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プロローグ
第一話 竜鱗師マーシャ
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「いらっしゃいませー! お客様、竜鱗をお求めですか?」
「ああ‥‥‥喉が痛くてね‥‥‥」
『竜麟』と丁寧に染め抜かれた旗を横目に見て、彼はそう言った。
彼が店の入り口を跨いだとき、マーシャには重く滑らかな青が『視えた』。
藍色よりもう少し暗い、どんよりとした雰囲気を背中から頭の後ろにかけて這っている。
普通の人には視えない色――病人や怪我人、心の病などに罹った人間や動物、植物などが自然と発する生命のオーラを、マーシャは視ることができた。
男性は六十代。
恰幅のよい紳士で、背は低く、165のマーシャより小さい。
丁寧に油で後ろに撫でつけられた黒髪は、生え際こそ後退しているものの、まだまだ黒々として健康そうだった。
仕立ての良いスーツは、春らしいベージュ色。
足元は磨き上げられた革靴が黒く、入り口から差し込む春の斜陽を浴びて、てかてかと艶を放っている。
身なりや口ぶりから、『上客だわ』と、マーシャは心の中で手を打った。
「喉と言いましても、どの程度の痛みでしょうか?」
「いや、空咳がでるくらいだ。この季節になるといつものことでね。これを」
彼は小さな手帳を差し出した。それは、現代でいうところのお薬手帳のような物だ。
病院や神殿の治癒師や回復術師、医師などがこの患者に必要な薬を処方した処方箋を、簡略化して貼り付けて置くものだった。
それを見れば、彼がいまどんな服用をしていて、どんな薬や成分がだめで、どんな病気を治療しているのか、一目瞭然だ。
ガラス張りのカウンターに案内すると、老人はよいしょ、と腰を下ろした。
案内するマーシャの姿がそこに映り込む。
高く巻き上げて結った銀髪に夜の闇のような黒い瞳。
褐色の肌はこの水上都市カルアドネでは一般的なもので、舟を足代わりにするためによく日焼けしたものだった。
「お預かりしますね。空咳……この時期ですと、バテシアの花粉でしょうか? えっと‥‥‥ドマッドソン様」
「医者はそう言っとるね。もう四十年来、長いものだ」
「はあはあ、なるほど。毎年のことですか。それは長いですね」
年季の入った手帳を仔細にめくりながら、マーシャはここ数か月にわたって、彼が毎月、定期的に薬を飲んでいないことを確認する。
どのページをめくっても、医師による処方箋が発行されているのは、毎年春のこの季節だけだった。
目の前に立つ紳士は健康な肉体の持ち主なんだろうな、とマーシャは思った。
「お嬢さん、お若いが、店主さんは?」
「あ、わたしが店主です。マーシャ・ヒンギス。看板になかったですか、マーシャの竜麟屋って」
「これはまたお若い店主さんだ」
老人はそう言うとにこりと微笑んだ。
最初、彼はマーシャのことを丁稚か、見習いかと思っていたらしい。
なんとなく不安そうな素振りを見せる彼に向けて、マーシャは壁にかかげてある額縁を指差した。『一級竜麟師合格証明書』と記された書類が飾られている。
マーシャ本人の写真と試験に合格した証明の文言が書かれていた。
ドマッドソンはなるほど、と意味ありげに頷くと「ではよろしくお願いいたします」と頭を下げる。
孫ほどにも年の離れた自分に対しても礼儀正しい彼の作法に、マーシャは思わず笑顔になった。
「ああ‥‥‥喉が痛くてね‥‥‥」
『竜麟』と丁寧に染め抜かれた旗を横目に見て、彼はそう言った。
彼が店の入り口を跨いだとき、マーシャには重く滑らかな青が『視えた』。
藍色よりもう少し暗い、どんよりとした雰囲気を背中から頭の後ろにかけて這っている。
普通の人には視えない色――病人や怪我人、心の病などに罹った人間や動物、植物などが自然と発する生命のオーラを、マーシャは視ることができた。
男性は六十代。
恰幅のよい紳士で、背は低く、165のマーシャより小さい。
丁寧に油で後ろに撫でつけられた黒髪は、生え際こそ後退しているものの、まだまだ黒々として健康そうだった。
仕立ての良いスーツは、春らしいベージュ色。
足元は磨き上げられた革靴が黒く、入り口から差し込む春の斜陽を浴びて、てかてかと艶を放っている。
身なりや口ぶりから、『上客だわ』と、マーシャは心の中で手を打った。
「喉と言いましても、どの程度の痛みでしょうか?」
「いや、空咳がでるくらいだ。この季節になるといつものことでね。これを」
彼は小さな手帳を差し出した。それは、現代でいうところのお薬手帳のような物だ。
病院や神殿の治癒師や回復術師、医師などがこの患者に必要な薬を処方した処方箋を、簡略化して貼り付けて置くものだった。
それを見れば、彼がいまどんな服用をしていて、どんな薬や成分がだめで、どんな病気を治療しているのか、一目瞭然だ。
ガラス張りのカウンターに案内すると、老人はよいしょ、と腰を下ろした。
案内するマーシャの姿がそこに映り込む。
高く巻き上げて結った銀髪に夜の闇のような黒い瞳。
褐色の肌はこの水上都市カルアドネでは一般的なもので、舟を足代わりにするためによく日焼けしたものだった。
「お預かりしますね。空咳……この時期ですと、バテシアの花粉でしょうか? えっと‥‥‥ドマッドソン様」
「医者はそう言っとるね。もう四十年来、長いものだ」
「はあはあ、なるほど。毎年のことですか。それは長いですね」
年季の入った手帳を仔細にめくりながら、マーシャはここ数か月にわたって、彼が毎月、定期的に薬を飲んでいないことを確認する。
どのページをめくっても、医師による処方箋が発行されているのは、毎年春のこの季節だけだった。
目の前に立つ紳士は健康な肉体の持ち主なんだろうな、とマーシャは思った。
「お嬢さん、お若いが、店主さんは?」
「あ、わたしが店主です。マーシャ・ヒンギス。看板になかったですか、マーシャの竜麟屋って」
「これはまたお若い店主さんだ」
老人はそう言うとにこりと微笑んだ。
最初、彼はマーシャのことを丁稚か、見習いかと思っていたらしい。
なんとなく不安そうな素振りを見せる彼に向けて、マーシャは壁にかかげてある額縁を指差した。『一級竜麟師合格証明書』と記された書類が飾られている。
マーシャ本人の写真と試験に合格した証明の文言が書かれていた。
ドマッドソンはなるほど、と意味ありげに頷くと「ではよろしくお願いいたします」と頭を下げる。
孫ほどにも年の離れた自分に対しても礼儀正しい彼の作法に、マーシャは思わず笑顔になった。
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