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10.皇太子
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一つ一つの動きに呼吸を乱して、死に向かうだけの弱い体が突然、回復の兆しを見せた。
他に変わったところはないか、見るのを避けていた鏡に映る体を隅々まで見てから湯浴みを済ませると、腹が減ったと食欲が込み上げた。
肉が食べたいと思った。
今までは体を生かすためだけの儀式のようなものだった食事を欲した。
軽装だけれど身なりを整えたギルバートは厨房へ向かった。
宮殿内で働く者達は皆、適当に仕事をこなしていた。持っているだけの箒、雑巾。廊下の隅にホコリが溜まっているのを横目に、雑談していた女たちに声を掛けた。
ギルバートが両足で立っているのを目にした女たちは、一体誰が声を掛けたのかと眉を顰めた。
そして皇太子だということに気付いて、慌てふためいた。
その姿が滑稽だったので、口の端が自然と上がって微笑んで言った。
「皆を厨房に集めて来なさい。今すぐに」
宮殿内の使者全員、庭師も含めて20人余りが厨房に集まって、皇太子に頭を垂れていた。
中心に立った侍従がどういう表情をすればいいのかわからないのか、顔の筋肉がぴくぴくと痙攣していた。
「あなたたちの傲慢な仕事ぶりを、皇帝陛下はご存知なのか?」
皆、一斉にびくりと肩が跳ねた。
まあ、知らないだろうね。と続けて言うと、どこからかすすり泣く声が聞こえた。
皇太子が死ぬまで、適当にやり過ごしていれば勝手に手元に降って湧く収入はとても甘美だっただろう。
皇宮勤めという肩書きは、他所に行っても役に立つ。
美味しいところばかり食べて、不味いものは暗い部屋に押し込んで見ないようにした。愚か者たち。
「ここにいる全員、今すぐ首を切られてもおかしくない立場であることは承知の上だと思うけど」
まさか、皇太子が生きて部屋から出てくるとは夢にも思ってなかっただろう。
混乱と恐怖に怯えて震える使者たちが、口々にすみませんでした。ごめんなさい。許してくださいと、哀願した。
ずっと、アリシアの声だけを聞いてきたギルバートの耳に入ってくるその他の人間の声が、ひどく耳障りだった。
「黙れ」
静かに一喝すると、ピタリと止んだ。
自力で立てるようになったからと言って、病に侵されていた体はそのままのギルバートの姿は、細くて弱々しく見えるだろう。だが、産まれたときから彼は皇子で、唯一の皇太子で、次期皇帝だった。
そんな彼に従わない者の末路なんて、たかが知れている。
君主に言われた通りに黙った者達を見下ろして、目を細めた。
(そうだ。それでいい)
「今まで通り、あなたたちは宮殿内のことを黙っていればいい。陛下にも伝えなくていい」
何を見ても、目を閉じて。口を閉じていればいい。
「黙っていれば、罪を問わない」
だが
「わずかなことでも私の耳に入れば、全員の首を切る。逃げた場合も、容赦しない」
冷たく言い放つと、下の者達は膝をついて、額を床に擦り付けることで皇太子への敬意を表した。
そうやって、ギルバートは宮殿内の人間を粛清した。
かつて自分が押し込まれた汚れまみれの部屋も、あらゆる箇所に溜まった汚れも隅々まで掃除をさせて、料理人にはギルバートが食べたい物とアリシアが好きな物を伝え、侍従には服を揃えるように命令した。
飾りなども一掃して新しいものに替えて、宮殿内をきれいに整えた。
大切な人が穏やかに過ごせるように。いつまでも、ずっと。
その後、眠っていたアリシアは昼の時刻に起きて、優雅にお茶を飲みながら本を読んで寛ぐギルバートを見て、目をぱちぱちとさせていた。
「おはよう、シア」
自分の足で、それも支えもなしでベッドに近づいてくるギルバートの姿を見て、アリシアは夢でも見ているのかと思った。もしくは、何年も眠ってしまったのかと。
「……ギル。大丈夫なの?」
「うん。見ての通り」
心配するアリシアに、微笑んで大きく腕を広げて見せた。こういうのも出来るよ、とお辞儀をして見せると、アリシアの表情が笑顔になった。
頬を染めて微笑むアリシアは、自分が裸であることを忘れてしまったのか、気にもしないで素肌を見せつけたままギルバートに向かい合った。
そんな彼女の素肌も、姿も、笑顔も全部がきれいでずっと見ていたかったから、しばらく裸であることを指摘しないでギルバートも微笑んでアリシアを見つめた。
ギルバートの様子が変わったことに、アリシアは何も言わなかった。
ギルバートも何も聞かなかった。
それが自然で、当然であるように接した。
数日後、医師を呼んで診てもらうと「奇跡が起きた」とそれ以外の言葉を知らない人みたいに何度も言いながら、間違いではないのかと触診を繰り返した。
「再発の可能性も無いとは言えないので、無理はしないように」
去る時も、まだ信じられないような顔をしていたが、そう言い残して帰って行った。
医師の言う通り"奇跡が起きた"……つまり、病から解放されたギルバートは、後継者教育の再開を始めた。
座学は勿論、体力の回復にまず専念した。
覚えることも、やりたいことも山ほどあった。寝る時間も惜しんで、一日のほとんどをそれに費やした。
自分の力がアリシアの力になって、どんなときも彼女を守れるようになりたかった。
体も鍛えて、自信を持って彼女を抱きたいという欲もあった。
ギルバートの存在する意味は、全てアリシア一人のためだった。
アリシアを二人で過ごした宮殿に一人残して出て行き、夜遅くにアリシアの眠るベッドに潜り込む。
ギルバートはそんな日常を過ごしていた。
他に変わったところはないか、見るのを避けていた鏡に映る体を隅々まで見てから湯浴みを済ませると、腹が減ったと食欲が込み上げた。
肉が食べたいと思った。
今までは体を生かすためだけの儀式のようなものだった食事を欲した。
軽装だけれど身なりを整えたギルバートは厨房へ向かった。
宮殿内で働く者達は皆、適当に仕事をこなしていた。持っているだけの箒、雑巾。廊下の隅にホコリが溜まっているのを横目に、雑談していた女たちに声を掛けた。
ギルバートが両足で立っているのを目にした女たちは、一体誰が声を掛けたのかと眉を顰めた。
そして皇太子だということに気付いて、慌てふためいた。
その姿が滑稽だったので、口の端が自然と上がって微笑んで言った。
「皆を厨房に集めて来なさい。今すぐに」
宮殿内の使者全員、庭師も含めて20人余りが厨房に集まって、皇太子に頭を垂れていた。
中心に立った侍従がどういう表情をすればいいのかわからないのか、顔の筋肉がぴくぴくと痙攣していた。
「あなたたちの傲慢な仕事ぶりを、皇帝陛下はご存知なのか?」
皆、一斉にびくりと肩が跳ねた。
まあ、知らないだろうね。と続けて言うと、どこからかすすり泣く声が聞こえた。
皇太子が死ぬまで、適当にやり過ごしていれば勝手に手元に降って湧く収入はとても甘美だっただろう。
皇宮勤めという肩書きは、他所に行っても役に立つ。
美味しいところばかり食べて、不味いものは暗い部屋に押し込んで見ないようにした。愚か者たち。
「ここにいる全員、今すぐ首を切られてもおかしくない立場であることは承知の上だと思うけど」
まさか、皇太子が生きて部屋から出てくるとは夢にも思ってなかっただろう。
混乱と恐怖に怯えて震える使者たちが、口々にすみませんでした。ごめんなさい。許してくださいと、哀願した。
ずっと、アリシアの声だけを聞いてきたギルバートの耳に入ってくるその他の人間の声が、ひどく耳障りだった。
「黙れ」
静かに一喝すると、ピタリと止んだ。
自力で立てるようになったからと言って、病に侵されていた体はそのままのギルバートの姿は、細くて弱々しく見えるだろう。だが、産まれたときから彼は皇子で、唯一の皇太子で、次期皇帝だった。
そんな彼に従わない者の末路なんて、たかが知れている。
君主に言われた通りに黙った者達を見下ろして、目を細めた。
(そうだ。それでいい)
「今まで通り、あなたたちは宮殿内のことを黙っていればいい。陛下にも伝えなくていい」
何を見ても、目を閉じて。口を閉じていればいい。
「黙っていれば、罪を問わない」
だが
「わずかなことでも私の耳に入れば、全員の首を切る。逃げた場合も、容赦しない」
冷たく言い放つと、下の者達は膝をついて、額を床に擦り付けることで皇太子への敬意を表した。
そうやって、ギルバートは宮殿内の人間を粛清した。
かつて自分が押し込まれた汚れまみれの部屋も、あらゆる箇所に溜まった汚れも隅々まで掃除をさせて、料理人にはギルバートが食べたい物とアリシアが好きな物を伝え、侍従には服を揃えるように命令した。
飾りなども一掃して新しいものに替えて、宮殿内をきれいに整えた。
大切な人が穏やかに過ごせるように。いつまでも、ずっと。
その後、眠っていたアリシアは昼の時刻に起きて、優雅にお茶を飲みながら本を読んで寛ぐギルバートを見て、目をぱちぱちとさせていた。
「おはよう、シア」
自分の足で、それも支えもなしでベッドに近づいてくるギルバートの姿を見て、アリシアは夢でも見ているのかと思った。もしくは、何年も眠ってしまったのかと。
「……ギル。大丈夫なの?」
「うん。見ての通り」
心配するアリシアに、微笑んで大きく腕を広げて見せた。こういうのも出来るよ、とお辞儀をして見せると、アリシアの表情が笑顔になった。
頬を染めて微笑むアリシアは、自分が裸であることを忘れてしまったのか、気にもしないで素肌を見せつけたままギルバートに向かい合った。
そんな彼女の素肌も、姿も、笑顔も全部がきれいでずっと見ていたかったから、しばらく裸であることを指摘しないでギルバートも微笑んでアリシアを見つめた。
ギルバートの様子が変わったことに、アリシアは何も言わなかった。
ギルバートも何も聞かなかった。
それが自然で、当然であるように接した。
数日後、医師を呼んで診てもらうと「奇跡が起きた」とそれ以外の言葉を知らない人みたいに何度も言いながら、間違いではないのかと触診を繰り返した。
「再発の可能性も無いとは言えないので、無理はしないように」
去る時も、まだ信じられないような顔をしていたが、そう言い残して帰って行った。
医師の言う通り"奇跡が起きた"……つまり、病から解放されたギルバートは、後継者教育の再開を始めた。
座学は勿論、体力の回復にまず専念した。
覚えることも、やりたいことも山ほどあった。寝る時間も惜しんで、一日のほとんどをそれに費やした。
自分の力がアリシアの力になって、どんなときも彼女を守れるようになりたかった。
体も鍛えて、自信を持って彼女を抱きたいという欲もあった。
ギルバートの存在する意味は、全てアリシア一人のためだった。
アリシアを二人で過ごした宮殿に一人残して出て行き、夜遅くにアリシアの眠るベッドに潜り込む。
ギルバートはそんな日常を過ごしていた。
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