あの時くれた名前~諏訪あやかし記: 神の柱と狐の器

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第6章 白楼の回想

友人たちとの会話~白楼の視点2

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 風が枝葉を揺らしていた。

「――そうなったら、俺の魂は、奈落の底に引きずり込まれるというわけさ。めでたしめでたし」

 冗談めかして軽く言ったつもりだったが、一度重くなった空気は、そう簡単には戻らない。奏が、今にも泣きそうな顔をする。長い付き合いのお銀ですら、この話をしたの初めてだったから、口を開けてぽかんとしている。

「食ったり食われたりしないで、なんか助かる方法、ないのか?」

 いつもはどこか軽薄な直輝でさえ、そのときばかりは真剣な声だった。

「昔、聞いたことがある。奈落に引きずり込まれる魂をどこかに縫い付けて、現世に留めるやり方があるって。神職が、何かの命を代わりに差し出して、針と糸で縫うみたいに物体へ魂を留めるって話だ」

 そこまで言って、肩をすくめた。

「でもなあ――神職が、俺みたいな妖怪相手に、そんなことしてくれると思うか?もともと敵だぞ?」

「そりゃそうだ。だいたい、どう考えても、そんな面倒な契約結んだお前が悪いし、助けた女の子に浮気したお前が一番悪いんじゃねぇの?」

「浮気じゃねぇよ」

 すぐに言い返したが、自分でも内心苦笑していた。体の関係がなかったことを盾にしているだけで、心は確かに惹かれていた。あの娘に。もし、あの助けた娘がまだ生きていたら、俺の命と引き換えに、魂を救おうとしてくれただろうか。もちろん彼女が俺のために命を散らすことなんて望んじゃいないけど――そんな希望が、ふっと頭に浮かんでくるのは止められなかった。

「ただ――気になったんだ。仲良くなりたかった。それだけだ。体の関係なんてなかった。実際、俺はまだ奈落には堕ちてないだろ?」

「そっか、それは褒めてやれるな。俺なんか最近、三日に一度は遊女と遊んでるわけだし。確かにお前は偉い」

「直輝くん、最低――」

 奏が真っ赤になって、顔をぷいと背けた。

「親分は、真面目でやんすからねえ」

 お銀が直輝の肩から俺をまっすぐ見据えながら言う。

「死にかけてた娘っ子を助けただけでも大したもんでやんすのに、その後もずっと気にかけて、気づいたら自然と惹かれるようになっちまったんでさぁ。そんで元々愛してた蛇目のお相方さんとのあいだで迷うようになっちまった。あっしはこの件、誰も悪くないと思いやすがねぇ」

 周りの空気が少しだけ和む。

「生きている限り、きっと誰でも迷うものよ」

 詩織が不意に口を開いた。言葉を放った彼女の方に、俺は自然と目を向けると、同時に彼女の手元にある短刀の方へ目線を移す。かつてここを統治していた藩主、そして俺の友達である諏訪忠誠が抜けなかった刃。今、それを握る詩織の指も、わずかに震えていた。抜けない刃に託された、迷い、葛藤――。やっぱり、君も、いや、君たち人間も、みんな心が揺れてしまうことはあるんだね。

 奏でも詩織の言葉に何か感ずるものがあったのか、ぽつりと口を開いた。

「そうね、私には難しいことはわからないけど、これだけはわかる。きっと、白楼さんは、ずっと一人じゃなかった。だって、ここにいる私たちも、みんな、あなたのこと、愛してるんだから」

「そうでやんす!」

 お銀が俺の方に駆けだして近寄ると、珍しく主人である直輝でなく、俺の肩に乗った。

「あっしね、生まれてからずっと、ひとりぼっちだと思ってたんでやんすよ。だから人を化かして遊んで、それだけが楽しみでやんした。けれど、知っての通り、ゴンさんっていう神職に退治されようとしてた時、彼が迷いに迷っていたその時でやんした。親分がぬっと現れたんでやんす」

 ああ、あの時のことか。

 この辺に伝わるおとぎ話は俺が振りまいたことはここのみんなにも話してある。話の元ネタがお銀だったってことも。

 本当に偶然だったんだ。この気まぐれだった狐が神サマになっていたこの白狐稲荷神社のすぐ前で、俺と同じような毛色をしている狐のしっぽを持ち上げた神職が、御幣を掲げてずっと立ってたんだ。ああ、あのあやかし狐を退治するのかな、そのくらいの気持ちで。

 でもその神職は明らかに迷っていた。神職だっていろいろだ。あやかしと見れば問答無用に退治する奴もいれば、小さくて弱いあやかしは見逃す奴もいる。お銀は確かに人にいたずらをしていたけど、人の体を傷つけたり、ましてや命を奪ったりしたことはない。そんなただのいたずら好きの女狐を成敗することを、そこにいた神職はためらっていたのだった。

 だから俺は助け船を出したのさ。

「こいつは俺と同じ銀色の毛を持ってる。だからこいつの名は今から『お銀』。神職、あやかしは名前がないけど、名前ができたんなら、もうあやかしとは言えないんじゃないのか?なら、お前がもう退治する必要はないと思うよ」

 そう言うと神職は御幣で軽くお銀の背中を叩くと、一瞬青白い光が出ただけで、お銀は何ともなかった。後で聞いたけど、あれが神職がかけた呪い。未熟な人間と赤い糸でつながれて、その主人が成熟するための卵になるまで、切れない呪い。

「お稲荷様、仰る通り、この狐はもうあやかしではありません。ちょうどここは狐であるあなたの領地。これも何かの縁と思い、女狐を殺すことは致しません。どうか、この女狐をこれからよろしくお願いします」

 ああ、また厄介な奴が来ちゃったな、なんて思ったけど、今となってはお銀もいい友達だ。でもあれも――昔助けた娘の時と同じさ。ただ気まぐれで助けただけだった。俺はそんな――

「聖人君子じゃないから、って親分は仰りたいんでやんしょ?けどあっしは思います。きっとそれは、親分が芯から優しい方だからなんだと思いやすよ。きっと昔に助けた人間の娘だって、気まぐれなんかじゃない。親分の優しさがそうさせたんでやんすよ。そしてあっしだけじゃない。奏さんが言うのは本当でやんすよ」

「そうだぜ白楼。みんなお前のことが――」

 泣かせるようなこと言うなよ。ここで泣いたらなんか安っぽいだろ。だから俺は平然として、飄々としているふりをしてたさ。でも今だから白状するよ。今までの俺の孤独、罪の意識、そうしたもんが全部溶けて行ったみたいで――みんなが帰ったあと、俺は一人で泣いていたんだよ。
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