12 / 34
第3章 シスター・セシリアの語り~葛城少佐・セシリアの妹の回想
少年時代・相打ちの奥義~葛城少佐視点4
しおりを挟む**
信州の冬は、まだ容赦がなかった。
粉雪がちらつき、凍った庭石が霜に白く染まっている。吐いた息が白く弾けた。
まったく。こんな寒い朝から、何を好き好んで稽古をせねばならんのか、そう思いながら庭の端に立つ親父の姿を見た。大体いつも道場で稽古なのに、なんで今日に限って庭でやるんだよっていう。
本音を言えば、もう剣の稽古なんて御免だった。陸士への入学が決まり、もうじき東京に向かう。銃を扱う軍人が竹刀振ってもしょうがないだろう。だが、今日ばかりは、付き合ってやってもいいかと思った。
親父は、時代に取り残された男だった。剣に生き、少しばかりの文学にしか自分の価値を見いだせなかった人間だ。そんな男が、最後に何かを伝えたいというのなら、まあ、聞くだけは聞いてやろう。
ちなみに――奏と詩織という、あの姉妹の名前をつけたのは、うちの親父だ。
日本の識字率は世界でも高いとよく言われるが、それは主にひらがなの話であって、漢字まで自在に使いこなせる人間は、そう多くはなかった。特に田舎では、子どもに立派な漢字名をつけるには知識が足りないので、名士や学のある者に頼むのが通例だった。とはいえ、それも男子限定の話だ。
女の子となると話は別で、ひらがなやカタカナで適当に名づけられるのが普通だった。中には、「もう女は要らん」という意味で「トメ子」や「ヤメ子」なんて名づけられる例もざらにあった。正直、ひでぇ話だと思う。
そんな中で、うちの親父は近所でもちょっと変わり者で、剣術師範のくせに中途半端に文学に傾倒していた。ある日突然、近所の貧農の家に押しかけて、「せっかく娘ができたんだ。ちゃんと意味のある美しい名前をつけてやるべきだ」と、勝手に命名を買って出た。
貧しい家のことだ。士族家の旦那に逆らうこともできず、結局そのまま押し切られたらしい。結果――優しい音を奏でるような、芯の強い姉には「奏(かなで)」という名が。剣術の才に恵まれ、美しく凛とした妹には「詩織(しおり)」という名が与えられた。まるで将来そうなることを予想したかのように。
ああいう粋なことをやってのけるところは、嫌いじゃない。まあ要するに、気が弱い婿養子なのはダサいとは思うものの、親父を尊敬しているところもある。だからまあ陸士に行く前の稽古、そのくらいは付き合ってやろうかと思ったってわけだ。
「構えろ、直輝」
親父の声が冬空に響く。妙だった。渡されたのは、竹刀でなくて木刀。しかも――普通の長い木刀ではなく、なぜか俺にだけ不利なごく短い、脇差のような長さだった。ただでさえ親父とは圧倒的な技量の差があるのに、こんな不利なリーチでは相手にならない。
一体何なんだよこれは、最後じゃなかったらさっさと投げ捨てて帰ったと思うが、俺は渋々、正眼に構えた。
「今日は、私から教えられる最後の技を教える。お前は、剣の才に恵まれなかった。だが、そんなお前が使用しても絶大に効果が大きい技となる」
「まあこれから陸士に行くんだから最後の稽古っていうことになるかな」
「違う、そういう意味じゃない。陸士に行こうが行くまいが、最終奥義をこれから教えるということだ」
怪訝な顔をつい出してしまうを尻目に、親父は続けた。
「あらゆる武術はもちろんのこと、お前も知っていると思うが、妖怪退治を行う神職たちにも、自らを犠牲にして相手を制圧する奥義が伝わっている。武術家とて神職とて、差し違えてでも貫くべきものがあるということだ」
親父の木刀が、不意に打ちかかってくる。とっさに短い木刀で受けるが、思わず後退した。何度かやりとりを交わしたのちも、親父の厳しい態度は消えることはない。
「この技は、わが流派に伝わる相打ちの奥義。相手の間合いに完全に入り込み、命と引き換えに確実に仕留める。そのためには長い刀はむしろ取り回しが邪魔となるから、今日の稽古、お前の剣だけは短い木刀というわけだ。命なんざ、武人にとっては最初から借り物だ。お前のように剣の才がなくとも、これなら敵を確実に仕留められるはず。相手の懐に飛び込んだその瞬間、すべてを賭けろ」
親父は鋭い目で、正眼の構えを崩さなかった。気弱な婿養子である親父はそこにはいない。初めて見る親父の剣豪としての顔だ。
雪がちらつく中、俺は黙って短い木刀を構えた。
「お前の剣は、お前の生き様の中にある。才がなかろうと、技が未熟でも、お前自身が成熟していれば、刃は届く。忘れるな」
ただ、このときの俺は、まだ知らなかった。この「相打ちの奥義」が、のちに、俺の運命に大きく関わっていくことに。
0
あなたにおすすめの小説
看病しに行ったら、当主の“眠り”になってしまった
星乃和花
恋愛
⭐︎完結済ー全36話⭐︎
倒れた当主を看病する役目を振られた使用人リィナは、彼の部屋へ通うことになる。
栄養、灯り、静かな時間、話し相手――“眠れる夜”を整えていく。そして、回復していく当主アレクシス。けれど彼は、ある夜そっと手を握り返し、低い声で囁く。
「責任、取って?」
噂が燃える屋敷で、ふたりが守るのは“枠(ルール)”。
手だけ、時間だけ、理由にしない――鍵はリィナが握ったまま。
けれど、守ろうとするほど情は育ち、合図の灯りはいつしか「帰る」ではなく「眠る」へ変わっていく。
看病から始まった優しい夜は、静かな執着に捕まっていく。
それでも、捕獲の鍵は彼ではなく――彼女の手にある。
王子を身籠りました
青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。
王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。
再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
そのほかに外伝も綴りました。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
烏の王と宵の花嫁
水川サキ
キャラ文芸
吸血鬼の末裔として生まれた華族の娘、月夜は家族から虐げられ孤独に生きていた。
唯一の慰めは、年に一度届く〈からす〉からの手紙。
その送り主は太陽の化身と称される上級華族、縁樹だった。
ある日、姉の縁談相手を誤って傷つけた月夜は、父に遊郭へ売られそうになり屋敷を脱出するが、陽の下で倒れてしまう。
死を覚悟した瞬間〈からす〉の正体である縁樹が現れ、互いの思惑から契約結婚を結ぶことになる。
※初出2024年7月
15年目のホンネ ~今も愛していると言えますか?~
深冬 芽以
恋愛
交際2年、結婚15年の柚葉《ゆずは》と和輝《かずき》。
2人の子供に恵まれて、どこにでもある普通の家族の普通の毎日を過ごしていた。
愚痴は言い切れないほどあるけれど、それなりに幸せ……のはずだった。
「その時計、気に入ってるのね」
「ああ、初ボーナスで買ったから思い出深くて」
『お揃いで』ね?
夫は知らない。
私が知っていることを。
結婚指輪はしないのに、その時計はつけるのね?
私の名前は呼ばないのに、あの女の名前は呼ぶのね?
今も私を好きですか?
後悔していませんか?
私は今もあなたが好きです。
だから、ずっと、後悔しているの……。
妻になり、強くなった。
母になり、逞しくなった。
だけど、傷つかないわけじゃない。
後宮の手かざし皇后〜盲目のお飾り皇后が持つ波動の力〜
二位関りをん
キャラ文芸
龍の国の若き皇帝・浩明に5大名家の娘である美華が皇后として嫁いできた。しかし美華は病により目が見えなくなっていた。
そんな美華を冷たくあしらう浩明。婚儀の夜、美華の目の前で彼女付きの女官が心臓発作に倒れてしまう。
その時。美華は慌てること無く駆け寄り、女官に手をかざすと女官は元気になる。
どうも美華には不思議な力があるようで…?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる
