【R18】生贄の姫は皇子に喰われたい

あまやどんぐり

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15.その日は、突然に

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 アリシアの一日は、朝起きて決まった時間になると、侍女が顔を洗うためのぬるま湯やタオルなどを持ってきてくれることから始まる。
 その日に着る服を決めて、身支度を整えると朝食が運ばれてきて、侍女たちは部屋を出て行く。人形のように、黙ってお辞儀をして。

 テーブルに並べられた食事やフルーツは、アリシアが好むものばかり。

 起きて、食べて、寝て……部屋で過ごす以外にやることのないアリシアにとって、時間は余るほどある。だから、小さい口でちょっとずつ、ゆっくり食べた。

 今日は窓から見える空が清々しいから、窓を開けて外の空気を吸った。
 花の香りが風に乗って部屋の中に入り込むと、アリシアも窓に背を向けてソファに向かう。

 本を読むか、刺繍をするか……今日は、刺繍にしよう。
 ソファに腰をかけると、まずはお茶を一口、口に含んだ。
 それからやりかけの物を手に持って、一針一針、丁寧に図に沿って縫っていく。

 今、手掛けている模様は"竜"だ。本で読んだ童話の中の竜の模様。それを黒い糸で、無地のハンカチに描いていく。

 ギルバートが出立してからハンカチに刺繍を始めて、これが7枚目。

 本で読んだ、騎士の無事を祈ってハンカチに刺繍をする乙女の話。
 それがこの国の風習であることを知って、始めたのだ。

 ギルバートの無事の帰還を祈って、1枚目に黄色い花を縫った。2枚目には皇室の紋章を金色の糸で縫った。3枚目にはオレンジ色の花を。
 そうやって完成したハンカチを丁寧に折り畳んで、箱の中に重ねて仕舞っていった。

 あの日――ギルバートとの夜を過ごして眠りに落ちたアリシアは、朝一人で目が覚めた。
 寝惚けた頭でぼんやりと昨夜のことを思い出しながら、シーツを撫でるとそこは冷たくて……隣にあったはずの温もりが、いつの日からか無くなって、これからも無いのだと思ったら、涙が頬を伝って流れた。

 なぜ涙が出るのか、わからなかった。
 ここに居れば、彼は帰ってくるのに。また、会えるのに。
 悲しくて?寂しくて?……違う。でもわからない。ずっと前から心の隅にある何かが、アリシアを切なくさせた。

 そのよくわからない想いを込めて刺繍を施したハンカチを箱の中に仕舞い込むと、心が落ち着いた。

 7枚、8枚、9枚……折り重なるハンカチが箱に入らないほどになると、新しい箱を用意して、そこに仕舞った。

 10枚、11枚……枚数が増えていくと季節は移ろって、緑の木々と色とりどりの花々達が枯れて散って、芽吹いて咲いて……空模様と一緒に窓の外は景色を変えた。
 アリシアの居るこの部屋だけが、何も変わらない。一人、静かな日々が過ぎた。



 一人になって半年の頃、刺繍に使う道具や糸を直接店に見に行ってみたくて、思い切って侍従に頼んで皇帝に申し入れた。
 いつもは仕入れ先の品物一覧を見て、注文していただけだから、実際に見て選んでみたかった。

 皇帝からの返事は、否だった。

 その代わり、商品を宮殿まで届けさせるので、ここで選びなさいと。

 どうして外に出てはいけないのか、アリシアにはわからないけれど、言うとおりにするしかなかった。
 不満はあったのだけど、それはすぐに消え去った。宮殿に届けられた品々の数が相当で、見ているだけで楽しい時間を過ごせたから。

 それから半年が過ぎる頃、宮殿の外が騒がしくなった。
 宮殿内の人達が人形のように過ごすここで、人の声と足音が建物に響き渡っていた。

 (ギルが帰ってきたのかも……)

 手に持った読み途中の本を、閉じて膝の上に乗せると、部屋のドアを凝視した。

 トントントン。
 ノックする音で、ギルバートではないと確信すると、来訪者を待たせたくなくてドアまで駆け寄って開けた。

 そこには、皇室騎士団第4番隊隊長を名乗る男と、後ろには隊員の者達が10人程並んで、皆一斉にアリシアに一礼した。
 初めての光景に戸惑っていると、隊長が言い放った。

「皇帝陛下の命により、只今の時点からこちらの宮殿を守衛いたします」

 話を詳しく聞くと、側室全員の宮殿にそれぞれ騎士を配置して守衛することにしたのだとか。
 そして側室は皆、宮殿の外に一切出てはいけないと。
 なぜかは教えてもらえなかったが、監視対象になっているようだ。

 元々自由のなかったアリシアにとって、この事態は大したことではなかった。

「……わかりました。よろしくお願いします」

 この小さい宮殿の何を監視して、何から守るのかよくわからないけれど、労いの気持ちを込めて微笑んで言うと、一番近くにいる隊長を始め、後ろに並んだ騎士たち一同がほう、と息を吐いて頬を染めた。

 何の気なしに皆の関心を引いたことをアリシア本人は知らないまま、部屋に戻った。

 この日を境に、部屋の外から人の声と、足音、物音が聞こえてくるようになって、静寂なだけだった空気が賑やかになった。
 相変わらず部屋の外には出られない毎日だったけど、その空気が嫌いではなくて居心地は悪くなかった。



 このハンカチは何枚目だったか……数十枚に折り重なったそれを数えることをやめた頃、部屋の前から話し声が聞こえてきて、アリシアは誰がいるのか気になって、刺繍の手を止めてドアに近付いた。

 陛下が……と微かに聞こえる声と、それに返す声が聞こえるので最低でも二人の女の声を確認できた。

「……だから、皇太子殿下が戻り次第、婚約者を決めるんだって」

「まあ、殿下ももう成年だし」

「誰と婚約すると思う?」

「うーん……そうねえ」

 きゃっきゃと楽しそうにうわさ話に花を咲かせる声が、耳鳴りに変わる。

 "皇太子"……ギルバートのことだと、すぐに理解した。
 "婚約者"……?

 (……ギルが、婚約?)

 考えたことのなかった単語を繋いで、頭の中で何度も呟いた。

 その場を離れたくて、ドアに背を向けてソファに戻ろうとしたけど、やめた。
 子供だった二人が並んで、名前を呼び合って、顔を見合わせて、笑い合って過ごしたあの日が見えたから。
 視線をソファから食卓に移すと、向かい合って食事を摂っていた。ギルバートは体に負担を掛けないようにゆっくり食べて、アリシアは口が小さいから元々食べるのが遅かった。
 ベッドを見ると、クッションと枕の山に寄り掛かった、かつてのギルバートがそこにいて、アリシアを見て微笑んでいた。

『シア』

 長い間離れていても、簡単に声が思い出せるほど、当たり前のように呼ばれた日々――そう、当たり前だった。
 だから、彼は帰ってくると、この部屋に戻ってくると思っていた。

 でも違う。ギルバートは、戻って来ない。それに

 (私は、皇帝の側室だから……ギルの隣にはいられない)

 彼は隣に見知らぬ女性を添えて、アリシアのいない所で、知らない場所で、アリシアではない人の名前を口ずさむのだろう。

 (私はそのとき、何処にいるの?)

 きっとそのときも、この部屋であの懐かしい思い出に浸って、一人で過ごすのだろう。

 (いつまで? ……死ぬまで?)

 果てしない孤独が待っていることを突然思い知らされて、目の前が真っ暗になった。

 やりかけの刺繍が目に入ったけど、もうどうでも良くなって、そのままにした。
 夜になってベッドに横になろうとしたのだけど、並んで眠る二人と、熱に魘される二人が浮かんで動けなくなった。
 だからソファに座って、虚空を見つめた。瞼が勝手に落ちるまで。



 それから一週間経った夜、突然の来訪者がドアを叩いた。
 ドアを開けて迎えると、一人の男が立っていて皇帝の使いで来たことを名乗ると、言った。

「皇帝陛下が崩御されました」
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