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第3章 シスター・セシリアの語り~葛城少佐・セシリアの妹の回想
少年時代・大同義塾と永田鉄山~葛城少佐の視点2
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「坊ちゃん、本当にやるんでやんすか?」
「当たり前だ、こういうのは舐められたら終わりだからな。まず見た目から入るのが大切なんだよ」
お銀は化かしの術を使うと、俺の服は深い紺の上等な木綿の着物と、細かい縞の袴に変わる。生地の張りと仕立ての良さが一目でわかる、いかにも金持ちの子弟が塾に通うときの格好だ。よし、これでいい。正直、うちは士族のくせにかつかつで、俺はつぎはぎだらけの服しか持ってない。そんな俺のような見た目では、他の塾生に舐められる可能性があるからな。ここでガツンと威厳ってものを見せてやる必要があるってわけだ。
「坊ちゃんは自分の未熟さを認めてるのはいいことなんでやんすが――たまにしょーもない虚勢を張るのがよくない癖でやんすね」
ようやく校舎が見えてきたようだ。
宮川村は、少しばかり離れていた。足の裏にじわじわとした痛みを感じながら、ようやく辿り着いた大同義塾は、想像していた以上に広々として、どこか活気に満ちていた。
校舎の前に近づくと、白髪交じりの頭で元気はつらつとしている男性が門に立って手を振っている。昨日までその名すら知らなかった塾なのに、なぜだろうか、この人物が塾長だとすぐに分かった。
――まあ少なくとも塾長の印象は悪くないな。
そんな風に思って門をくぐろうとしたそのとき、後ろから大きな音がした。馬の蹄が土を蹴る、あの独特の速いリズム。本能的に俺は危険を感じて脇によけると、すぐ脇を馬が駆け抜けて門の前で急停車する。
やはり馬だ。ここで全力疾走させるとか、どう考えても危ねえだろ。苛立ちながら馬上を見上げる。逆光に縁取られたシルエットに、ふっと顔立ちが浮かび上がる――なんと、まだあどけなさの残る少年だった。
この歳で馬?それだけでも十分驚きなのに、更にこいつ、学生服のような、ウール製の光沢のある上着を着てやがった。俺の通う中学にもウールの制服はあるが、あれは高価すぎて、普段から着ていられるやつなんてそう多くない。和服通学を教師たちも黙認しているのが実情だ。
「おはようございます、塾長」
俺がそんなことを考えていると、塾長に挨拶をするその少年は俺に目を向ける。冷たい視線ともとれるが、どちらかというとただの興味本位からの観察、そんな目だ。
「君が、葛城誠司の弟さんか。陸軍士官学校を目指しているとかいう。君の兄上は、本来なら帝国陸軍の中枢を担うべき人物だった。惜しい人を亡くしたものだ。対して弟の方は、年齢不相応なほど、未熟に見えるが」
は?
あまりの言いように、俺は目を瞬かせたが、俺はようやくそこで理解した。こいつが――永田鉄山。
―
大同義塾に通い始めてから数日が経った。
俺はお銀に化かしで作ってもらったくだらない金持ち風衣装をさっさと止め、普段通りのボロ着に戻った。というのも塾生の集中力と知識量に圧倒されるばかりで、そんなことをしている余裕はないということに気が付いたからだ。その中でも、やはり――永田鉄山、こいつの学力は、控えめに言っても規格外だった。
そもそも俺は、軍の学校の仕組みすらろくにわかっていなかった。ざっくり言えば、俺が目指している陸軍士官学校は「陸軍の高校みたいなもの」で、永田が受けようとしている陸軍幼年学校は、その一つ手前の「陸軍の中学みたいなもの」だ。じゃあ中学入試くらいなら簡単なのかと思えばそうでもなく、求められる頭の出来は同じどころか、むしろ幼年学校の方が厳しいくらいだと聞いて、俺は素直に恐怖した。その時点で差がついてるじゃねえか、と。
そんな幼年学校を目指す永田は、入試レベルの勉強なんて、さっさと終わらせていた。数学や外国語はもちろん、歴史だの理科だの、さらには漢籍や西洋の思想書まで、分厚い本を次々と読み、ほとんど全部頭に入れてしまう。天才が血の滲むような努力を重ね続けるなんて、もはや凡人は絶望するしかないだろう。
塾長の伊藤作左衛門先生に頼んだのは、そんなある日の放課後だった。
「――その、先生。俺に、勉強を教えてくれる人を探しているんです。正直、ここについていけてません。特に数学と、外国語と、あと――まあ、全部です。ですので、永田がもし俺の勉強を個別に教えてくれればいいのではないかと」
俺の正直すぎる言葉に、伊藤先生は豪快に笑った。
「君は昔の俺に似ているな」
「え?」
「実はこの大同義塾の名前、福沢諭吉先生から直々に頂いたものなんだよ」
突然そう言われて俺は目を丸くする一方、先生は上機嫌に話し続けた。
「ああすまんすまん。東京ではちょっと有名な慶應義塾という学校を経営している先生なんよ。結構成功したもんだから、各地に何とか義塾っていう塾が溢れている割に、ここは先生公認の名前ということさ」
聞けば、先生は裕福な田舎町人だったから結構金持ちで、東京のその塾で学ぶように仕向けられたそうだ。ただ、彼は俺と同じで学問は適当にやって東京で遊ぶつもりだったらしいのだが、算術の試験で特に勉強せずに満点を取ってしまう。そこに目を付けた塾長の福沢諭吉が、お雇い外国人教授を個人教師としてつけてくれるようになったらしいのだ。外国人は日本語がわからなかったが数は世界共通。おかげで教授の指導もよく身に付いて算術だけは塾主席となってしまったらしい。その後、他の科目ですら面白さに目覚めた伊藤先生は、気づいたら成績上位で卒業することになったとのことだった。
先生は目を細めて昔を懐かしんでいるような表情をした。
「でも急に勉学に夢中になったもんだから、卒業後のことなんて全然考えていなかった。そこでとりあえずここで学んだことを、故郷宮川村で広げたいです、って福沢先生に言ったら、塾でもやったらどうかってことで名前をくれたんだ。『大』志を抱く『同』志よ集え、そんな意味を込めて」
先生は俺に向き直って言った。
「そうだな、永田は俺にとっての外国人教授と同じような存在に、君にとってはなってくれるかもしれないな。俺が教えてもいいんだが、同じ軍関係の学校を目指している永田の方が問題の傾向もつかんでいるだろうし、より適任だ。わかった、話をつけてみるよ。きっと君も、きっかけがあったら俺みたいに猛烈に努力できるタイプじゃないか、そう思うんだ。がんばれよ」
お銀の時もそうだったが、こんなダメな俺でも褒められるのは素直にうれしかった。なんだか俺でも勉強ができるようになるんじゃないか、そんな思いが体中に沸き出てくるように感じたのだが――
「君、頭は小学生のまま置いてきてしまったのか?連立方程式なんぞ、私は小二で理解していたぞ」
褒めて伸ばす伊藤先生とは対照的に、俺の個人教授になった永田は毒を吐いて俺を伸ばす――というわけではなくて単純に厳しい教師だった。
*
「こんな問題すら理解できないのか、信じられん」
もはや侮蔑とかそう言う感情は多分永田にはないのだ。単純に驚いているんだと思う。もはや時は明治二十八年の秋。ここ大同義塾に来て半年程度は経っていた。だが、俺の勉強は一向に進まず、このままでは陸軍士官学校に入るなど夢のまた夢だった。
ここに入った当初、お銀は毎日励ますようなことを言ってくれていたが、学習進度を見るにつれ、呆れてしまったのかいつしか黙ってしまった。
同じく永田も、何も言わずに顎に手を置きながら宙をしばらく眺めていると、思いついたように口を開いた。
「君が陸士に合格できそうな唯一の戦略を考えた。あと受験まで一年と少しあるとはいえ、もうこれ以外に方法はないだろう」
一切の優しさはその言葉にはなかったが、少なくとも俺のために手段を考えてくれているのだというのは客観的に分かった。
「君は頭が良くない。むしろ少し馬鹿だ。だが、君には異様なほどの粘り強さがある。それを生かすしかない。具体的には、難問はすべて捨てろ。どうせ解けないから、時間の無駄だ。その代わりに、誰もが解けるような基本問題を、完璧に、短時間で、大量に解け」
永田は俺にわかるように戦略のポイントだけ紙に書きながら指し示す。
「ミスをするな。確実に得点しろ。合格点ギリギリを狙って、ひたすら点を稼げ。年によっては、それでも足りずに落ちるだろう。だが、君の合格にはそもそも多少の運が必要だ。そこは神に任せろ」
少しムカつく言い草だが、不思議と永田の言うことには説得力があった。なんとなくだが、それなら俺にもできるんじゃないか、そんな気がしたのだ。
しかし、そうして俺の中で閃きが生まれているようなそのさなか、永田がそれに水を差した。
「じゃあ、私はこれで失礼する。今日で大同義塾最後の日だ」
「は?」
俺が一人で固まっていると、お銀があきれたように返す。
「坊ちゃん、伊藤塾長の言ってたこと聞いてなかったんでやんすか?」
しかし永田は驚きもせず淡々と事実を述べる。
「彼ならそうだろうな。まあいい、ここで再度繰り返す。私の父が亡くなったのだ。その関係で、私は親戚の住む東京市牛込区、愛日尋常高等小学校への転校が決まった。その方が東京の陸軍幼年学校の入試もしやすいのでな」
永田は俺の言葉すら必要ない、という様子すら感じさせる態度で、踵を返して扉を開ける。
「また君と再び会うとすれば――陸軍内部でだ。健闘を祈る、葛城君」
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