォルフはムクルスの過保護に苦言を呈するタイプだと思っていたのだ。

 もしかしたら、事情があるのかもしれない。むしろ彼らの背景には事情しか窺えないのだが。
 当初命の危機を感じていたジョルジュも、クラーケン騒ぎを経てその心配は杞憂だったと感じてはいた。

 けれども、女王を始めとする彼らには何か胸がざわめく、どこか落ち着かない空気がある。
 彼らの側にいると、幼い頃に見た魔女狩りの光景を思い出す。狩られた魔女は、同じ空気を持っていた。
 殺される刹那の断末魔、美しき魔女が叫んだ言葉を、ジョルジュは今も覚えている。

「陛下は愛されてますねえ」

 間延びした調子でそう言うと、ウォルフは苦笑した。自分も女王を深く愛しすぎているという自覚はあるようだ。

「……しかし、このままじゃいけねえな。試す前にお互い引いてちゃ意味がない」
「お?何か面白いことやるんですか?」

 何か決意したらしいウォルフに、ジョルジュは好奇と期待の目を向ける。
 自分の感情が矛盾しているのはわかっている。叶えちゃダメだろという現実と、叶えば団長が幸せになれるのではと言う希望と。

 ジョルジュの言葉に、ウォルフはにこっと曇りのない笑顔を向けた。



 ◇


 もうすっかり震えがおさまった指先で、アメリアはそっと彼が書いた文字をなぞった。
 丁寧に書かれた整った字は、彼の性格が表しているようだった。

 そんな自分の姿を侍女長のハピィが微笑ましそうに、少しだけ期待を込めて見つめている。彼女のその顔に、アメリアは気づかない振りをした。

「良い方が訪れてくださって、よかったですね。陛下が楽しそうで、わたくしも嬉しいです」
「ええ、そうね。お優しいし、騎士さまとはやはり素敵な方だわ」

 言外に、『騎士』に対する好意だけをにじませる。
 実際にアメリアは、ジークフリートに好感以上の気持ちを抱いていない。誰かに特別な気持ちを抱かないと、決めているからだ。

 アメリアの言葉を聞き、ハピィが躊躇いながら口を開いた。

「……アビニアの王族は、結婚する際は必ず三ヶ月アビニアに滞在し、聖地を巡回しなければならないそうです」
「そうみたいね」
「あの、差し出がましいようですが」
「ハピィ、私は殿下に友人になって頂きたいだけよ」

 彼女の言葉を遮って、アメリアは微笑んだ。

「……陛下、何度も申し上げますが、私たちは好きであなたにお仕えしているのです。この国の者は、みんな」

 ハピィが強張った顔で言う。自分の言葉がアメリアに届くことはないのだと、知っているのだ。

「ありがとう」

 そう微笑むアメリアには、やはり何の言葉も響かない。ハピィは微かにため息を吐き、失礼しました、と告げて部屋を出て行った。


 夜だけは開けられる窓を開けて、バルコニーに出る。
 紺色の空にはぼんやりとした月がかかり、夜の海を覇気なく照らす。

 先日のクラーケン騒ぎのことを思い出す。

 すぐにでも退治すべきだったのに、何かの命を奪うことは恐ろしかった。怯える心を叱咤して、勇気を奮い立たせた時にジークフリートが現れた。

(……任せろと、言ってくださった)

 きらめく水飛沫の中、正確にクラーケンを突き刺した彼の後ろ姿は美しかった。

 アメリアが思いに耽っていると、横から息を呑む音が聞こえてきた。それからすぐに、自分を呼ぶ声も。

「……陛下?」

 隣の部屋のバルコニーに、目を丸くしてこちらを見ているジークフリートが見えた。
 たった今考えていた彼が目の前にいて、アメリアは慌てる。

「ジ、ジ、ジークフリート殿下、そこで何を……!?」

 彼が今居る部屋は、長らく使われていない空き部屋だ。アメリアの隣にある部屋ーー、つまり、未来の王配のために用意された部屋となる。ジークフリートが使っている部屋ではない。

「ウォルフ殿に先程掃除を頼まれまして。何でもここのテラスが一番汚れていると……」

 アメリアは絶句した。
 確かに、ジークフリートの手には掃除道具が握られている。
 右手に雑巾、左手にバケツを持っている。

(ウォルフったら大国の王子に何してくれてるの!?こんな時間に!!)

「で、殿下、ウォルフが本当に申し訳ありません。こんな時間ですから、どうかお休みになってください……!」

 申し訳なさに泣きそうな気持ちで謝ると、彼は驚いたようにアメリアを見つめたが、すぐに微笑んだ。

「ではまた今度に致します。こんな時間に、女性である陛下に何の配慮もせず大変失礼致しました」

 深く礼をするジークフリートに焦る。
 ジークフリートは、そこがアメリアの部屋の隣だとは知らなかった筈だ。きっと戸惑いながら掃除に来てくれただろうに、気を遣わせてしまった。

「殿下、あの、少しお話しませんかっ!?」

 焦ったせいか、自分でも思わなかった言葉がぽろりと出た。
 帰ろうとしていたジークフリートの青い瞳が、驚きに染まる。

「……陛下が良ければ、少しだけ」

 そう言ってはにかむ笑顔は、少しだけ嬉しそうに見えた。
 心がぽっと熱くなる。


 手紙と同じように、会話はどんどん弾んだ。
 口数の少ないジークフリートは、アメリアのお喋りを柔らかく微笑んで楽しそうに受け止める。
 ジークフリートの話も、楽しかった。彼の見た世界は、アメリアが知らないことばかりだった。

「……月があんなに昇りましたね。私はそろそろ、失礼します」

 驚くくらい時間はあっという間に過ぎていく。ほんの少し切ない気持ちを、アメリアは押し殺した。
 そんなアメリアを見つめ、彼が少し逡巡しながら口を開く。

「……もしも陛下さえ良ければ、またこうして話をして頂けないでしょうか」

 驚いて跳ねるように彼を見上げると、月に照らされた頬が微かに赤くなっているように見えた。
 それを見て、なぜか自分の頬も熱くなる。

「……ええ、もちろん」
「良かった」

 彼がどんな顔をしているかは、もう見えなかった。そんなアメリアに苦笑するように、ジークフリートが微笑んだ気配がした。

「良い夢を」

 そう言って彼が、行ってしまった。

 まだ楽しかった時間の余韻が残る。
 アメリアは空に浮かぶ淡い輪郭の月を見て、温い夜を味わった。

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