あの時くれた名前~諏訪あやかし記: 神の柱と狐の器

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第5章 決戦

大尉と大尉の激突

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 永田大尉のその言葉に、村口の部下たちにも決定的な動揺が広がった。確かに彼らは場合によっては犯罪に手を染めていたのだろう。しかしそれは良くも悪くも、それが「陛下のため」になると妄信していたことによる行動。今彼らは、首領である桑名大将から見捨てられたばかりか、自分たちが守ろうとしていた陛下自身からも見放された。そうなればもはや戦う意思など崩れ去るのは時間の問題だったのである。あたかも、明治維新において官軍の旗を掲げられた幕府軍が、一夜にして「賊軍」と化し、戦う意思を失ったように。

「そんな話、聞いてねぇよ!」

「さすがに陛下に銃は向けられません。降伏します」

 銃を次々と地面に捨て、手を挙げる兵たち。その光景に、村口は狼狽し、血走った目で怒鳴りつけた。

「貴様ら、何をしている!まだ戦は終わっていない!!ここであやかしどもを制圧したかのように見せかけ、奴らを武力として利用すれば、大日本帝国は世界の頂に立てるのだ!そうすれば陛下もお考えを変えるに違いない!その時お前たちは陸軍の主流派になれるのだ!止まれ!止まらんか!」

 焦燥のあまり、村口大尉は腰の銃を抜き、脱走する兵の背を撃ち抜く。乾いた銃声が空気に響き渡ると、兵の体は崩れ落ちた。

「いいか、よく聞け。以後戦線を離れる者は、俺が撃つ!死にたくなければ、最後まで戦え!!」

 村口のその言葉に、一部の兵はしぶしぶ彼に従ったようだった。最終的に、この状況でもまだ自分たちが陸軍の主流派となってこの地を占拠し続けたい者、そして村口から撃たれたくないだけの者たちが彼の下に残る。そうなると、当初、永田大尉が語っていた兵力差よりもだいぶ状況がよくなったのは事実ではあったけれど、一方で、それでも村口一派の兵力が私たちよりも勝っているのが問題だった。

「よし。よし、これでいい。ざっと四百か。永田、お前がどれほど猿知恵を巡らせようと、結局は俺たちの勝ちだ。降伏した丸腰の兵が加わろうが、武器を手にした兵力ではこちらが上だ。残念だったな、ここでお前たちを皆殺しにしてやるよ」

 村口は笑みを取り戻す。今までの笑みは確かに強情に意地を張っている感じがにじみ出ていたけれど、今の笑いは本気で自信をもって攻撃してくる、そんな印象を持った笑みだ。私たちも気を引き締める。

「全軍――突撃!」

 大きく目を見開いた村口は軍刀を掲げて叫んだ。

怒号と土煙。境内の石畳が震え、銃火が一斉に吼える。永田大尉の指揮は的確だけれど、ただの人と人の押し合いでは、数の差がじわじわと牙をむく。少しずつ永田大尉の前線は押されて行き、弾薬の手渡しが滞り始めた。村口は唇の端を持ち上げ、勝機を確信したように笑みをより強くする。

「永田大尉――三十秒だけください!」

 私がそう言うと、永田大尉はすぐに頷いた。

「前衛、九条巡査部長の前に並べ!抑止射撃で彼女を防御するのだ。狙撃犯は一歩下がり、援護射撃をせよ!他の兵は刀を抜き、白兵戦で三十秒持ちこたえろ!」

 私を守るために兵たちが前に並ぶと、私の心臓は緊張で跳ねる。自らの身を危険にさらしてまで私を守ってくれる彼らのためにも、失敗は許されない。私は目を閉じて集中し、御幣を立てて規則正しく呼吸をする。

 感じる。人の群れしかいないはずのこの場に、引っかかるものが。冷たく、ぬめりのある気配――悪しきあやかしの臭い。それは村口が身に着ける上着の内側に押し込められ、血と紙の匂いで覆われている。場所は――左、第二ボタンの下。

 目を開く。

「――そこだ」

 私は御幣を村口の胸もとへ向け、紙垂を鳴らす。すぐに短い言霊を重ねた。

「洩矢(もりや)の神の古き縁(えにし)、ここに火と化し、真(まこと)の光は偽りを照らす。ミシャグジの御名(みな)をもって、契りの紙、灰となれ。祓え給え、清め給え」

 次の瞬間、村口の軍衣の内側で、ぱち、と小さな光が弾けた。

「熱っ――!」

 内ポケットのあたりが、内側から赤く燃え出す。村口は慌てて上着を脱ぎ捨てると、布の焦げとともに、紙片が露わになった。血判に、村口肉筆の名――あれが契りの紙だ。火は紙の文字の線をなぞるように走っていく。赤い炎が黒へ、黒が塵へ。最後のひとかけらが燃え尽きて塵と化した時、境内の空気がはっきりと転換する。

 黒い羽音、石の間を這う長舌、瓦礫の隙間からにじみ出た影。そうしたあやかしたちが、あたかも見えない聖域がなくなったかのように、動きを変えた。さっきまで人を選んでいた彼らは、今はただ、人の濃い匂いのするほう――村口の列へと殺到する。

 やっぱり狙い通り――村口一派はここ一帯を操るあやかしの大将と取引していたのだ。「諏訪一帯のあやかし、村口軍には手を出さず」と。私は、神職の血であやかしを感じ取ることができるのだけれど、人である軍人しかいないはずのこの場所で、おかしなあやかしの邪気があるのを薄々感じていた。それが、村口があやかしの大将と取引した証である、あの契りの紙。でももうその紙は燃やし尽くした。もはや村口たちをあやかしから守るものは何もなく、彼らもあやかしの餌食になっているのだ。

 あやかしとの契りの紙を燃やす作戦、これを提案した時、永田大尉は快諾してくれた。でも、本当のことを言うと、これが成功するのかどうか不安でもあった。策が成功するには、あやかしと村口が「紙の契約」を交わしていることが前提だったから。もし、その契りがあやかし特有の「魂を賭ける」契約であったとしたら――だいぶ事情は厄介になっていたはずだった。

 けれど永田大尉は言った。

「村口は単にあやかしを利用したいだけだ。全身全霊をかけるほどの覚悟は奴にはない。あやかしのほうも村口を使いやすい駒程度にしか思っていないはずだ。そうなると、契りがあるとすれば大した重みはなく、『紙』の契約と考えていいだろう。ご自身の判断に自信を持たれよ」

 大尉の声は私の不安を和らげてくれた。そして今、目の前に起きている混乱を見て、私の賭けは正しかったと確信できる。

「来るな、こっちは味方だろうが!」

 もはやあやかしの格好の餌食となっている村口の怒声は悲鳴に変わる。階級の序列などはもはやなく、列はばらばら、おまけに背嚢は裂け、多くの銃は手元から離れ、もはや戦いどころではないのは明白だった。

「押されるな、半弧を描いて下がれ!あやかしと交わるな!」

 永田大尉の見事な指揮のもと、私たちの列は、村口たちをいわば盾としてあやかしの奔流と決して交差しない線を保つ。私は、それでも飛び越えてくるあやかしたち、影の舌、飛び火のような霊の火花を御幣で祓っていく。

 もはや壊滅は目前――けれど、ここで終わらせるのは私の役目だ。あえて暴れさせていたあやかしたちを一挙に退散させる。よかった。このあやかしたちは単に数が多いだけ。人である武装した人間の集団は私にとっては太刀打ちできないけれど、脆弱なあやかしの群れなら私が相手にすることはたやすい。

「――鎮まり給え、返り給え。此の地は上社(かみしゃ)・下社(しもしゃ)の御前(みまえ)。御柱(おんばしら)の四至(しし)を結び、穢れを解きて山へ返す。人は人の路、妖は山の路、分かち給え」

 白い輪が境内を一巡した。影たちは息をひそめ、荒ぶる牙たちは鎮まり、羽根の音ももう聞こえない。ほんの少しの静寂。でもその隙を永田大尉は見逃さなかった。

「今だ、生きているものは武器を捨てて投降せよ!抵抗しなければ村口大尉以外の罪は問わない!」

 その声を聞いた途端、村口配下の兵士たちは、緊張の糸が完全に切れたような様子を見せると、一斉に手を挙げて投降しだした。

 永田大尉の部隊は機敏に動き、投降した兵を一か所に確保すると同時に、村口の捕縛に急ぐ。もはや村口は、投降していく兵に怒号を発する余裕も、自身が抵抗する余裕もないのは明白だった。

「拘束しました!」

 兵士の声に私は目を向けると、乱れた軍服、泥と血にまみれた顔の村口大尉がいた。あの時女子学生に絡んでいた時、そしてこの地を乗っ取ったときに見せていた自信に満ち溢れていた余裕は消え去っていた。

「結局、お前らお勉強だけができる奴らが、陸軍上層部になるんだもんな」

 今度も彼は笑った。でもそれは、私たちへの嘲笑ではなくて、明らかに自嘲としか思えないものだった。

「俺だって勉強はできた。だから陸大に入れたし、入学後も上位に食い込めると思っていたさ。でもな――お前らトップ層には勝てなかった。どれだけ努力しても、天才には勝てない。それを思い知らされたよ。それでも、俺は国家に尽くしたかった。だからせめて主流派でない皇道派でこの国を動かそうとしたのさ。でも現実は、お勉強ができる奴らがこうして勝つ。俺は、ただの負け犬だったのさ」

 その言い分が正しかったとしても、決して彼の行動は正当化できるものではない。でも、彼には彼で抱えているものもあったのだ、そう私は思い知らされた。とは言え、陸軍の主流派である永田大尉は彼の言うことなどいちいち聞いていられないはず、さっさと彼を断罪して処罰する、私はそう思っていたけれど。

「お前の言い分にも一理ある」

 私も村口も、驚きのまま目を見開いて永田大尉を見つめた。

「確かに、陸軍大学校はペーパー試験を偏重しすぎている。私は首席ではなかった。梅津美治郎だった。現場指揮官としての才は、彼の方が上だったからな」

 そう諭すように話す永田さんの声は、温かみを帯びていた。

「しかしだ、裏を返せば、勉強で勝る私が彼とほとんど変わらない次席で卒業できたということでもある。それがあの学校の評価制度の偏りの結果なのだ。だから言っておく。お前の言い分にも、一理はあるということを」

 村口は押し黙って俯く。村口大尉の軍勢は永田大尉の部下たちに連行され、白狐稲荷神社を離れていった。ここに残されたのは私と永田大尉の二人となった。
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