17 / 44
16.15番目の側室
しおりを挟む
皇帝が崩御……つまり、亡くなったということ。
病気?……怪我?それとも……。
突然のことで、アリシアは言葉が出て来なかった。
皇帝が亡くなったことを伝えに来た使者は、事態を飲み込めていないのか、困惑して自分を見るだけのアリシアを見て、ため息を吐くと、書状を目の前にかざして言った。
「皇帝陛下からの命を申し上げます。側室として召し上げた貴殿に離縁を申し付ける。承諾書にサインをし、皇室から退去するように、とのことです」
言われたことは、理解した。けれど、もう少し詳しく教えて欲しいと使者に頼むと、咳払いをしてから教えてくれた。
鉱山と一緒に売られる形で側室となったアリシアだが、取引の契約内容に<皇帝が亡くなった際には、側室の身分を剥奪し、即刻退去するよう求める>とあって、今の状況に繋がるそうだ。
但し、慰謝料として金は充分に支払うと。
「……今すぐ出て行かないといけませんか?」
「……いえ、明朝から昼の時刻までの間には退去していただきます」
「わかりました」
アリシアの了承の言葉を聞くと、使者は離縁承諾書を出してサインする場所を指した。受け取ったアリシアは、それを持って部屋に戻る。
使者は、ドアを開けてから今の時点まで、自分を覗き込むように見つめてきたアリシアの瞳に罪悪感が湧いていた。
実は、アリシア以外の側室のところへ行って同じように皇帝の命を伝え、承諾書にサインをさせて歩いて、最後に辿り着いたのがこの宮殿だった。
本宮から一番遠い場所に建てられた、小さい宮殿。
そこにいた側室は、それまでに会った側室の誰よりも若く、透明感のある肌に菫色の瞳が儚く咲く花のようで、絹のような銀髪が美しくて、童話の中にいる妖精のようにか弱く見えた。
それに、一方的に離縁を申し付けられても文句も言わず、素直に聞き入れた、唯一の側室であった。
側室全員が、どうにか皇室に残ろうと泣いたり怒ったり暴れたり……ここまでの苦労を思い出すと、心が救われるようでもあった。
だが、使者は皇命の任を果たさなければならない。
アリシアを皇室から追い出すことに躊躇いの気持ちはあるが、遂行しなければと閉まったドアを見つめて、気を引き締めた。
部屋から改めて出てきたアリシアから、サインがされた離縁承諾書を確認して受け取ると、皇室から預かっていた小切手をアリシアに差し出す。
「こちらが、慰謝料になります。銀行に行けば、お金に換えられます。それと、この宮殿にあるものは好きなものを持って行って良いとのことです」
「はい……。ありがとうございます」
静かに微笑んだアリシアが可哀相に思えて、胸が痛んだ。
皇帝陛下はなぜこの子を側室にして、こんな離れた宮殿に住まわせていたのだろうか。アリシアの行く末が心配でならなかった。
けれど、ただの使者がアリシアにできることは……
「それでは、明日迎えの者が来ますので。……失礼いたします」
お辞儀をして、別れの挨拶をすることだけだった。
ドアを閉めると、アリシアはそのまま、そこに立ち尽くしていた。
自分が売られる際に、そんな契約の内容があったなんて、知らなかった。
つい一週間前には、いつまでもここに独りでいないといけないのだと絶望していたのに、突然事態が変わって、呆然としていた。
言われるがまま、サインした。
出て行けと言われたら、そうするしかないので、そうした。出て行かない理由もなかった。
頭の中を、使者の言葉がぐるぐる繰り返されていた。
皇帝の崩御、慰謝料、離縁……退去、明日の昼までに……。
好きなものを持って行っていいという言葉に辿り着くと、部屋の中を見回した。
――あの日の二人はいなかった。
テーブルの上に置かれたやりかけのままの刺繍……青い鳥と、隣り合う菫色の鳥が残り半分のところで放って置かれていた。
おもむろに手に取って、ソファに座るとアリシアを呼ぶ声が聞こえた気がしたけど、振り向かなかった。
離縁を言い渡されたとき、もう必要ないのだと、言われた気がした。
だけど、悲しくはなかった。
それでも、心の隅にあるものがまた切なくさせたので、残ったハンカチを完成させた。
きれいに折り畳んで、箱に仕舞う。
これは全部、置いていく。仕舞い込んだ想いは、ここに全部。
服を数着と、刺繍の道具セットを適当なカバンにしまって、迎えが来るのを部屋で待っていた。
その間に、初めてここへ来た頃の思い出がよみがえった。
この部屋に辿り着くまでに見た景色と胸が躍って緊張した旅路。
あの景色は、まだ同じようにあそこにあるのだろうか。
あの日のように胸が高鳴って、足が落ち着かない感じがするけれど、もう床に届くまでになったので、あの頃みたいに宙をぷらぷらとはならなかった。
ドアを叩く音が聞こえて、開けるとそこにいたのは迎えに来た案内人だった。
「おはようございます、アリシア様。お迎えに上がりました」
丁寧にお辞儀をしてくれる案内人に、アリシアもお辞儀をした。
お互いに顔を上げると、アリシアの手に持ったカバン一つの荷物を見て
「荷物はそれだけですか?」
と聞かれたので「はい」と答えると、何か言いたそうに躊躇いがちに
「そうですか……」
と零してから荷物を持ってくれた。それと
「実は、これを……」
手に持っていた物を渡された。
昨夜、部屋を訪れた皇帝の使者に託されたらしい、フード付きのマント。
「アリシア様は、その……目立ってしまうので、なるべくフードで髪を隠した方が安全だと……」
それに、まだ風も冷たいのでと言われて、よくはわからなかったけどお礼を言って羽織った。
馬車まで案内されると、相変わらず豪華に装飾されたもので、エスコートを受けて乗り込んでみると前と変わらない、触り心地も座り心地も良い椅子だった。
どうやら、片道にはなるが好きな所まで馬車で送ってくれるらしい。
どこまで行きますか?と聞かれて、アリシアは
「街まで、お願いします」
と願い出た。それと、針や糸を扱ってる店を知っていたら教えて欲しいと付け加えると、そこまで案内してくれると言ってくれた。
「ありがとうございます」
親切にしてもらえて嬉しかったので、自然と笑みで返したのだけど、案内人は口を手で隠して、ぼそぼそと何か独り言を言っていた。
「な、なるほど……」
何がなるほどなのか、不思議に思ったけど、アリシアはすぐに窓の外に目をやった。
動き出した馬車。動く景色。遠ざかる、皇宮。
ふと、青い瞳の少年が脳裏に浮かんだけど、数秒だけ目を閉じて、そして目を開けて、見慣れない風景を菫色の瞳に映し出して、記憶の上書きをしようと努めた。
そうやって、最後に離縁通達を受けた15番目の側室は、誰よりも先に皇宮を後にした。
病気?……怪我?それとも……。
突然のことで、アリシアは言葉が出て来なかった。
皇帝が亡くなったことを伝えに来た使者は、事態を飲み込めていないのか、困惑して自分を見るだけのアリシアを見て、ため息を吐くと、書状を目の前にかざして言った。
「皇帝陛下からの命を申し上げます。側室として召し上げた貴殿に離縁を申し付ける。承諾書にサインをし、皇室から退去するように、とのことです」
言われたことは、理解した。けれど、もう少し詳しく教えて欲しいと使者に頼むと、咳払いをしてから教えてくれた。
鉱山と一緒に売られる形で側室となったアリシアだが、取引の契約内容に<皇帝が亡くなった際には、側室の身分を剥奪し、即刻退去するよう求める>とあって、今の状況に繋がるそうだ。
但し、慰謝料として金は充分に支払うと。
「……今すぐ出て行かないといけませんか?」
「……いえ、明朝から昼の時刻までの間には退去していただきます」
「わかりました」
アリシアの了承の言葉を聞くと、使者は離縁承諾書を出してサインする場所を指した。受け取ったアリシアは、それを持って部屋に戻る。
使者は、ドアを開けてから今の時点まで、自分を覗き込むように見つめてきたアリシアの瞳に罪悪感が湧いていた。
実は、アリシア以外の側室のところへ行って同じように皇帝の命を伝え、承諾書にサインをさせて歩いて、最後に辿り着いたのがこの宮殿だった。
本宮から一番遠い場所に建てられた、小さい宮殿。
そこにいた側室は、それまでに会った側室の誰よりも若く、透明感のある肌に菫色の瞳が儚く咲く花のようで、絹のような銀髪が美しくて、童話の中にいる妖精のようにか弱く見えた。
それに、一方的に離縁を申し付けられても文句も言わず、素直に聞き入れた、唯一の側室であった。
側室全員が、どうにか皇室に残ろうと泣いたり怒ったり暴れたり……ここまでの苦労を思い出すと、心が救われるようでもあった。
だが、使者は皇命の任を果たさなければならない。
アリシアを皇室から追い出すことに躊躇いの気持ちはあるが、遂行しなければと閉まったドアを見つめて、気を引き締めた。
部屋から改めて出てきたアリシアから、サインがされた離縁承諾書を確認して受け取ると、皇室から預かっていた小切手をアリシアに差し出す。
「こちらが、慰謝料になります。銀行に行けば、お金に換えられます。それと、この宮殿にあるものは好きなものを持って行って良いとのことです」
「はい……。ありがとうございます」
静かに微笑んだアリシアが可哀相に思えて、胸が痛んだ。
皇帝陛下はなぜこの子を側室にして、こんな離れた宮殿に住まわせていたのだろうか。アリシアの行く末が心配でならなかった。
けれど、ただの使者がアリシアにできることは……
「それでは、明日迎えの者が来ますので。……失礼いたします」
お辞儀をして、別れの挨拶をすることだけだった。
ドアを閉めると、アリシアはそのまま、そこに立ち尽くしていた。
自分が売られる際に、そんな契約の内容があったなんて、知らなかった。
つい一週間前には、いつまでもここに独りでいないといけないのだと絶望していたのに、突然事態が変わって、呆然としていた。
言われるがまま、サインした。
出て行けと言われたら、そうするしかないので、そうした。出て行かない理由もなかった。
頭の中を、使者の言葉がぐるぐる繰り返されていた。
皇帝の崩御、慰謝料、離縁……退去、明日の昼までに……。
好きなものを持って行っていいという言葉に辿り着くと、部屋の中を見回した。
――あの日の二人はいなかった。
テーブルの上に置かれたやりかけのままの刺繍……青い鳥と、隣り合う菫色の鳥が残り半分のところで放って置かれていた。
おもむろに手に取って、ソファに座るとアリシアを呼ぶ声が聞こえた気がしたけど、振り向かなかった。
離縁を言い渡されたとき、もう必要ないのだと、言われた気がした。
だけど、悲しくはなかった。
それでも、心の隅にあるものがまた切なくさせたので、残ったハンカチを完成させた。
きれいに折り畳んで、箱に仕舞う。
これは全部、置いていく。仕舞い込んだ想いは、ここに全部。
服を数着と、刺繍の道具セットを適当なカバンにしまって、迎えが来るのを部屋で待っていた。
その間に、初めてここへ来た頃の思い出がよみがえった。
この部屋に辿り着くまでに見た景色と胸が躍って緊張した旅路。
あの景色は、まだ同じようにあそこにあるのだろうか。
あの日のように胸が高鳴って、足が落ち着かない感じがするけれど、もう床に届くまでになったので、あの頃みたいに宙をぷらぷらとはならなかった。
ドアを叩く音が聞こえて、開けるとそこにいたのは迎えに来た案内人だった。
「おはようございます、アリシア様。お迎えに上がりました」
丁寧にお辞儀をしてくれる案内人に、アリシアもお辞儀をした。
お互いに顔を上げると、アリシアの手に持ったカバン一つの荷物を見て
「荷物はそれだけですか?」
と聞かれたので「はい」と答えると、何か言いたそうに躊躇いがちに
「そうですか……」
と零してから荷物を持ってくれた。それと
「実は、これを……」
手に持っていた物を渡された。
昨夜、部屋を訪れた皇帝の使者に託されたらしい、フード付きのマント。
「アリシア様は、その……目立ってしまうので、なるべくフードで髪を隠した方が安全だと……」
それに、まだ風も冷たいのでと言われて、よくはわからなかったけどお礼を言って羽織った。
馬車まで案内されると、相変わらず豪華に装飾されたもので、エスコートを受けて乗り込んでみると前と変わらない、触り心地も座り心地も良い椅子だった。
どうやら、片道にはなるが好きな所まで馬車で送ってくれるらしい。
どこまで行きますか?と聞かれて、アリシアは
「街まで、お願いします」
と願い出た。それと、針や糸を扱ってる店を知っていたら教えて欲しいと付け加えると、そこまで案内してくれると言ってくれた。
「ありがとうございます」
親切にしてもらえて嬉しかったので、自然と笑みで返したのだけど、案内人は口を手で隠して、ぼそぼそと何か独り言を言っていた。
「な、なるほど……」
何がなるほどなのか、不思議に思ったけど、アリシアはすぐに窓の外に目をやった。
動き出した馬車。動く景色。遠ざかる、皇宮。
ふと、青い瞳の少年が脳裏に浮かんだけど、数秒だけ目を閉じて、そして目を開けて、見慣れない風景を菫色の瞳に映し出して、記憶の上書きをしようと努めた。
そうやって、最後に離縁通達を受けた15番目の側室は、誰よりも先に皇宮を後にした。
5
あなたにおすすめの小説
彼の巨大な体に覆われ、満たされ、貪られた——一晩中
桜井ベアトリクス
恋愛
妹を救出するため、一ヶ月かけて死の山脈を越え、影の沼地を泳ぎ、マンティコアとポーカー勝負までした私、ローズ。
やっと辿り着いた先で見たのは——フェイ王の膝の上で甘える妹の姿。
「助けなんていらないわよ?」
は?
しかも運命の光が私と巨漢戦士マキシマスの間で光って、「お前は俺のものだ」宣言。
「片手だけなら……」そう妥協したのに、ワイン一杯で理性が飛んだ。
彼の心臓の音を聞いた瞬間、私から飛びついて、その夜、彼のベッドで戦士のものになった。
極上イケメン先生が秘密の溺愛教育に熱心です
朝陽七彩
恋愛
私は。
「夕鶴、こっちにおいで」
現役の高校生だけど。
「ずっと夕鶴とこうしていたい」
担任の先生と。
「夕鶴を誰にも渡したくない」
付き合っています。
♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡
神城夕鶴(かみしろ ゆづる)
軽音楽部の絶対的エース
飛鷹隼理(ひだか しゅんり)
アイドル的存在の超イケメン先生
♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡
彼の名前は飛鷹隼理くん。
隼理くんは。
「夕鶴にこうしていいのは俺だけ」
そう言って……。
「そんなにも可愛い声を出されたら……俺、止められないよ」
そして隼理くんは……。
……‼
しゅっ……隼理くん……っ。
そんなことをされたら……。
隼理くんと過ごす日々はドキドキとわくわくの連続。
……だけど……。
え……。
誰……?
誰なの……?
その人はいったい誰なの、隼理くん。
ドキドキとわくわくの連続だった私に突如現れた隼理くんへの疑惑。
その疑惑は次第に大きくなり、私の心の中を不安でいっぱいにさせる。
でも。
でも訊けない。
隼理くんに直接訊くことなんて。
私にはできない。
私は。
私は、これから先、一体どうすればいいの……?
密会~合コン相手はドS社長~
日下奈緒
恋愛
デザイナーとして働く冬佳は、社長である綾斗にこっぴどくしばかれる毎日。そんな中、合コンに行った冬佳の前の席に座ったのは、誰でもない綾斗。誰かどうにかして。
敗戦国の姫は、敵国将軍に掠奪される
clayclay
恋愛
架空の国アルバ国は、ブリタニア国に侵略され、国は壊滅状態となる。
状況を打破するため、アルバ国王は娘のソフィアに、ブリタニア国使者への「接待」を命じたが……。
ちょっと大人な物語はこちらです
神崎 未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な短編物語集です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
今夜は帰さない~憧れの騎士団長と濃厚な一夜を
澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
ラウニは騎士団で働く事務官である。
そんな彼女が仕事で第五騎士団団長であるオリベルの執務室を訪ねると、彼の姿はなかった。
だが隣の部屋からは、彼が苦しそうに呻いている声が聞こえてきた。
そんな彼を助けようと隣室へと続く扉を開けたラウニが目にしたのは――。
ハイスぺ幼馴染の執着過剰愛~30までに相手がいなかったら、結婚しようと言ったから~
cheeery
恋愛
パイロットのエリート幼馴染とワケあって同棲することになった私。
同棲はかれこれもう7年目。
お互いにいい人がいたら解消しようと約束しているのだけど……。
合コンは撃沈。連絡さえ来ない始末。
焦るものの、幼なじみ隼人との生活は、なんの不満もなく……っというよりも、至極の生活だった。
何かあったら話も聞いてくれるし、なぐさめてくれる。
美味しい料理に、髪を乾かしてくれたり、買い物に連れ出してくれたり……しかも家賃はいらないと受け取ってもくれない。
私……こんなに甘えっぱなしでいいのかな?
そしてわたしの30歳の誕生日。
「美羽、お誕生日おめでとう。結婚しようか」
「なに言ってるの?」
優しかったはずの隼人が豹変。
「30になってお互いに相手がいなかったら、結婚しようって美羽が言ったんだよね?」
彼の秘密を知ったら、もう逃げることは出来ない。
「絶対に逃がさないよ?」
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる